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異端の白球使い  作者: R.D
ブロック大会編
315/674

過去との対峙(11)

 静寂 10 - 6 日向


 ああ。


 ついに、この瞬間が、来てしまった。

 私の、この長くて、そして苦しかった戦いが、終わってしまう。


 私は、顔を上げた。

 ネットの向こう側で、しおりが静かに、そして冷たく、私を見つめている。

 その、氷の仮面の下の、本当の、あなたは、今、何を、思っているの…?

 私の、想いは、少しでも、あなたに、届いたの…?


 その、答えを、求めるように、私は、ただ、じっと、彼女の、その、深淵のような、瞳を、見つめ返していた。

 サーブ権は、しおり。

 これが、本当の、最後の一球になるかもしれない。


 私の全身の細胞が、悲鳴を上げている。

 諦めるな、と。

 まだ、終わらせるな、と。

 私は、ラケットを、強く、強く、握りしめた。

 震える、足に、力を、込める。


(見ていて、しおり。これが、私の、最後の、想いだから)


 しおりが、サーブの、構えに入る。

 彼女は、天高くボールをトスする。


 高く、高く、舞い上がっているボール。

 その落下してくるボールに対し、彼女は、ラケットの赤い裏ソフトの面を、はっきりと、私に見せつけるように、大きなテイクバックのモーションに構える。



(……!最後の、最後で、彼女は、私との、打ち合いを、選んでくれた…!)


 私の心に、一瞬だけ、歓喜の炎が灯る。

 そうだ、これこそが私が望んでいた、対話の、形!

 私は彼女のそのサーブを、全身全霊で、打ち返すために、体勢を低く落とした。


 だが。


 彼女は、魔女だった。


 インパクトの、その直前。

 彼女の、ラケットが、自然に回転し黒いラバーが覗く、そして、角度を、変える。

 それは、ボールを擦り上げるための角度ではない。

 ボールの、真後ろを、無機質に、そして、効率的に、「押し出す」ための、角度。

 ラケットの面に、当たったボールは、一見下回転にみえる、しかし、弧を、描かない。


 それは、私が、今まで、見たことのない、あまりにも、異質な、弾道だった。

 下回転のサーブモーションから放たれる、しかし、一切の、回転を、持たない、無慈悲な、弾丸。

 超低空のナックルロングサーブ。


 ボールは一直線に、そして静かに、私のコートの隅へと、突き刺さった。


 私はもう、そのボールに、反応することすら、できなかった。

 ただ呆然と、その、白い軌跡が、私の横を、通り過ぎていくのを、見送るだけだった。


 …予測不能の魔女。


 静寂 11 - 6 日向


 試合終了


 終わった。

 私の戦いは、終わった。

 私は、ラケットを落とし、その場に、崩れ落ちるように、膝をついた。


(…届かなかった…)


 私の、声も、想いも、記憶も…全部、あの氷の壁の前では、無力だったんだ。

 私が愛した、あの太陽のようなしおりは、もう本当に、どこにもいないんだ。

 私が、救おうとしていたものは、ただの、私の過去の幻想だったんだ。


 瞳から、熱い、何かが、止めどなく、溢れ出してくる。

 悔しい、とか、悲しい、とかそんな単純な感情じゃない。

 もっと、深くて、そしてどうしようもない、絶対的な喪失感。

 もう、何もかもどうでもいい。


 私は、そう、全てを諦めようとしたその時だった。


「……ごめんなさい、あお」


 すぐ、近くで聞こえた、その声。

 あまりにも小さく、そして、か細く、そしてあまりにも、懐かしい響き。

 私は、はっと、顔を上げた。


 ネットの、すぐ、向こう側。

 しおりが、私に、背を向け、自分の、ベンチへと、歩き去ろうとしていた。

 彼女の、その、小さな、背中が、ほんの、わずかに、震えているように、見えた。

 そして、彼女の、その、横顔。


(…え…?)


 氷のように冷たい、その仮面。

 その仮面の下の彼女の瞳から、一筋光るものが、零れ落ちていくのを、私は確かに見た。

 彼女は、泣いていた。

 勝利した、彼女が、なぜ。


 その、瞬間、私は理解した。

 あの、最後の、サーブ。

 あの、あまりにも冷徹な一撃。

 それは、私を突き放すための、拒絶ではなかった。

 あれは、彼女なりの、悲痛な叫びだったのだ。


(「昔の私を求めるのは、もう、やめて」)

(「今のこの冷たい私しか、生きる術を、知らないの」)

(「だから、ごめんなさい」と)


 彼女は、私を、拒絶することで、自分自身を、守っていた。

 そして、その選択が、彼女自身を、深く深く、傷つけていたのだ。


(…そうか。あなたは、ずっと、一人で、泣いていたんだね)


 私が、知らなかった、空白の時間。

 彼女が、たった、一人で、耐えてきた、絶望の深さ。

 私は、何も、分かっていなかった。

 救う、だなんて、なんて、思い上がりだったんだろう。


 でも。

 でも、確かに見えた。

 あの、氷の仮面の下の、あなたの本当の姿。

 傷つき、怯え、そして、それでも必死に立っている、一人の、泣き虫な女の子。


(…そっか。あなたは、まだ、そこにいたんだね、しおり)


 私の、心の中に、温かい、何かが、静かに、広がっていく。

 試合には、負けた。

 私の、救済は、失敗した。

 でも、いい。

 それで、いい。


 私は、涙を拭い、そして、立ち上がった。

 ラケットを、強く、握りしめる。


(大丈夫だよ、しおり)

(あなたの、その仮面。私が、いつか絶対に、取り払ってあげる)

(でも、それは壊すんじゃない)

(あなたの、その中の、本当のあなたが、自分の力で、その仮面を外せるようになるまで)

(私は、何度でも、何度でも、あなたの、隣で、戦い続けるから)


 私は、決意した。

 今の、この氷の仮面を、被った不器用なあなたを、丸ごと、好きになる、努力を、しよう、と


 それが、私の、新しい、本当の「救済」の始まりだった。

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