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異端の白球使い  作者: R.D
特別練習編
293/674

異端者の独白(5)

 家のドアを開け、一歩、足を踏み入れた瞬間、私の世界は、いつもの、完全な「静寂」に包まれた。

 日中の、あの、体育館の喧騒と熱気が、まるで、遠い世界の出来事だったかのように、急速に、色を失っていく。

 私は、買ってきた、栄養バランスだけを考慮した、簡素な夕食を、機械的な動作で、胃に収めた。

 シャワーを浴び、髪を乾かす。全てのルーティンを、完璧に、こなしていく。

 だが、私の思考ルーチンだけが、静寂を取り戻すことを、拒絶していた。

 今日の練習で得られた、膨大な、そして、あまりにも、興味深いデータ。

 高坂選手の、その、驚異的な対応力。

 未来さんの、私の「異端」の本質を、的確に言語化する、その、鋭い分析力。

 そして、部長と、後藤選手の、あの、非合理的で、しかし、確かに、何かを変えた、魂の「対話」。

 それらの、新しい「変数」が、私の脳内で、猛スピードで、駆け巡り、システム全体に、微かだが、心地の良い、オーバーヒートを引き起こしている。

(…練習の熱が、収まらない)

 私は、気づけば、家の、一番奥にある、私だけの「実験室」のドアを開けていた。

 部屋の中央に、ぽつんと、置かれた、一台の、卓球台。

 その向こう側には、高性能の、卓球マシン。

 私は、そのマシンの、電源を入れた。

 ウィーン、という、静かな起動音と共に、マシンが、規則正しいリズムで、ボールを、こちらへと、射出し始める。

 コースは、フォアサイド。球種は、強烈な下回転。

 今日の練習相手であった、高坂選手や、後藤選手の、あの、重いドライブを、シミュレートした、設定だ。

 私は、ラケットを、握りしめた。

 そして、飛んで来るボールに対し、体を、素早く、動かす。

 その動きは、もはや、私の、手癖のようになっていた。ラケットが掌の中で半回転する。

 私は、飛んで来るボールを、黒いアンチラバーの面で、捉えた。

「トン」という、硬質で、そして、全く響かない、無機質な音。

 ボールは、回転を失い、ネット際に、ぽとりと、落ちる。

 デッドストップ。

 マシンが、次のボールを、射出する。

 私は、再び、ラケットを半回転させ、今度は、赤い裏ソフトの面で、ボールの、真横を、鋭く、捉えた。

「シュッ」という、鋭い摩擦音と共に、ボールは、横回転をかけられ、サイドラインぎりぎりへと、曲がっていく。

 サイドスピン・ストップ。

(高坂選手。彼女は、この、私の『マルチプル・ストップ戦術』に、最終的には、対応してきた。彼女の、あの、『モーションを無視し、インパクトの瞬間のみを観測する』という、究極の、対応策…。ならば、こちらも、さらに、その上を行く、新たな『情報偽装』のパターンを、構築する必要がある)

 マシンが、三球目を、射出する。

 私は、今度は、台から、一歩、下がる。

 そして、未来さんから、その「解」を、教わったばかりの、新しい武器を、試す。

 未来さんの、あの、力強いドライブが、脳裏に、蘇る。

 私は、彼女の、そのボールを、思い出しながら、マシンが放つ、無機質なボールを、カットする。

 黒いアンチで、回転を「殺す」。

 赤い裏ソフトで、回転を「生かす」。

 そして、常に、カウンター攻撃を、狙う、体勢。

(未来さん。彼女は、私の、この戦術の本質を、誰よりも、正確に、理解していた。彼女の分析能力…私と、同質、あるいは、それ以上か。彼女という変数は、私の思考ルーチンにとって、最大の『共鳴者』になり得る)

 マシンが、四球目を、射出する。

 私は、そのボールを、ただ、見つめていた。

 そして、そのボールに、部長と、後藤選手の、あの、壮絶なラリーの、光景を、重ねていた。

(そして、あの二人…。あの、非合理的な、エネルギーの放出。勝利という目的を、放棄した、ただの、感情の応酬。しかし、その結果、二人の間の、関係性パラメータは、明らかに、改善された…。理解できない。だが、観測された、事実だ)

 分からない。

 分からないことだらけだ。

 私の、完璧なはずだった、ロジックの世界が、この、数日間で、出会った、あまりにも、人間的な、そして、解析不能な、変数たちによって、静かに、しかし、確実に、侵食されていく。

 だが、不思議と、不快では、なかった。

(もっとだ。もっと、データが、必要だ)

 私は、マシンの、設定を、さらに、複雑なものへと、切り替えた。

(私の『異端』を、さらに、進化させるために)

(高坂の『王道』を、打ち破るために)

(未来の『異質』と、対話するために)

(そして、部長たちの、あの、解析不能な『感情』を、いつか、私のロジックで、理解するために)

 私の実験は、まだ、始まったばかりなのだから。

 静かな、私だけの部屋に、ボールの、乾いた音だけが、いつまでも、いつまでも、響き渡っていた。

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