特別練習・開幕(6)
私が、ある程度のデータを収集できたと判断し、サーブを出すのを、やめた、その時。
ネットの向こう側で、高坂選手が、ぜえぜえと肩で息をしながら、床に、へたり込んだ。
「はあっ…はあっ…。もう、無理…!なんなのよ、あなた、本当に…!」
彼女は、悔しさと、そして、それ以上に、ある種の面白さがこみ上げてくるといった様子で、体育館の床を、バン!と、軽く叩いた。その表情には、先ほどまでの、試合中のような険しさはない。
「高坂さん…」
私が声をかけると、彼女は、汗で額に張り付いた前髪をかき上げながら、私を、じろりと、睨み上げてきた。
「…静寂さん。あなたの、そのストップは。あれは、もう、卓球じゃないわ。魔法か、あるいは、ただの、たちの悪いイカサマよ!」
彼女の、その、あまりにもストレートな物言いに、見守っていたあかねさんが、思わず、くすりと笑いを漏らす。
「いい?こっちはね、あなたの、あの、演劇部員みたいな、大袈裟なモーションを見て、全身全霊で、『うおお、下回転!絶対切れてる!』って、ループドライブの体勢に、入ってるのよ!」
彼女は、座り込んだまま、ラケットを振る真似をする。
「そこに!あの、魂の抜けたみたいな、ふらっふらのナックルが、長いのか、短いのかも分からない軌道で、飛んでくるの!体が、脳が、バグるのよ!分かる!?」
彼女の、その、あまりにも人間的で、そして、どこかコミカルですらある、感想の述べ方。
それは、未来さんの、あの、静かで知的な分析とは、全く異なっていた。
私は、彼女のその言葉を、私の思考ルーチンに、貴重な「定性的データ」として、インプットしていく。
「…それで、攻略法は、見えましたか?」
私の、その、どこまでも冷静な問いかけに、高坂選手は、むっとしたように、唇を尖らせた。
「…見えたわよ、もちろん!伊達に、県ベスト8じゃないんだから!」
彼女は、よっこいしょ、と立ち上がると、私の目の前までやってきた。そして、私の瞳を、真っ直ぐに、覗き込む。
「要は、あなたの、その、女優みたいな、大袈裟な演技は、全部、無視すればいいんでしょ。信じるのは、ボールだけ。ラケットから、ボールが離れた、その、僅かな時間に、全てを賭ける。…まあ、言うは易し、だけどね」
そして、彼女は、にっと、不敵な笑みを浮かべた。
それは、清々しいほどの、挑戦者の笑みだった。
「でも、次は、もう騙されないわよ。あなたの、その、ひねくれたサーブも、いやらしいストップも、全部、私の『王道』のドライブで、叩き潰してあげるから!覚悟しておきなさい!」
彼女は、そう言うと、私の頭を、わしわしと、少しだけ、乱暴に撫でた。
「…まあ、今日は、いい練習になったわ。ありがとうね、静寂さん」
その手つきは、まるで、出来の悪い、しかし、どこか憎めない、妹に対する、姉のような、不器用な優しさに、満ちていた。
「…どういたしまして。こちらこそ、貴重なデータを、ありがとうございました」
私が、そう言って、静かに頭を下げると、彼女は、満足そうに、頷いた。
私の「異端」と、彼女の「王道」。
私たちの間には、確かに、ライバルとしての、そして、どこか、好敵手としての、新しい関係性が、芽生え始めていた。