始まる二回戦
体育館には、再び試合の再開を告げる、アナウンスが、響き渡った。
「よし、じゃあ、分かれるか。」
部長が、チームを見渡し言った。
「俺と、あかねは、Bコートだ。しおり、未来お前らはDコートだな。二回戦も、絶対に、油断すんじゃねえぞ!」
「…はい。」
「…承知しています」
私と、未来さんが、頷く。
部長は、最後に、ちらりと葵の方を見た。その、表情は、まだ少し複雑そうだ。
「…日向も、そのなんだ。お疲れさん」
「…はい。ありがとうございます」
葵が、少しだけ、頬を、赤らめながら、丁寧に頭を下げた。
部長と、あかねさんが、Bコートへと、向かっていく。
その背中を、見送った後、私たちは三人でDコートへと、歩き出した。
私の隣には、未来さん。そしてそのさらに隣には、まるで、それが当たり前であるかのように、葵がぴったりと、くっついて歩いている。
「しおりの、二回戦の相手、東山中学の、田中さんだよね。」
「うーん。まあ、でも」
彼女は、そこで、一度言葉を切り、そして、私の顔を覗き込むようにして、絶対的な信頼を込めた瞳で、断言した。
「しおりなら、たぶん、楽勝だと思うよ!」
その、あまりにも、屈託のない、そして、根拠のない、断言。
未来さんが、その言葉に、ふふっ、と小さく笑みを漏らしたのが、分かった。
私の、思考ルーチンは、彼女の、その発言の危険性を、即座に、分析する。
(…楽勝。成功確率、100%を、意味する、言葉。だが、卓球という競技において、100%は存在しない。その、認識の欠如は時に、致命的なエラーを引き起こす…)
私は、立ち止まることなく、前を、見つめたまま、静かに、そして、諭すように、言った。
「……油断は、大敵です。」
そして、私は、ほんの、少しだけ、葵の方へと、視線を向けた。
その、瞳には、あの頃と、何も、変わらない、真っ直ぐな、光が、宿っている。
「……あなたは、本当に、昔から、変わりませんね、葵。」
私の、その、平坦な、声で、しかし、確かに、親しみを込めて、呼ばれた、自分の、名前に、葵は、一瞬、きょとんとした顔をした。そして、すぐに、太陽のように、嬉しそうな、笑顔を、見せた。
「えー、そうかな?でも、しおりは、強いもん!」
彼女は、そう言って、私の腕に、さらにぎゅっと、しがみついてくる。
その、あまりにも自然な、スキンシップ。
私の、思考ルーチンが、昔の古い記憶を呼び覚ます。
(…懐かしい、あの頃はこんなことになるなんて、思いもしなかったな…)
そんな、私の、内心など知る由もなく。
私たちは、三人で次の戦場となるコートへと、歩みを進めていく。
私の、新しい「日常」は、どうやら、これから、さらに、騒がしく、そして、予測不能な、ものに、なっていきそうだった。
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「…行くか、俺たちも」
俺がそう言うと、隣でまだ少し、呆然としていた、あかねが、はっと我に返った。
「あ、うん…!そうだね、部長先輩!」
俺たちは、Bコートへと向かって、歩き出す。
体育館の喧騒が、戻ってくる。
だが、俺の頭の中は、まだ先ほどの、あの異常な光景で、いっぱいだった。
(…日向 葵。とんでもねえ奴だな、あいつは…)
俺の、ただの励ましのつもりの、一言。
それに、あんな凄まじい剣幕で、食ってかかってくるとは。
しおりの卓球が「事故か、災害かのように、言うな」と。
彼女の、その言葉の奥にある、しおりへのあまりにも、深くそして、強い想い。
それは俺の想像を、遥かに超えていた。
(…だが、まあ、安心したよ)
俺は、内心で、そう、呟く。
(あいつが、昔から、ああいう、トゲトゲした、奴じゃなかったってことだけは、分かったからな)
もし、昔からああだったら、しおりの親友にはなれなかったはずだ。
つまり、あいつ自身もまた、しおりと離れていた、この数年間で、何か大きなものを抱え、そして変わってしまったということなのだろう。
そう思うと、少しだけあいつのあの、痛々しいほどの、気迫が理解できる、気もした。
「…あの、部長先輩」
隣を歩く、あかねが、おずおずと口を開いた。
その顔には、いつもの明るさはない。どこか、曇った、そして、不安そうな、色が、浮かんでいる。
「はい…。そう、なんですけど…。なんだろう、うまく、言えないんですけど…」
彼女は、言葉を、選ぶように、続ける。
「あの人、しおりちゃんのこと、すごく、すごく、大事に、想ってるのは、伝わってきました。でも、なんだか…見ていて、少し怖かった、というか…」
「…しおりちゃんが、なんだか、私の、知らない、遠い、場所へ、行っちゃうような、そんな、気がして…」
その、あかねの、か細い声。
その、「もやもや」とした、感情の正体を、俺は、よく、知っていた。
それは、「嫉妬」という、名前の感情だ。
自分の、一番、大切な、友達の、隣に、自分の、知らない、そして、自分以上に、その子のことを、知っている、人間が、現れた時の、どうしようもない、焦燥感。
俺は、歩きながら、あかねの頭に、ぽん、と大きな手を、置いた。
「…心配すんな、あかね。あいつは、ここにいる。俺たちの、チームにだ」
俺は、できるだけ、力強い声で、言った。
「それに、お前の、その心配する気持ちがある限り、しおりは、どこへも、行かねえよ。あいつには、お前が、必要だ。俺も、未来も、そう思ってる」
「…部長先輩…」
あかねの、瞳が、潤む。
「さて!」
俺は、わざと、大きな、声を出した。
「感傷に、浸ってんのは、ここまでだ!俺たちの、二回戦も、始まる!行くぞ、マネージャー!」
「――はいっ!部長先輩!」
俺の、その声に、あかねの顔に、ようやく、いつもの、明るい、笑顔が、戻った。
そうだ。これで、いい。
俺は、主将だ。
あいつらの、その複雑で、どろどろした、感情も、全部受け止めて、そして、チームを、前に、進ませる。
それが、俺の、役目なのだから。
俺は、気持ちを、切り替えて、Aコートへと、足早に、向かった。
「部長せんぱーい!そっちはAコートですよー!!」