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異端の白球使い  作者: R.D
ブロック大会編
317/674

過去との対話(9)

 試合終了のコールが、まだ、耳の奥で反響している。


 私は、ネットの向こう側で泣き崩れる、葵に、背を向け、ベンチへと歩き出した。


 勝った。


 私は、過去に、勝った。


 そして、私は、全てを、失った。



 私は、チームの控え場所から、少し離れた、観客席の、一番後ろの、誰もいない、一角に一人、座っていた。


 膝の上に置いた、ラケットの、冷たい感触だけが、ここが現実である、ということを、私に教えてくれる。


 私の思考ルーチンは、先ほどの、試合のデータを、何度も何度も、反芻していた。


(目的は、達成された。勝利は、確保された。だが、感情 「満足」は、起動しない。代わりに、「後悔」と「罪悪感」が…、なぜだ。これは、論理的な、矛盾…)


 私が、そう、自分自身に、問いを立てていた、その時だった。


 すぐ、隣に、人の、気配がした。


 私は、驚いて、顔を上げた。


 そこには、日向 葵が、立っていた。


 その瞳は、試合直後の涙で、少しだけ赤くなっている。だが、そこにはもう、あの私を、射抜くような、激しい光はない。


 ただ、嵐が、過ぎ去った後の、朝の空のように、どこまでも静かで、そして、穏やかな光が、宿っていた。


「……隣、いいかな?」


 彼女の、その、静かな問いに、私は、言葉を失った。


 ただ、こくりと、頷くのが、精一杯だった。


 葵は、私の隣に、少しだけ距離を、空けて、静かに腰を下ろした。


 しばらく、二人で言葉もなく、眼下で繰り広げられる、他の、試合を、眺めていた。


 先に沈黙を、破ったのは、彼女だった。


「…強かった。本当に、強かったよ、しおり。」


 その声には、もう憎しみも、嫉妬も、何もなかった。


 ただ、純粋な、アスリートとしての、敗北宣言と、そして、勝者への敬意だけが、込められていた。



「私、ずっと、間違ってたみたい」


 彼女は、続ける。


「私は、あなたを、昔の私の知ってるしおりに、戻したかった。でも、違ったんだね。今の、あなたも、全部、あなたなんだ。」


 その、言葉に、私の、思考が、一瞬、停止する。


「だから、もう、壊そうなんて、思わない」


 葵は、そこで、一度、言葉を切り、そして、私の方へと、真っ直ぐに、向き直った。


 その、瞳には、新しい、そして、とても、強い、決意の、光が宿っていた。


「その代わり…あなたのこと、もっと、知りたいな。今の、あなたの、ことを。」


 それは、私が、全く、予測していなかった、言葉。


 彼女の、その、あまりにも、真っ直ぐな、そして、温かい、言葉。


 私の、心の、奥底にある、氷の壁が、ほんの少しだけ、ミシリ、と、音を立てたような、気がした。


 私は、彼女の、ベンチに、置かれた、その、小さな、手へと、視線を落とした。


 その、手。


 私が、あの日、振り払った、手。


 二度と、触れることは、許されないと、私自身が、決めた、はずの、温かい、手。


(…もし)


(もし、彼女が、今の、この、壊れてしまった、私を、それでも、受け入れて、くれると、言うのなら)


(私が、捨ててきた、過去を。私が、振り払ってしまった、その手を、もう一度、手に、取ることが、許されるのだろうか…?)


 私の、思考ルーチンが、初めて、論理ではない、「希望」という、パラメータに基づいて、シミュレーションを、開始する。


 私は、ゆっくりと、そして、震える、自分の手を、伸ばした。


 そして、その、彼女の、小さな、手の上に、そっと、自分の、手を、重ねた。


 葵の、肩が、びくりと、震える。


 彼女は、信じられない、といった顔で、重ねられた、二つの、手と、そして、私の顔を、交互に見ている。


 私は、その、手の、温かさを、確かめるように、静かに、そして、ほとんど、自分にしか、聞こえないような、声で、呟いた。


 私の、人間性が、氷の仮面の、亀裂から、ほんの少しだけ、顔を、覗かせた、瞬間。


「………あおの、手は…」


「……温かい、ですね」



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