過去との対峙(4)
静寂 10 - 10 日向
追いついた。
あの、7-3という、絶望的なスコアから。
私の声が、私の想いが、やっと、あなたに届き始めた。
ネットの向こう側で、しおりが、静かに息を整えている。
その、氷の仮面には、ほんのわずかに、動揺の色が浮かんでいるように、私には見えた。
そうだ。それで、いい。
もっと、あなたの心を、揺さぶってあげる。
あなたが、忘れてしまった本当の、感情を思い出させてあげる。
サーブ権は、しおり。
彼女が、放ったのは、あの忌まわしいナックル性の、ショートサーブ。
だが、もう私は、惑わされない。
私は、その死んだボールに、駆け込み、そして私の、全ての、想いを乗せて、ドライブを叩き込む!
――しおりぃぃっ!
私の心の叫びが、ボールに乗り移る。
しおりは、その、私の、ドライブを、また、アンチラバーで、ブロックする。
だが、そのブロックは、今までの、それとは違う。
ほんのわずかに、ボールが甘く、浮き上がった!
(見つけた…!)
あなたのその、仮面の下の、ほんの一瞬の迷い。
私は、その、チャンスボールを、見逃さない。
渾身の、フォアハンドスマッシュが、彼女のコートを、撃ち抜いた!
静寂 10 - 11 日向
セットポイント、私!
よしっ!あと一点!
この一点を取れば、あなたのその、頑なな心の扉を、こじ開けることができるかもしれない!
サーブ権は、私。
(しおり。この、一球で、あなたを、救ってあげる…!)
私は、渾身の力を込めて、ロングサーブを放った。
だが、しおりはその私の想いを、嘲笑うかのように、冷静だった。
彼女は、そのサーブを、アンチラバーで、いとも簡単に、いなす。
そして、ラリーの中で、私の焦りから、生まれた、ほんのわずかな隙を、的確に突いてきた。
私の返球が、ネットに、かかる。
静寂 11 - 11 日向
(…そうやって、また、心を、閉ざすんだね。でも、無駄だよ。私が必ず、その扉を、こじ開けてあげる!)
サーブ権は、しおり。
彼女は、今度もまた、あの心を削り取るような、ナックルとスピンのコンビネーションで、私を、揺さぶってくる。
私は、必死に、食らいつく。
長い、長い、ラリー。
だが、最後は、私の、ドライブが、ほんの数ミリ、高さが足りず、ネットに引っ掛かってしまった。
静寂 12 - 11 日向
セットポイント、しおり。
(…まだだ。まだ、終わらない…!)
サーブ権は、私。
私は、もう一度全ての想いを、この一球に込めた。
捨て身の、ドライブの、応酬。
そして、その想いが通じたのか、私の放ったスマッシュが、台の端を僅かにかすめ、エッジボールとなった。
静寂 12 - 12 日向
三度目の、デュース。
(見てる、しおり?これが、私の、想いだよ!)
だが。
次の、しおりのサーブ。
それは、私の知らない、新しい、サーブだった。
ハイトスから、放たれる、予測不能な、ナックル。
私の、体が、反応できない。
静寂 13 - 12 日向
そして、次の、私のサーブ。
私は、もう一度、想いを、込めて、打つ。
ラリーになる。
打ち合う。
叫ぶ。
しおり、と。
だが、その、私の、渾身の、一撃は、彼女の、あの、黒い、アンチラバーの、壁に、吸い込まれ、そして、力なく、私の、コートへと、返ってきた。
私は、もう、そのボールを、拾うことが、できなかった。
静寂 14 - 12 日向
…待って。
スコアは、私の、記憶と、違う。
13-13
そう、あなたの、メモには、書かれていたはず。
そうだ、あの、13-12の、私のサーブ。あれは、入った。そして、ラリーの末、私が、ポイントを、取ったのだ。
13-13。
そして、しおりのサーブ。それを、私が、レシーブエースで、奪い返す。
13-14。私の、セットポイント。
そうだ。私は、勝っていたはずなんだ。
なのに、なぜ。
目の前の、スコアボードは、「14-12」で、しおりの、勝利を、告げている。
第一セットは、終わった。
私は、負けた。
私の、「救済」は、届かなかった。
でも、いい。
私は、ラケットを、握り直し、そして、ネットの向こう側の、しおりを強く強く、睨みつけた。
(…今の、あなたは、確かに、強かった)
(でも、あなたの、その、氷の仮面。私が、想いを、ぶつけるたびに、ほんの、少しだけ、ひび割れていくのが、見えた)
(大丈夫。次のセットで、必ず、その仮面を、全部、剥がしてあげるから)
(待っていてね、私の、しおり)