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異端の白球使い  作者: R.D
特別練習編
272/674

特別練習・止まった時間(2)

「さて、と。じゃあ、今度は、君たちの番だ、猛くん、後藤くん!」

 佐藤先生の、その、いつもと変わらない明るい声が、体育館の張り詰めた空気を、ほんの少しだけ、揺さぶった。

 俺は、後藤の顔を見た。

 あいつも、俺を見ていた。

 俺たちの、止まっていた時間が、今、ようやく、動き出そうとしている。

 俺は、ラケットを強く、握りしめた。

 言うべき言葉は、まだ、見つからない。

 だから、今は、ただ、全力で、この白いボールに、俺の、全ての想いを、叩きつけるだけだ。

 卓球台を挟んで、向き合う。

 その距離は、たったの2.74メートル。なのに、俺とこいつの間には、何年分もの、そして、あまりにも重い、見えない壁があった。

「…一本、勝負といくか」

 俺が、そう言うと、後藤は、無言で、こくりと、頷いた。

 俺のサーブから、試合形式のラリーが始まる。

 先ほどの、感情をむき出しにした、あの壮絶な打ち合いとは、違う。

 お互いに、より、冷静で、そして、より、戦術的だ。

(…こいつのレシーブ、前より、ずっと、鋭くなってる…)

 俺の下回転サーブに対し、後藤は、寸分の狂いもないツッツキで、厳しいコースを突いてくる。俺が、それをドライブで持ち上げれば、彼は、少しも体勢を崩さず、安定したブロックで、俺を左右に揺さぶってくる。

 ミスがない。スマートで、そして、粘り強い。

 そうだ。これこそが、俺の知っている、後藤護の卓球だ。

 城南中学で、こいつは、主将として、一体、どれほどの練習を、積んできたんだろうか。

 俺が、この場所で、風花への罪悪感に、立ち止まっていた、あの時間も。

「ちっ…!」

 俺のドライブが、後藤の、完璧なブロックに阻まれ、ネットにかかる。

「…ナイスブロック」

 俺が、思わず、そう呟くと、後藤は、何も言わずに、ただ、次のサーブを、待っている。

 その、壁のような、無表情。

 だが、それでいい。

 この、三日間の練習は、始まったばかりだ。

 俺たちが、失った時間を取り戻すには、言葉は、まだ、早すぎる。

 今は、ただ、こうやって、ボールを打ち合うこと。それが、今の俺たちにできる、唯一の「対話」なのだから。

 俺は、ボールを拾い上げ、再び、構える。

 その様子を、体育館の隅で、しおりや、未来や、高坂たちが、息をのんで、見守っているのが、視界の端に映った。

(見てろよ、しおり。お前が、俺たちに見せてくれた、お前の『異端』の卓球。その、お返しじゃねえが、今度は、俺たちの、この、不器用な『王道』の卓球を、見せてやる)

 俺たちの、この、長くて、そして、痛みを伴う「対話」は、まだ、始まったばかりだ。

 この、三日間の中で、俺たちの、この、錆びついた関係が、少しでも、変わることを、願いながら。

 俺は、次のサーブを、後藤の、胸元めがけて、叩き込んだ。


 俺にとって、きっと後藤にとっても、これはただの練習ではない。初球から、お互いに、一切の遠慮も、手加減もない。

 全力の、ドライブの応酬。

「パァンッ!!」

 俺の、全身のバネを使った、全てをなぎ倒すかのような、ドライブが、後藤のコートへと突き刺さる。

「バァンッッ!!!」

 後藤が、その威力を、さらに鋭い回転でねじ伏せる、カウンタードライブで、応戦してくる。

 その、しなやかな体幹を使った、効率的で、そして、スマートなフォーム。腹が立つほど、昔と、何も変わっていねえ。

 そこからは、もう、記憶が曖昧だ。

 ただ、ひたすら、ボールを打ち合った。

 フォアへ、バックへ、ミドルへ。台の、全ての領域を使って、互いの、体と、そして、心を、削り合うような、壮絶なラリー。

 体育館の床を焦がす、シューズの摩擦音。俺とあいつの、荒い呼吸。そして、ボールが、爆発するような、甲高い打球音。

 それ以外の音は、もう、何も聞こえなかった。

 一球、打つたびに、過去の記憶が、蘇っては、消えていく。

(…ちくしょう、そのコース、昔から、俺の苦手なとこじゃねえか…!)

(…分かってんだよ、お前の狙いなんて、全部な…!)

 それは、言葉にならない、俺たちの対話。

 お互いの、怒り、悲しみ、後悔、そして、ほんの少しの、あの頃への懐かしさ。その、ぐちゃぐちゃになった、全ての感情を、この、たった一つの、白いボールに、叩きつけているようだった。

 汗が、目に入る。肺が、焼き切れそうだ。腕も、足も、鉛のように、重い。

 だが、俺は、足を止めない。あいつも、止めない。

 ここで、先に、膝をついた方が、負けだ。

 そんな、ガキの頃みてえな、意地の張り合い。

 ラリーが、何本、続いただろうか。

 もはや、どちらが、優勢なのかも分からない。

 ただ、お互いに、倒れる寸前まで、ボールを、打ち合い続ける。

 そして、ついに、その瞬間が、訪れた。

 俺が、最後の力を振り絞って放った、渾身のフォアハンドドライブ。

 後藤もまた、それに、全力のカウンターで、応戦する。

 二つの、最強の「矛」が、激しく、衝突した。

 白いボールは、凄まじい音を立てて、ネットの、白い部分に当たり、そして、どちらのコートに落ちるでもなく、力なく、床へと、ぽとりと転がっていった。

 長い、長い、静寂。

 聞こえるのは、俺と、あいつの、肩で、大きく息をする、荒い、荒い、呼吸音だけ。

 俺は、汗で、ぐっしょりと濡れた顔を上げた。

 ネットの向こう側で、後藤もまた、膝に手をつき、肩で、大きく息をしていた。

 俺は、絞り出すように、言った。

「……はあっ…はあっ…。…やっぱ、つええな、お前…」

 後藤は、ゆっくりと、顔を上げた。

 そして、初めて、その視線で、俺の顔を、真っ直ぐに、捉えた。

 その口元に、ほんのわずかに、あの頃のような、懐かしい、そして、悲しい、笑みが浮かんでいた。

「……お前もな、猛。」

 その、一言。

 たった、一言で、俺たちの間に、長く、そして、固く凍りついていた、時間が、ほんの少しだけ、溶け出したような気がした。

 この、三日間の練習は、まだ、始まったばかりだ。

 俺たちの、本当の「対話」もまた、ここから、始まるのかもしれない。

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