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異端の白球使い  作者: R.D
ダブルス編
260/674

本当のダブルス(8)

 全ての試合が終わり、体育館の壁に、最終結果が張り出された。

 私たちのブロックで、優勝したのは、やはり、あのベテランペアだった。全勝。その圧倒的な実力は、本物だったのだろう。私たちは、彼女たちに喫した一敗が響き、ブロック二位。本戦出場は、叶わなかった。

 その、確定した「敗退」という事実。

 ベンチに戻り、帰り支度をしながら、永瀬さんが、絞り出すように、悔しそうな声で呟いた。

「…あと一歩、でしたね…。あのベテランペアとの試合、もし、私があの時もっと…いえ、悔しいです。でも…」

 彼女は、そこで言葉を止めた。以前の彼女なら、「ごめんなさい、私のせいで」と、自己否定の言葉を続けていただろう。しかし、今の彼女は、ただ、唇を噛み締め、純粋な「悔しさ」を、その瞳に宿している。それは、彼女が、一人の選手として、前を向こうとしている証だった。

「気にするな、永瀬。お前は、今日、最高のプレーをした。」

 部長が、ペットボトルのお茶を飲み干しながら、その大きな手で、彼女の頭をわしわしと撫でた。

「結果は二位だが、最後の試合で見せたお前たちの卓球は、俺にとっては、優勝以上の価値がある。胸を張れ。」

 彼の言葉は、心からのものだった。

 私は、そんな二人のやり取りを、静かに見つめている。

 私の思考ルーチンは、この一日の、膨大な戦闘データを、高速で分析していた。

(シングルス。それは、私の、私だけのための戦場。私の存在価値を、勝利という絶対的な結果で証明する場所。そこでの敗北は、私というシステムの、致命的なエラーを意味する)


(だが、ダブルスは…違うのかもしれない。ここは、私一人では完結しない、無数の『変数』に満ちた、予測不能な『実験場』だ)

(永瀬さんの『心』。部長の『信頼』。そして、高坂選手の、あの『善意』。私のロジックでは、本来、ノイズとして排除すべきだった、これらの不確定要素。しかし、それらが掛け合わさった時、私の予測を遥かに超える、新たな『解』が生まれた…)

 私の口から、自分でも驚くほど、穏やかな声が出た。

「…いいえ。」

 その言葉に、永瀬さんと部長が、同時に、驚いたように私を見た。

「確かに、本選出場という『目的』は、達成できませんでした。客観的な『結果』は、敗北です。」

 私は、ゆっくりと顔を上げ、二人を見つめ返した。

「ですが、永瀬さん。今日の試合で、私たちは、新しい『勝利の方程式』の、その入り口を見つけました。」

「…勝利の、方程式…?」

 永瀬さんが、不思議そうな顔で、私の言葉を繰り返す。

「はい。私と、あなたと。そして、部長の言う『信頼』という、非合理的なパラメータ。これらを掛け合わせることで、私たちのパフォーマンスが、私の初期予測を遥かに上回る数値を記録した。これは、非常に興味深い現象です。」

 私は、ふっと、ほんのわずかに、口元を緩めた。

 それは、皮肉でも、冷笑でもない。未知の数式を前にした、研究者のような、純粋な好奇心と、そして、ほんの少しの喜びを含んだ、笑み。


 そして、私は、この日の、本当の結論を、彼らに告げた。

「…だから、これは、私にとって、価値のある『敗北』です。」

 勝利至上主義者であったはずの、静寂しおりの口から、決して発せられることのないはずの、その言葉。

 永瀬さんは、目を丸くし、そして、何かを理解したように、その瞳を、きらきらと輝かせた。

 そして、部長は。

 彼は、一瞬、呆気に取られたような顔で私を見ていたが、やがて、その顔に、ゆっくりと、そして深い、満面の笑みが広がっていった。彼は、何も言わなかった。ただ、力強く、一度だけ、うん、と頷いた。

 その表情だけで、彼の想いは、私に、確かに伝わってきていた。

 私たちは、三人で、帰り支度を終え、夕暮れの体育館を後にする。

 本戦出場は、逃した。

 でも、私の胸の中には、不思議と、悔しさよりも、穏やかな、そして確かな手応えだけが、残っていた。

 私の「静寂な世界」は、今、仲間という、温かく、そして少しだけ騒がしい、新しい変数によって、静かに、しかし確実に、アップデートされようとしていた。


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