異端者(3)
一人の先輩が、少し戸惑った様子でこちらに近づいてくる。彼は、ごく一般的な裏ソフトの両面攻撃型に見えた。私の異質なスタイルが、彼にどのようなプレイを強いることになるか。
私は、ラケットを握り直し、卓球台の前に立った。ここから始まる。私の、中学校での卓球生活が。私がこの世界で自身の価値を証明する物語が。そして、その輝きが、いつか悪夢へと繋がる物語が。
「よろしく。」先輩は、少し強張った表情でそう言った。
「よろしくお願いします。」私は簡潔に答えた。
お互いに礼をし、試合同様の形式でラリーを開始する。
先輩のサーブ。ごく一般的な下回転ロングサーブだ。私はそれに対し、裏ソフトで軽く合わせた。ボールはネットを越え、先輩のコートへ返る。先輩は、それをドライブで返してきた。鋭い回転とスピード。
しかし、私の目には、その打球の軌道、回転の向き、そして着弾地点が明確に映し出されていた。
私は、ラケットを一瞬持ち替え、スーパーアンチでそのドライブをブロックした。打球音は鈍い。しかし、返されたボールは、先輩が予測していた回転とは全く異なる、無回転のブロックとなった。
「!?」
先輩の顔色が変わる。ラケットを合わせた瞬間、ボールが滑ったのだ。先輩は体制を崩し、返球がネットにかかった。
1点目。私のポイントだ。周囲で見学していた他の新入生や部員たちからも、小さなざわめきが起こった。
「なんだ、今の球…?」
「回転が、おかしいぞ…」
先輩は、明らかに戸惑っている。次のサーブは、短く切れた下回転。私はそれに対し、再びラケットを持ち替え、裏ソフトでチキータ気味に払った。通常のチキータとは異なる、僅かに不規則な軌道を描くボール。先輩は反応するが、ラケットに当たったボールは、サイドを切れてアウトになった。
2点目。再び私のポイントだ。先輩の困惑は深まっている。周囲のざわめきは、さらに大きくなった。顧問の先生も、腕を組み、真剣な表情で私たちの試合を見つめている。
…異質さへの対応は、容易ではない。特に、私の持ち替えは、モーションからは判別できない。ラバーの特性と組み合わせることで、相手の予測を外す確率は飛躍的に上昇する。
先輩は、焦り始めたのか、強引に攻めようとする。フォアハンドで力強いドライブを連打してきた。私は冷静に、スーパーアンチでブロックし続ける。鈍い打球音。しかし、返されるボールは、回転が消えたり、不規則な変化をしたりする。先輩は、その変化に対応できず、ミスを重ねていく。
時折、私は持ち替えからの裏ソフトで、鋭いドライブを放つ。予測不能なタイミングとコースからの攻撃に、先輩は反応しきれない。
試合は一方的に進んでいった。先輩は、私のスタイルに対応しようと、サーブを変えたり、コースを突こうとしたり、様々な手を尽くしたが、私の冷静な分析と、異質な打球は、彼の全ての試みを無効化した。
私は、感情を表に出さずに、淡々とプレイを続けた。1点、また1点と積み重ねていく。スコアは大きく離れていった。
そして、最後のポイント。先輩の打ち上げたボールに対し、私は迷わず持ち替え、裏ソフトで強烈なスマッシュを打ち込んだ。白球は、先輩のコートの端に突き刺さる。
「ありがとうございました。」
私は、簡潔に礼をした。
先輩は、呆然とした表情で卓球台を見つめている。そして、ゆっくりとラケットを下ろした。彼の顔には、敗北の悔しさよりも、目の前で起こったことが理解できない、困惑の色が濃く浮かんでいた。
周囲の部員たちも、静まり返っている。そして、一斉に私に視線を向けた。驚き、感心、そして、かすかな畏怖。彼らの視線が、私の異質さを明確に物語っていた。
顧問の先生は、しばらく黙って私を見ていたが、やがて口を開いた。「…静寂さん。君の卓球は…」言葉を選んでいるようだった。「…興味深い。非常に興味深い。」
卓球部での最初の一歩。それは、私の「異端」が周囲に認識された瞬間だった。そして、孤独な道のりの始まりでもあった。この輝きが、いつか悪夢へと繋がるなど、この時の私は知る由もなかった。