運ゲーの解析者
私の思考は、周囲の動揺を意に介さず、既に次のステップへと移行していた。
「部長。もう一度、お願いします。先ほどと同じような、やや甘いツッツキを、私のフォア側へ」
私は、感情を排した声で、彼に要求する。
「はあ!? お、おい静寂、まさかお前、今のもう一回やろうってのか!? あれはタマタマだろ! 狙ってできるもんじゃ…」
部長は、信じられないといった表情で反論しようとしたが、私の真剣な、そして一切の揺らぎのない瞳を見て、何かを察したように口をつぐんだ。
そして、深いため息をついた後、やや投げやりな、しかしどこか興味を抑えきれないといった様子で頷いた。
「…分かったよ。やってやる。だがな、これでまた変なとこにボールが行って、俺の腰でも痛めたら承知しねえぞ」
彼は、先ほど私が「奇跡の一打」を決めた時とほぼ同じような質の、やや浮き気味のツッツキを、私のフォア側へ送ってきた。
私は、集中力を極限まで高め、先ほどのインパクトの瞬間のラケット角度、ボールへの接触点、そして僅かな力の入れ具合を、脳内で完全に再現しようと試みる。
スーパーアンチラバーの面で、ボールの下を薄く、撫でるように。
トン…
ボールは、私のラケットに触れ、力なくネットに向かう。
しかし、先ほどとは異なり、ボールはネットの白帯にすら届かず、自コートにポトリと落ちた。
…失敗。インパクトが弱すぎたか。あるいは、ラケットの入射角が浅すぎた。
「ほらな、言わんこっちゃねえ。やっぱり無理なんだよ、あんなの」
部長が、少しだけ安心したような、それでいてどこか残念そうな声を出す。
私は、無言でボールを拾い、再び彼に同じようなボールを要求する。
二度、三度、十度、二十度…。
私は、憑かれたように、同じ状況からの「エッジイン・ネットイン」の再現を試み続けた。
結果は、惨憺たるものだった。
ネットにかかる。台の横に大きく逸れる。平凡なチャンスボールとなって部長にスマッシュされる。
稀にネットインすることはあっても、その後のエッジボールに繋がることは、ほぼ皆無だった。
体育館には、私の単調な打球音と、時折響く部長の「おい、まだやるのか?」「もう日が暮れるぞ」という呆れたような声、そしてあかねさんが心配そうに私を見つめる気配だけが満ちていた。
…駄目だ。成功の要因が特定できない。変数が多すぎる。
ボールの回転量、スピード、高さ、私の体勢、ラケットの角度、インパクトの強弱、タイミング…これらの組み合わせは無限に近い。
先ほどの一打は、やはり限りなく偶然に近い産物だったのか…。
私の額からは、玉のような汗が流れ落ちる。体力的な消耗よりも、この「再現できない」という事実が、私の精神をじわじవと削っていく。
私の卓球は、分析と再現性の上に成り立っている。この、コントロールできない「運」のような要素は、私の最も嫌うものだ。
「しおりさん…もう、今日はそれくらいにしたらどうですか? すごく疲れてるみたいですし…」
三島さんが、おずおずと声をかけてきた。彼女の瞳には、私の常軌を逸したとも言える執着に対する、純粋な心配の色が浮かんでいる。
「…まだです。」
私は、短く答える。諦めるわけにはいかない。一度でも成功したのなら、そこには必ず何らかの法則性があるはずだ。それを見つけ出すまで、私は…。
「静寂!」
不意に、部長が大きな声を出した。その声には、いつもの熱血とは異なる、真剣な響きがあった。
「お前のその執念は認める。だがな、今のお前は、ただ闇雲に同じことを繰り返してるだけに見えるぜ。お前の卓球は、もっと頭を使うもんだろうが。」
彼の言葉が、私の思考に突き刺さる。
闇雲に…? 確かに、今の私は、成功した時の感覚だけを頼りに、同じ動作を繰り返しているに過ぎないのかもしれない。それでは、データの蓄積にはなっても、新たな発見には繋がらない。
「…頭を、使う…」
私は、彼の言葉を反芻する。
「そうだ。例えばだ」と部長は続けた。
「さっきお前が成功させた時、俺のツッツキの回転量はどうだった? ボールの高さは? お前の立ち位置は? ラケットの角度だけじゃねえ、もっと多くの要素が絡み合って、あの一打が生まれたんじゃねえのか?」
彼の指摘は、的確だった。私は、あまりにもミクロな部分、インパクトの瞬間の技術に固執しすぎていたのかもしれない。
もっとマクロな視点、状況全体の変数を考慮に入れる必要がある。
…部長のツッツキの回転量、高さ、私の立ち位置、そしてその時の私の心理状態…。
確かに、それら全てが、あの「奇跡」の要因だった可能性がある。
「ありがとうございます、部長。少し、視点が変わりました。」
私は、初めて彼に対して、分析以外の感情…感謝に近い何かを感じながら言った。
「お、おう。まあ、俺も見てて飽きねえからな、お前のその変な卓球は。」
部長は、ぶっきらぼうにそう言うと、再び構えを取った。
「で、どうする?まだ続けるのか、その『運ゲー』の練習を。」
彼の言葉には、まだ少しの揶揄が含まれているが、その瞳の奥には、私の次の行動への興味が灯っている。
私は、ラケットを握り直し、深く息を吸った。
再現性の確認は、まだ終わらない。だが、アプローチを変える必要がある。
「…もう少しだけ、お願いします。今度は、少し条件を変えて試します。」
私の「異端」の探求は、この熱血漢の「部長」という、最高の「実験台」であり、そして時として鋭い「示唆」を与えてくれる存在と共に、まだ始まったばかりだった。
そして、三島あかねという「観察者」は、その全てを、静かに記録し続けている。




