特別練習・二日目(2)
しおりと、山吹の高坂が打ち合う、甲高い音。
体育館の奥のコートから響いてくるその音は、俺の、そして、おそらくは、体育館にいる全員の、意識を惹きつけていた。
王道と、異端。二つの才能が、火花を散らす。見ているだけで、胸が熱くなる、最高の練習風景だ。
俺は、壁に寄りかかり、腕を組んで、その光景を眺めていた。
その、俺の数メートル横に、後藤が、同じように、壁に寄りかかって立っている。
俺たちは、ここに来てから、まだ、ほとんど、まともな会話を交わしていない。
だが、不思議と、気まずさだけではなかった。同じものを、同じ熱量で、見つめている。ただ、それだけで、空白だった時間が、少しだけ、埋まっていくような、そんな感覚があった。
彼女らの打ち合いが終わり休憩にはいる、その時
穏やかな空気を、壊したのは、些細な、しかし、あまりにも、聞き覚えのある、不快なノイズだった。
「…ていうかさ、静寂さん、やっぱ、なんか、ズルくない?」
「分かるー。見てて、あんまり、綺麗な卓球じゃないよね…」
声のした方へ、視線を向ける。
一年生の、女子部員が、二人。休憩しているのか、壁際で、ひそひそと、しかし、明らかに、しおりの方を見ながら、声を潜めて、話している。
その瞬間、俺の、血の気が、引いた。
あの光景。あの、ひそひかな囁き声。あの、無責任な、好奇と、悪意が混じった、視線。
俺は、それを、知っている。
何度も、何度も、見てきた。
そして、その視線が、一人の、太陽みたいだった、俺たちの仲間を、どうやって、壊していったのかを。
「……おい、猛。」
隣から、後藤の、低く、そして、怒りに、震える声が、聞こえた。
見ると、あいつは、壁に寄りかかっていた体を、起こし、その拳を、白くなるほど、強く、握りしめていた。
普段は、誰よりも冷静で、俺のブレーキ役であるはずの、こいつが。
今、その瞳には、あの日の、後悔と、そして、抑えきれないほどの、激しい怒りの炎が、宿っていた。
「…あいつら…!」
後藤が、一歩、前に、踏み出そうとした。
あの、陰口を叩いている、一年生たちの元へ、今にも、飛び出していかんばかりの、気配。
「――待て、後藤」
俺は、咄嗟に、あいつの肩を、強く、掴んだ。
俺だって、腹の底が、煮え繰り返るような思いだ。今すぐ、あの一年生たちの胸ぐらを掴んで、怒鳴りつけてやりたい。
だが、俺は、主将だ。そして、あいつは、他校の、客人。
ここで、俺たちが、動くわけには、いかねえ。
「…離せ、猛!ああいう、くだらねえ、悪意が…!風花を…!」
「分かってる!俺だって、同じ気持ちだ!だが、俺たちが、今、ここで、騒ぎを起こすわけには、いかねえだろうが!」
俺たちは、声を殺し、睨み合う。
どうすればいい。俺が、主将として、あの一年生たちを、指導すべきなのか。いや、それでは、余計に、しおりのことを、特別扱いしていると、周りに、思わせるだけかもしれない。
思考が、焦りで、空転する。
その、俺たちの、無力な葛藤を、断ち切ったのは、コートの方から、すっと、動いた、二つの、人影だった。
高坂と、そして、未来だ。
俺たちは、息をのんで、その光景を見守った。
高坂が、しおりに、何かを、力強く、宣言している。
未来が、それに、静かに、しかし、きっぱりと、同調している。
そして、その、二人の、あまりにも真っ直ぐで、そして、強い「正義」の前に、陰口を叩いていた一年生たちが、ばつが悪そうに、顔を青くして、その場から、逃げるように、立ち去っていった。
「…………。」
俺も、後藤も、言葉を、失っていた。
ただ、呆然と、しおりを真ん中に、まるで、彼女を守る騎士のように立つ、高坂と、未来の姿を、見つめていた。
やがて、後藤が、ぽつりと、呟いた。
「……高坂さんと、幽基さんか…。…すげえな、あいつら。」
その声には、怒りの代わりに、感嘆と、そして、ほんの少しの、安堵が、混じっていた。
俺は、掴んでいた、あいつの肩から、そっと、手を離した。
そして、絞り出すように、応えた。
「……ああ。俺たちが、あの時、風花に、してやれなかったことを、あいつらは、いとも、簡単に、やってのけやがった。」
そうだ。俺たちは、ただ、無力に、見ていることしか、できなかった。
だが、しおりは、違う。
彼女の周りには、彼女の「異端」を、理解し、そして、共に戦ってくれる、本当の「仲間」が、いる。
後藤が、初めて、俺の顔を見て、そして、ほんの少しだけ、笑ったような気がした。
「……静寂さん、一人じゃないんだな。」
そして、彼は、続けた。
その言葉は、俺の、心の、一番、深い場所に、すとんと、落ちてきた。
「猛、お前、いいチーム、作ったじゃねえか。」