VSサウスポー
静寂 2 - 0 田中
コートの上では、私の静かな、そして、残酷なまでの「実験」が、まだ始まったばかりだった。
サーブ権が相手の、田中選手へと移る。
彼女は、深く息を吸い込み、その動揺をなんとか、鎮めようとしているのが、見て取れた。
(…最初の二本のサーブで、彼女の思考ルーチンには、「モーションと球種、そしてコースは、全く信用できない」というデータが、刷り込まれたはずだ。ならば、彼女が次に、選択するのは…、自らが主導権を握りやすい、最も、得意とする、パターンだろう)
私のその予測通り、田中選手が放ったのは、彼女の、最大の武器である、カーブドライブへと繋げるための布石。
私のバックサイドへ、鋭く食い込んでくる、横回転サーブ。
私に、ループドライブで持ち上げさせ、そしてその返球を、得意の、フォアハンドで叩く、というサウスポーの、王道戦術だ。
(…あなたの、その、思考、完全に、読み切っています)
私は、そのサーブに対し、ループドライブを、選択しない。
ラケットを瞬時に、黒いアンチラバーの面に持ち替え、そして、台の上で、ボールのバウンドの、頂点を捉える。
デッドストップ。
私は、その得意な戦術の起点となるべき、回転を完全に殺し、そして、ボールを、ネット際に、ぽとりと、落とす。
「…っ!」
田中選手は、自分の描いた、勝利への式が、最初の一行目で、消去されたことに、驚愕の表情を、浮かべている。
彼女は、慌てて前に駆け込む。
そして、その死んだボールを、なんとかフリックで、返球してきた。
だが、その返球は、もはや威力もコースも甘い、ただの、チャンスボール。
私は、そのボールを冷静に、そして的確に、赤い裏ソフトの面で彼女のいない、オープンスペースへと、叩き込んだ。
静寂 3 - 0 田中
田中選手の、二本目のサーブ。
彼女は、今度は短い、ラリーを嫌ったのだろう。
先ほどとは一転、速いロングサーブを、私のバックサイド、深くへと送り込んできた。
(…なるほど。戦術を、切り替えてきたか。だが、それもまた、私の、予測の、範囲内です、なぜなら、そうするしかないのだから。)
私は、その速いサーブに対し、後退はしない。
むしろ、一歩前に踏み込み、そして、ラケットを、再び、黒いアンチラバーの面に、合わせた。
そして、ボールの威力を利用し、そして殺し、鋭いナックル性のプッシュで、相手のフォアサイド、ネット際に、短く、そして低く、返球した。
「なっ…!?」
強烈な、ドライブの、応酬を、予測していた、田中選手の体が、完全に固まる。
彼女は、慌てて、前に、駆け込む。
だが、その、死んだ、ボールを、持ち上げることは、できない。
彼女の、ラケットに当たった、ボールは、力なく、ネットを、揺らした。
静寂 4 - 0 田中
コートサイドで、未来さんが、感嘆の、息を、漏らしたのが、見えた。
「…すごい。しおりさん、相手の全ての戦術を、完全に、支配しています。田中選手は、もう、何を、すればいいのか、分からなくなっている…」
そうだ。
これこそが、私の、卓球。
相手の、思考を読み、その、前提を破壊し、そして、相手が、思考そのものを、放棄するまで、追い詰める。
私の「実験」は、今、完璧な、データを、収集し続けていた。