表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異端の白球使い  作者: R.D
特別練習編
264/674

帰り道

 体育館の、高い天井に反響していたボールの音も、今はもうない。


 私と未来さんは、二人きりで、黙々と後片付けを終えた。他の部員たちが帰ってしまった後の、がらんとした体育館、それは「静寂な世界」によく似ていた。


「…帰りましょうか」


 未来さんが、静かに、そう言った。


「はい」と私も、短く応える。


 私たちは、並んで、夕暮れの道を歩き始めた。沈みゆく太陽が、空を、そして私たちの影を、茜色に、長く、長く染め上げている。


 会話はない。


 だが、その沈黙は、決して気まずいものではなかった。


 むしろ、高度な思考を続けた後の、心地の良いクールダウンのように、私の心を、静かに落ち着かせてくれた。


 しばらく歩いたところで、未来さんが、ふと、私に視線を向けた。


「今日の練習本当に、興味深かったです。あなたのその発想力とそれを実現する技術には、いつも驚かされます」


 彼女のその、心からの、そしてどこまでも真摯な称賛の言葉。


 以前の私なら、それを、どう処理していいか分からなかっただろう。だが、今の私は、素直に、その言葉を受け止めることができた。


「…あなたの協力がなければ、あの戦術は、ただの机上の空論のままでした。特に、最後の『カウンターを常に意識させる体勢』というパラメータ。あれは、私一人では導き出せない『解』でした。感謝します」


 私のその、分析的な、しかし、紛れもない感謝の言葉に、未来さんは嬉しそうに、ほんの少しだけ、微笑んだ。


 そして彼女は、まるで、私の心の奥底を覗き込むかのように、静かな、しかし、核心を突く問いを、投げかけた。


「しおりさんは、どうして、そこまで新しい武器を求めるのですか?今のあなたの卓球でも、十分に、強いのに」


 その問いは、私の、最も根源的な部分に触れるものだった。


 私は、一度、空を見上げた。一番星が、淡く、瞬き始めている。


「…現状のシステムは、常に対策されるリスクが内在しています」


 私の声は、いつものように、平坦だった。


「常勝学園の青木桜選手、そして、ブロック大会で当たるであろう、未知の強者たち。彼女たちは、必ず、私を分析し、そして、破壊しにきます。その時、私に、次の『手札』がなければ、そこで、終わりです」


「…終わり…ですか」


 未来さんが、私の言葉を、静かに繰り返す。


「はい。私にとって、敗北は、単なる記録上の負けでは、ありませんから」


 私は、そこまで言うと、口を閉ざした。それ以上は、私の世界の、誰にも踏み込ませてはいけない領域。


 未来さんは、私のその沈黙の意味を、理解してくれたようだった。


 彼女は、それ以上、何も聞かなかった。ただ、隣で静かに、私の歩調に合わせてくれている。


 その、無言の共感が、私の、頑なに閉ざされた心の壁を、ほんの少しだけ、温めてくれるような気がした。


 やがて、駅前の、大きな交差点にたどり着く。ここが、私たちの帰り道の、分岐点だ。


「では、私は、こちらなので。…また、明日、部活で」


 未来さんが、そう言って、丁寧に、一礼した。


「はい。また、明日」


 私も、同じように、頭を下げる。


 彼女は、くるりと背を向けると、雑踏の中へと、その姿を、静かに溶け込ませていった。


 私は、その姿が見えなくなるまで、しばらくの間、ただ、じっと、その場所から動けずにいた。


 …幽基未来…、彼女といる時間は、私の思考ルーチンを、良い意味で、乱してくれる、彼女という変数が、私の世界に、どのような、新しい『解』をもたらすのか…。


 …観測を、続けよう。


 私の思考は、新たな、そして極めて興味深い、解析対象を見つけ出し、静かに、そして、確かに、その活動を再開していた。


 それは、勝利のためだけの、冷たい計算ではない。


 ただ、純粋な、知的好奇心。


 未知の数式を、解き明かしたいという、その、渇望。


 それが、今の私の心を、静かに、そして温かく、満たしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ