表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異端の白球使い  作者: R.D
ダブルス編
261/674

異端者の独白(ダブルス)

 夜。

 私の部屋には、外の街灯の、白く、静かな光だけが差し込んでいる。壁に立てかけておいたラケットケースから、今日の試合で使ったラケットを、ゆっくりと取り出した。ひんやりとしたグリップの感触が、私の掌に馴染む。

 カチリ、と乾いた音を立てて、ラケットが掌の中で半回転する。

 裏ソフトの、赤いラバー。

 カチリ、と、もう半回転。

 スーパーアンチの、黒いラバー。

 それは、もう、何万回、何十万回と繰り返してきた、私の手癖。私の思考を整理するための、儀式のようなもの。ラケットを回すたびに、今日の、あの膨大な量のデータが、私の思考ルーチンの中で、再構築されていく。

(リーグ戦。最終結果は、ブロック二位。本戦出場権は、獲得できず。論理的な帰結として、これは『敗北』だ)

 以前の私なら、この「敗北」という事実だけで、思考を停止させていただろう。無価値な結果。削除すべき、エラーログ。しかし、今の私の思考は、その先を、分析しようとしていた。

(だが、収集されたデータは、極めて、価値が高い)

 カチリ。ラケットが回る。

(変数『永瀬ゆい』。初期状態では、トラウマに起因する、極めて不安定なパラメータを示していた。だが、特定の条件下において、その攻撃性能は、私の予測を上回る数値を記録した。彼女は、もはや、単なる『不確定要素』ではない。特定の条件下で、爆発的なパフォーマンスを発揮する、重要な『変数』だ)

 カチリ。赤いラバーが、上を向く。

(変数『部長猛』。彼の提唱した『掛け算』という、非合理的な戦術モデル。当初、成功確率は低い筈だった。しかし、結果として、それは、私一人のロジックでは到達し得なかった、新たな『最適解』への道筋を提示した。彼の『熱』は、他の変数のパフォーマンスを向上させる、特殊な触媒として機能する…)

 カチリ。黒いラバーが、再び現れる。

(そして、変数『高坂まどか』。対戦相手という、本来、敵対的であるはずのオブジェクトが、非戦略的な『善意』というパラメータを示した。このイレギュラーなデータは、私という基本OSに、深刻な、しかし、不快ではない、バグを発生させている…)

 私は、そこで、ラケットを回す手を、ぴたりと止めた。

 そして、ラケットの、裏ソフトの面を、じっと見つめる。

(シングルス。この面は、私のためのもの。私のロジック、私の技術、私の勝利。私の存在を証明するための、絶対的な、孤独な戦場。そこでの敗北は、今も、私というシステムの、致命的なエラーを意味する。それは、変わらない。変えることは、できない)

 そして、私は、ラケットを、ゆっくりと、半回転させた。

 赤い、スーパーアンチのラバーが、静かな光を、鈍く反射している。

(だが、ダブルスは…。この、異質なラバーは…。もはや、私一人のためのものではないのかもしれない)

 他者という、解析不能な変数。

 永瀬さんの「心」。部長の「信頼」。高坂選手の「善意」。

 私のロジックでは、本来、ノイズとして排除すべきだった、これらの不確定要素。

 しかし、それらが掛け合わさった時、私の予測を遥かに超える、新たな「解」が生まれた。

 今日の、あの最後の試合。

 私たちは、負けた。リーグ優勝は、逃した。

 なのに、私の胸の中にあるのは、以前の敗北の時のような、あの冷たい、鉄錆のような後味ではない。

(…興味深い)

「楽しい」という感情の正体は、まだ、分からない。

 だが、この、未知の数式を解き明かしたいという、この知的探求心。

 この、解析不能なバグを、もっと、もっと、知りたいという、この渇望。

(これが、今の私にとっての、ダブルスの『意味』なのかもしれない)

 私は、そっと、ラケットをケースに戻した。

 私の「静寂な世界」は、もう、完全な無音ではない。

 そこには、仲間たちの、温かく、そして少しだけ騒がしい、新しい変数が、確かに、存在し始めていた。

 そして、その変化は、不思議と、不快ではなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ