あと一週間(2)
その日の放課後。
昼休みに浴びせられた、あの悪意に満ちた言葉の数々。私の思考ルーチンは、それらを既に「無価値なノイズ」として分類し、処理を完了させていた。しかし、そのノイズが、私の思考に、一つの、新たな、そして合理的な結論をもたらしたことも、また事実だった。
(…このままでは、いけない)
全体の練習が終わり、ほとんどの部員が帰り支度を始める中、私は、一人、職員室の隣にある、顧問の先生の机へと向かった。
私たちの卓球部の顧問である、佐藤先生。彼は、専門的な指導者ではない。だが、いつも、私たち部員一人一人のことを、真剣に、そして公平に見てくれている、信頼できる大人だ。
「佐藤先生。今、少し、お時間をいただけますでしょうか」
私の、その、唐突な訪問に、彼は、読んでいた本から顔を上げ、少しだけ、驚いたような表情を浮かべた。
「お、静寂さん。どうしたんだい、珍しいね。」
私は、彼の前に立ち、いつものように、平坦な声で、しかし、明確な意志を持って、本題を切り出した。
「ブロック大会に向けて、戦術の検証を行いたいのですが、現在の部内の練習環境では、特定の戦術に対する、十分なデータを収集することが困難であると判断しました」
私のその、あまりにも直接的で、そして、部のレベルが低いと暗に指摘するかのような言葉。しかし、佐藤先生は、気分を害した様子も見せず、ただ、静かに、私の次の言葉を待っている。
「つきましては、高いレベルで安定した選手との、練習機会を設けていただくことは可能でしょうか」
その言葉に、佐藤先生は、初めて、その柔和な表情を、少しだけ、曇らせた。
彼は、何も言わない。ただ、腕を組み、何かを、深く、深く、考えているようだった。
彼の脳裏に、何がよぎっているのか。私には、手に取るように分かる。
この、第五中学校卓球部。それは、どこにでもある、普通の公立中学の部活だ。
そこに、県大会を制した、私と、部長がいる。そして、強豪・月影女学院から転入してきた、幽基未来さんがいる。私たちの実力は、この部の平均値から、あまりにも、かけ離れてしまっている。
一部の部員たちが、必死に、私たちの練習に食らいつこうとしていることは、私も理解している。だが、私たちが、さらにその先…全国という舞台で戦うためには、もはや、この環境だけでは、限界がある。
私のその、ある意味で、残酷なまでの「提案」の、真意。
佐藤先生は、それを、全て、理解しているのだ。
しばらくの沈黙の後、彼は、ゆっくりと、顔を上げた。
「…高いレベルで安定した選手、か。」
彼は、私の言葉を、静かに反芻する。
「…うん。確かに、君ほどの選手にとっては、それが必要かもしれないな。君や、部長くん、幽基さんのレベルになると、もう、普通の練習だけじゃ、足りないんだろう」
彼は、私の提案を、そして、この部の現状を、静かに、そして真摯に、受け止めてくれた。
「よし。分かった。」
彼は、そう言うと、机の引き出しから、一枚の、近隣中学校の連絡先が書かれたリストを取り出した。
「少し、心当たりを当たってみる。俺も、お前たちが、もっと強くなるのを見たいからな。こちらで、なんとかしてみるよ。少し、時間をくれないか。」
彼のその言葉は、指導者としての、そして、一人の大人としての、誠実さに満ちていた。
その視線が、リストの中の、いくつかの名前に、留まる。
(…山吹中学の、高坂さん…)
(…城南中学の、後藤くん…)
(彼らなら、きっと、しおりたちの、最高の練習相手になってくれるはずだ。だが、県大会で、あれほどの死闘を演じた相手だ。果たして、練習の申し込みを、受けてくれるだろうか…)
彼の内心の葛藤は、私には分からない。
だが、彼が、私たちのために、本気で動いてくれようとしていることだけは、確かだった。
「ありがとうございます。お待ちしております」
私は、深く、一礼し、顧問の机を後にした。