特別練習・二日目(5)
私の、新しい戦術は、完璧に機能していた。
高坂選手ほどの、強者が、面白いように、私のカットに、翻弄されていく。
強烈な下回転と、全く回転のない、ナックルカット。その、悪夢のような、二択の地獄。
彼女の、あの、鉄壁を誇るはずのドライブに、次々と、エラーが生まれていく。
(…この戦術の、有効性は、証明された。対、王道ドライブマンへの、キラーコンテンツと、なり得る)
私の思考ルーチンが、その、満足すべき、結論を弾き出した、その時だった。
ネットを挟んだ、向こう側。
高坂選手の、雰囲気が、がらりと、変わったのだ。
それまでの、焦りと、混乱の色が、すっと、その瞳から消え去り、代わりに、まるで、嵐の前の、静けさのような、極限まで研ぎ澄まされた、集中の光が宿っていた。
彼女は、私のカットを、再び、ドライブで打ち返してきた。
私は、予定通り、そのドライブに対し、ラケットを反転させ、黒いアンチラバーの面で、ナックルカットを、返球する。
体を大きく使った、強烈な下回転をかける時と、全く同じ、モーションで。
これまでなら、彼女は、このモーションに、惑わされていたはずだった。
しかし。
(…待って。落ち着け、私。この感じ…この、体の大きな動きで、惑わせてくる感じ…)
高坂さんの思考が、高速で、回転していた。
(そうだ。さっきの、サーブと、全く、同じじゃない…!)
(彼女の、あの、大袈裟な、演劇みたいな、体の動きは、全部、嘘。フェイクだ。見るべきは、そこじゃない。信じるべきは、一つだけ…!)
(――インパクトの瞬間の、ラケットの面!そして、ボール、そのもの!)
彼女の瞳は、もはや、私の、体を大きく使った、派手なモーションには、一切、惑わされていなかった。
その視線は、レーザー光線のように、私の手元と、そして、そこから放たれる、白いボール、その一点だけに、全神経を集中させていた。
私が、黒いアンチラバーの面で、ボールを捉えた、その瞬間。
彼女は、それを、完璧に、見抜いた。
そして、ループドライブを打つために、開きかけていた、ラケットの角度を、瞬時に、修正する。
回転のないボールを、的確に、ミートするための、最適な、角度へと。
「タンッ!」という、確かな音と共に、ボールは、深く、そして、安定して、私のコートへと、返球された。
それは、攻撃的な返球ではない。だが、これまでの、凡ミスとは、全く質の違う、完璧に「対応」された、一球だった。
(…見破られた、か)
私の思考が、即座に、次のパターンへと移行する。
ならば、と、今度は、赤い裏ソフトの面で、強烈な下回転カットを、繰り出す。
だが、高坂選手は、その、ラケット面の色の違いと、インパクトの瞬間の、ほんのわずかな、ラケットの角度の変化を、見逃さなかった。
彼女は、今度は、下回転を、持ち上げるための、完璧なフォームで、そのボールを、力強いドライブで、打ち返してきたのだ!
私の「幻惑」は、彼女の、その、あまりにも純粋で、そして、強靭な「集中力」と「洞察力」の前に、その効果を、急速に、失い始めていた。
私の、一方的な「実験」の時間は、終わりを告げたのだ。
ここからは、対等な、選手と、選手との、真剣勝負。
体育館の隅で、その、あまりにも高度な、攻防を見ていた、未来さんが、静かに、そして、どこか、嬉しそうに、呟いた。
「…また、見破った。高坂さんは、しおりさんの『魔術』の、その本質が『視線誘導』と『情報偽装』であることを見抜き、その対抗策として、ボールとラケットの接触点のみを見る、という、最も、合理的で、そして、困難な解答を、導き出したんですね」
私の思考ルーチンが、警鐘を鳴らす。
私は、ネットの向こう側で、再び、闘志の炎を、その瞳に、爛々と燃やす、高坂選手を見つめた。
そうだ。そうでなくては、面白くない。