トーナメント表
「しおりさん。次の、二回戦の、組み合わせが、出ています。確認に、行きましょう」
未来さんの静かな声で、私は、はっと我に返った。
私たちが、トーナメント表へと、向かう、その時だった。
「しおり!」
すぐ、隣から声がして、私の腕に、誰かの手が、そっと絡みついた。
驚いて、横を見ると、そこにいたのは、葵だった。
彼女は、試合が終わってから、ずっと、こうして、私の、すぐ、そばから、離れようとしない。
その、距離感は、昔、私たちが、まだ、ただの「親友」だった頃の、それと、全く、同じだった。
「次、誰と当たるの?私、知ってる子かもしれないから、見てあげる」
彼女は、そう言って、当たり前のように、私の、隣を、歩く。
その、私たちの、姿を、一歩、後ろから、歩いてくる、あかねさんが、どこか、寂しそうな、そして、ほんの少しだけ、不満そうな顔で、見つめていることに、今の、私は、まだ、気づいていなかった。
トーナメント表の前に、たどり着く。
未来さんが、冷静に私の次の対戦相手の名前を、指差した。
「…二回戦の、相手は、東山中学の田中 恵選手ですね」
田中 恵。
私の、データベースには、存在しない名前だ。
(…タブレットで、過去の試合データを検索して…)
私が、そう思考を、巡らせたその、瞬間だった。
「あ、田中さんだ。知ってるよ、その子」
私の隣で、葵がそう言った。
彼女のその言葉に、私だけでなく未来さんも、あかねさんも、驚いて彼女の顔を見る。
葵は、そんな私たちの視線など、意に介さず続けた。
「練習試合で、一度当たったことがある左利きの選手だよ。フォアハンドのドライブがすごくいやらしい、カーブを描くの。あと、バック側から、出してくる、横回転サーブ。あれが、結構、厄介だったな」
彼女のその言葉は、未来さんのデータ分析とは、また、違う。
実際に、対戦した者だけが、持つ体感という、極めて、質の高い、情報。
「…弱点は?」
私が、そう、尋ねると、葵は、待っていましたとばかりに、続けた。
「バックハンド。長いラリーになると根負けして、ミスが、増える癖がある。だから、彼女のフォアのドライブを、どう凌いで、バックを攻め続けられるかが、鍵になると思う」
「でも、しおりなら勝てる相手だと思うよ!」
葵が、当然だとも言うように宣言する。
(…なるほど。極めて、有益な、データだ)
楽観的なのか実際にそうなのか分からない宣言を横に、戦術を脳内で組み立てる。
未来さんが、感心したように、頷く。
「…貴重な、実戦データですね。私の、データと、組み合わせれば、より、精度の高い、戦術モデルが、構築できます」
あかねさんも、「そ、そうなんだ…!すごいね、日向さん…!」と、素直に、感心している。だが、その、声には、どこか、マネージャーとしての、自分の、役割を、奪われたかのような、ほんの、わずかな、寂しさが、滲んでいた。
私は、隣に立つ、葵の、顔を、見た。
その、瞳には、「どう?役に立った?」と、言いたげな、期待の、光が、宿っている。
彼女は、彼女なりの、やり方で、私の、力に、なろうとしてくれている。
「今の、あなたを、知りたい」という、彼女の、言葉。
それは、本気だったのだ。
私は、彼女に、向き直り、そして、静かに、告げた。
「……葵。」
その、呼び名に、彼女の、肩が、びくりと、震える。
「その、情報。参考に、させてもらいます。ありがとうございます」
私の、その、言葉に、彼女の、顔が、夕暮れの、空のように、ぱあっと、明るくなったのを、私は、見逃さなかった。