過去との対峙(10)
静寂 6 - 1 日向
初めて、このセットで奪った一点。
それは、勝利への一点ではない。
私の想いが彼女に届いたという、何よりも確かな証。
私は、汗を拭い、そして次のサーブへと入る。
そうだ。
私の、本当の「救済」はここから始まるのだ。
諦めない。
絶対に。
あなたが、再び笑ってくれるその日まで。
サーブ権はまだ私にある。二本目。
私の心には、もう焦りも怒りもない。
ただ、純粋に「ここにいるよ」と、伝えるためのボールを打つだけだ。
私は、強い、下回転をかけた、サーブを、彼女の、コートへと、送った。
ラリーが、始まる。
彼女は、またあの忌まわしい黒いラバーで、私の想いをいなしてくる。
ナックル、スピン、ストップ、そして、カット。
変幻自在の技の数々。
でも、もう私は惑わされない。
私は、ただひたすらに、ボールに食らいついた。
一点、一点、取られても、いい。
無様に、コートを、走り回っても、いい。
ただ、一球でも多く、あなたとボールを、打ち合いたい。
一球でも多く、私のこの想いを、あなたに届けたい。
私の、そのあまりにも、真っ直ぐなプレー。
それが、逆に彼女の思考を、僅かに乱したのかもしれない。
私が、捨て身で放った、ドライブが、彼女のブロックを弾き飛ばした。
静寂 7 - 2 日向
静寂 7 - 3 日向
スコアは、相変わらず開いたままだ。
でも、不思議と心は折れなかった。
むしろ、ラリーが続くたびに、私の心は満たされていくようだった。
そうだ。私は、こうやって、あなたと向き合いたかったんだ。
だが、彼女は、そんな私の感傷など、お構いなしに、その冷徹な卓球を、続けてくる。
静寂 7 - 5 日向
彼女の、サーブ。
ハイトスからの、偽装モーション。
私の思考が、一瞬停止する。
その隙を、見逃さず、彼女は的確にポイントを奪っていく。
静寂 8 - 5 日向
静寂 9 - 5 日向
(…強い。あなたは、本当に強いんだね、しおり)
(でも、私も、もう、逃げない。あなたから、目を、逸らさない)
サーブ権が、私に、移る。
私は、もう一度、想いを込めて、サーブを打つ。
ラリーになる。
長い長い、ラリー。
私の、足は、もう限界に近い。
肺が、焼き切れそうだ。
でも、私は、ラケットを振り続ける。
(私は、ここにいるよ!)
その、声にならない、叫びが、届いたのだろうか。
私の、渾身の、一撃が、コートの、隅を、捉えた。
静寂 9 - 6 日向
だが、次の、一点。
私の、サーブからの、ラリー。
その、5球目だった。
私が、ドライブを、打とうとした、その瞬間。
彼女が、ふっと台から下がり、あのカットの、体勢に入った。
私の、思考が、一瞬停止する。
その、隙を、彼女は見逃さなかった。
カットと見せかけた、その体勢から、彼女は一気に前に踏み込み、カウンターのスマッシュを、私のコートに叩き込んできた。
静寂 10 - 6 日向
マッチポイント、しおり。
ああ。
ついに、この瞬間が、来てしまった。
私のこの長くて、そして苦しかった戦いが、終わってしまう。
私は、顔を上げた。
ネットの向こう側で、しおりが、静かに、そして、冷たく、私を見つめている。
その、氷の仮面の下の本当のあなたは、今何を思っているの…?
私の想いは、少しでも、あなたに届いたの…?
その答えを、求めるように、私は、ただじっと、彼女のその、深淵のような瞳を、見つめ返していた。