特別練習・開幕(3)
私の、モーションと、実際の球種を全く別のものにする、という、情報操作。
その「実験」は、序盤、面白いように、高坂選手に通用した。
ナックルロングサーブ、ナックルショートサーブ。それだけで、面白いように、ポイントが奪えていく。
私は、さらに、次の「変数」を、投入した。
再び、強烈な下回転をかける時と、全く同じ、大きなテイクバック。
高坂選手の表情が、警戒の色に染まる。「また、ナックルか…?長いか、短いか…?」
だが、私が、今度は、ラケットの赤い裏ソフトの面で、ボールの底を、鋭く、そして薄く、擦り上げた。
放たれたのは、これまでのナックルとは真逆の、強烈な下回転をかけられた、ショートサーブだった。
「…っ!」
ナックルを警戒し、少しだけ、ラケットの面を立てていた、高坂選手。
彼女のラケットに当たったボールは、その強烈な下回転に、完全に負け、力なく、ネットへと、吸い込まれていった。
(…データ確認。スピンサーブという、第三の選択肢を、同じモーションから繰り出すことで、相手の思考ルーチンは、さらに、複雑な分岐を強いられる。有効性は、高い)
これで、決まった、と、私が思った、その時だった。
高坂選手が、ふぅー、と、長く、息を吐いた。そして、彼女は、それまでとは、明らかに、その構えと、目の色を変えたのだ。
(…来る)
私が、再び、同じ、大きなモーションから、サーブを繰り出す。今度は、ナックルロングサーブ。
だが、高坂選手は、もはや、私のモーションには、一切、惑わされていなかった。
(そうか。彼女の、その大きな動きは、全て、嘘。見るべきは、そこじゃない)
高坂さんの思考が、切り替わっていた。
(見るべきは、インパクトの瞬間の、ラケットの面。そして、ラケットから、ボールが離れた、その直後の、ボール自身の、回転と、軌道…!)
彼女の瞳は、もはや、私の体ではなく、私の手元と、そして、そこから放たれる、白いボール、その一点だけに、全神経を集中させていた。
ナックルだと、見抜いた彼女は、ループドライブの体勢を、瞬時に、安定したプッシュの体勢へと切り替える。
「タンッ!」という、確かな音と共に、ボールは、深く、そして、安全に、私のコートへと返球された。
それは、攻撃的な返球ではない。だが、これまでの、凡ミスとは、全く質の違う、「対応」された、一球だった。
そこからは、一進一退の、攻防が続いた。
私が、ナックルサーブを出せば、彼女は、それを、粘り強く、繋いでくる。
私が、下回転サーブを出せば、彼女は、それを、きっちりと、ドライブで持ち上げてくる。
私のサーブが、エースになる確率は、急激に、低下していった。
(…素晴らしい。これこそが、『王道』の対応力。私の『異端』な情報操作に対し、小手先の技術ではなく、『見る』という、卓球の、最も基本的な原理で、対抗してくる。興味深いデータだ…)
私は、ある程度のデータを収集できたと判断し、サーブを出すのを、やめた。
そして、ネットの向こう側にいる、高坂選手へと、歩み寄った。
「…高坂さん。検証は、一旦、ここまでとします」
私は、タオルで汗を拭いながら、彼女に告げる。
「あなたの、レシーバー側からの、定性的なフィードバックを、要求します」
私の、その、あまりにも、臨床実験のような、言葉遣い。
高坂選手は、一瞬、きょとんとした表情を浮かべたが、すぐに、その意図を理解し、にやりと、挑戦的な笑みを浮かべた。
「いいわよ。私の『感想』、聞かせてあげる」
彼女は、ごくりと、スポーツドリンクを飲むと、息を整えながら、話し始めた。
「正直に言って、今まで受けたサーブの中で、一番、意地悪で、頭に来るサーブよ」
「まず、あの、大きなモーションね。あれは、反則。私の体中の細胞が、『強烈な下回転が来る!』って、叫ぶもの。だから、最初のナックルは、本当に、どうしようもなかった」
彼女は、続ける。
「ロングとショートの、打ち分けも、えげつないわね。前に出れば、速いので抜かれる。後ろに下がれば、ネット際に落とされる。常に、思考の、二択、三択を、強制されている感じ。本当に、疲れる」
そして、彼女は、核心を突いた。
「でも、分かったわ。あなたの、そのサーブを攻略する鍵は、あなたのモーションを、完全に『無視』することね。あなたの体は、嘘をつく。だから、信じるのは、あなたの手元から、ボールが離れた、その一瞬だけ。その一瞬に、全てを集中させれば、少なくとも、返球は、できる。まあ、甘いボールになったところを、あなたが、スマッシュしてくるんだろうけど」
彼女の、その、あまりにも的確な分析。
それは、私が、この「実験」で、最も知りたかった「答え」そのものだった。
「…貴重な、データです。ありがとうございます」
私が、そう言って、静かに頭を下げると、高坂選手は、にっと、勝ち誇ったように、笑った。
「どういたしまして。その代わり、次は、試合形式で、リベンジさせてもらうわよ!今度は、そう、簡単には、やられないからね!」
彼女のその言葉に、私は、静かに、頷き返した。
私の「異端」は、この「王道」と、何度も、何度も、ぶつかり合うことで、さらに、その精度を、高めていくのだろう。
その、未来の、戦いの予感に、私の心の奥底が、ほんの少しだけ、高揚しているのを、私は感じていた。