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異端の白球使い  作者: R.D
特別練習編
263/674

カットマン(2)

 未来さんの、あの的確なアドバイスを受けてから、私のカットの安定性は、飛躍的に向上した。

 膝を使い、体全体で、ボールの威力を吸収し、押し出す。そのロジックは、私の身体に、すぐさまインプットされた。

 同じフォームから、裏ソフトで回転をかければ、鋭い下回転のカットが。アンチラバーで押し出せば、ナックル性のカットが、相手コートへと飛んでいく。

 だが、それでも、まだ、何かが足りなかった。

 私のナックルカットは、確かにいやらしい。しかし、未来さんのようなトップレベルの選手は、数本受ければ、その「無回転」という性質に、すぐさま順応してしまう。幻惑するには、至らない。

 私の思考ルーチンが、エラーを示し続ける。再現性は高い。だが、決定力が、ない。これでは、私の求める「必殺の武器」には、なり得ない。

(何かが、根本的に違う。パラメータの調整だけでは、解決しない。アンチラバーという、この『異物』への、私の理解そのものが、まだ、浅い…)

 その、私の、思考の袋小路を見透かしたかのように、ラリーの合間に、未来さんが、静かに、しかし、核心を突く言葉を、私に投げかけた。

「しおりさん。もしかしたら、あなたは、アンチラバーのことを、まだ『ラバー』として、捉えすぎているのかもしれません」

「…ラバーとして?」

 彼女の、その、あまりにも抽象的な言葉の意味を、私は、すぐには理解できなかった。

「はい。アンチは、ボールを弾ませる『ラバー』ではない。相手の回転エネルギーを、一度、完全に吸収して、『無』に還す、『壁』のようなもの、と、考えてみてはいかがでしょうか」


「ボールを『打つ』のではない。相手のボールを、ただ、完璧な角度で待ち構え壁に、ぶつけさせる。その意識で、もう一度」

 未来さんの、その言葉。

 それは、私の思考ルーチンに、これまで存在しなかった、全く新しい概念をインストールする、コマンドだった。

(壁…深淵…エネルギーを吸収し、無に還す…。ラケットを『能動的』に使うのではなく、ボールとラバーの衝突現象を、最適な角度で『受動的に』発生させる…)

 思考が、繋がった。

「…お願いします」

 未来さんが、再び、強力なループドライブを、私のフォアサイド深くに、送り込んできた。

 私は、そのボールに向かって、走る。

 だが、意識は、これまでと、全く違っていた。

 私の足が、ボールの落下点に、完璧なタイミングで到達する。

 深く、深く、膝を曲げ、体勢を低くする。まるで、大地に根を張るかのように、私の体の軸が、完全に、固定された。

 そして、ラケットを、振らない。

 バックスイングを、取らない。

 ただ、その赤いアンチラバーの面を、相手のドライブの軌道に対し、完璧な、ほとんど垂直に近い角度で、そこに「置く」。

 来るべきボールを待ち構える、冷たく、そして、揺るぎない「壁」として。

 次の瞬間。

 ボールが、ラバーに食い込む、という、あの、いつもの感触が、ない。

 代わりに、「トン」という、硬質で、そして、全く響かない、無機質な音が、私の手に、そして耳に、届いた。

 それは、ボールを「打った」音ではない。

 ボールの持つ、凄まじい回転と運動のエネルギーが、私のラケットという「深淵」に、一瞬にして、吸い込まれ、完全に「無」に還った音。

 ラケットから、まるで、全ての生命力を吸い取られたかのように、ボールが、ふらふらと、しかし、低く、鋭く、飛び出していく。

 それは、もはや「返球」ではない。

 相手の力を、完全に「無」へと変換し、その「無」そのものを、相手コートへと送り返す、異質な現象だった。

 ボールは、相手コートのネット際に、まるで、糸が切れた操り人形のように、ストン、と、垂直に落下した。

 その軌道は、物理法則を無視しているかのように、あまりにも、不自然だった。

 台の向こう側で、未来さんが、そのボールを、ただ、呆然と見送っている。

 彼女ほどの選手ですら、その「現象」を、すぐには理解できなかったのだ。

 私は、自分のラケットを見つめた。アンチラバーの、黒い面を。

(…これか。これが、アンチを使ったカットの、本当の「解」…)

(これは、もはや、「カット」という名の、技術ですらない。私の「静寂」そのものを、相手に送りつける、究極の「現象兵器」…)

 私の口元に、ほんのわずかに、自分でも気づかない、笑みが浮かんでいた。

 それは、勝利を確信した、冷たい、しかし、確かな、満足感に満ちた、笑みだった。


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