運ゲー
いくつかの派手さや意外性のある技の試行を一通り終えた後、私の探求心は、より地味で、しかし成功すれば相手の精神を確実に削り取るであろう、ある特定の技術へと向かっていた。
それは、卓球台の「際」を支配するという試み――「エッジイン・ネットイン・コントロール」
「部長。次は、ネット際、および台の端を狙った打球の精度を検証します。通常のラリーとは異なる軌道と球質になります。」
私が静かに告げると、部長は訝しげな表情を浮かべた。
「ネット際だぁ?エッジだぁ?静寂、お前、そんなもん狙って打てるわけねえだろうが。卓球は運ゲーじゃねえんだぞ。」
彼の言葉には、若干の侮蔑と、そして私の意図を測りかねるような困惑が滲んでいる。
「…確率の問題です。そして、その確率を、極限まで高めるための試みです。また、相手に『狙っているかもしれない』と意識させること自体が、戦術となり得ます。」
私は、冷静に反論する。
「へっ、理屈はご立派だがな…」
部長は、面白くなさそうに鼻を鳴らした。
「まあいい。お前のその『実験』とやらに付き合ってやる。だが、あんまり変なボールばっかり打って、俺をコケにするんじゃねえぞ。」
と、釘を刺すことも忘れなかった。
私は頷き、まず、彼に下回転のサーブを出してもらう。
私はそれを、スーパーアンチラバーの面で、ラケットを水平に近い角度で差し込み、ボールの下を薄く、そして短く「切る」のではなく「置く」ようなイメージで返球した。
狙うは、ネットの白帯すれすれ、相手コートの最も浅い位置。
トン…
ボールは、私のラケットに軽く触れた後、勢いを失い、まるで力尽きたかのようにネットに向かって落ちていく。
…そして、無情にもネットにかかった。
…失敗。インパクトの強さ、ラケットの角度、ボールの回転。全てがコンマ数ミリ、コンマ数度のズレで結果が変わる。
「おいおい静寂、今のじゃただのネットミスだぜ?」
部長が、少し呆れたような声を出す。
私は何も答えず、次のサーブを要求する。
同じように、スーパーアンチでネット際にボールを「置く」
今度は、わずかにボールが浮き、ネットを越えたが、相手にとって絶好のチャンスボールとなってしまった。
部長は、それを逃さず、強烈なフォアハンドで私のコートに叩き込んできた。
…これも失敗。高すぎた。相手の回転を完全に殺しきれていない。
あかねさんが、心配そうにこちらを見ている。
彼女のノートには、私の失敗の記録が刻まれていくのだろう。
私は、何度も何度も繰り返した。
ネットにかかる。浮いてスマッシュされる。台の横に大きく外れる。
成功する気配は、まるで見えない。
部長も、最初は面白がっていたが、次第に「おい静寂、本当にこれ、意味あんのか?」と、その声に苛立ちが混じり始めた。
だが、私の心は揺るがない。失敗のデータが蓄積されていく。その一つ一つが、成功への確率を、ほんのわずかずつだが、確実に高めていく。
そして、数十本目だっただろうか。
部長が放った、やや甘いツッツキに対して、私はスーパーアンチで、これまでで最も薄く、そして最も繊細なタッチでボールに触れた。ラケットとボールの接触時間はほんの僅か。
ボールは、まるで意思を持ったかのように、ネットの白帯の上を、するりと舐めるように通過し――
カツン。
乾いた、しかし確かな音が体育館に響いた。
ボールは、ネットインし、さらに相手コートのエッジぎりぎりに、信じられないような角度でバウンドし、コートの外へと消えていった。
「「…………え?」」
一瞬の静寂。
最初に声を上げたのは、あかねさんだった。
「い、今の…入りましたよね!?ネットインからの、エッジボール…!? し、しおりさん、今の、もしかして…」
彼女は、信じられないものを見たという表情で、目を丸くしている。
部長は、その場に立ち尽くし、ボールが消えていった方向を、ただ呆然と見つめていた。
そして、ゆっくりと私に視線を向けた。その瞳には、先ほどまでの苛立ちや侮蔑ではなく、純粋な驚愕と、そしてほんの少しの…恐怖にも似た感情が浮かんでいた。
「……静寂。お前…今のは……本気で、狙ったのか…?」
彼の声は、震えていた。
…成功。確率1%以下の事象が、現実のものとなった。だが、これはまだ、再現性のない「奇跡」に近い。
これを「技術」と呼ぶには、あまりにも多くの変数と不確定要素が残っている。
「…データの収集は、継続中です。」
私は、感情を排した声で、そう答えるのが精一杯だった。
しかし、私の内心では、この「奇跡の一打」が、私の「異端」の卓球に、新たな、そして非常に危険な可能性の扉を開いたことを、確かに感じ取っていた。
それは、相手を翻弄し、精神的に追い詰めるための、究極の「悪魔の囁き」のような技術になるかもしれない。
そして、それは同時に、私自身を、より深い孤独と、予測不能な領域へと誘うのかもしれない。




