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異端の白球使い  作者: R.D
ダブルス編
259/674

本当のダブルス(7)

  インターバル終了を告げる、ブザーが鳴り響く。

 部長の、あの、全てを理解した上での、豪快な笑い声と、「最高だよ、お前たちは!」という言葉の余韻が、まだ私たちの周りの空気を、温かく、そして不思議な高揚感で満たしていた。

「よし、行くぞ!しおり、永瀬!」

 部長は、私たちの背中を、それぞれの大きな手で、力強く、そして優しく、一度だけ叩いた。

「もう、俺から言うことは何もねえ!お前たちの、その、とんでもねえ卓球を、最後まで見せつけてやれ!」

 彼の瞳には、もう、心配や憂慮の色はない。ただ、自分の信じた教え子たちが、自分の想像を遥かに超える形で「答え」を見つけ出したことへの、純粋な喜びと、誇りだけが、力強く輝いていた。

 私たちは、二人で、深く頷いた。

 そして、ベンチを立ち、コートへと向かう。

 隣を歩く永瀬さんの表情は、第一セットの終わりに見せた、あの誇らしげな笑顔とは、また少し違っていた。そこには、自信と共に、私に対する、揺るぎない「信頼」の色が、はっきりと浮かんでいる。彼女はもう、私の顔色を窺う、怯えた後輩ではない。私の隣に立つ、対等なパートナーとしての顔をしていた。

 私は、そんな彼女に、歩きながら、静かに、そして淡々と、しかし、これまでのどの言葉とも違う、確かな「共有」の意志を持って、告げた。

「永瀬さん。次の相手のサーブ、おそらく、コースを散らして、あなたのタイミングをずらしにきます。ですが、問題ありません。」

 私のその言葉に、彼女は、驚くでも、戸惑うでもなく、ただ、真っ直ぐに私を見つめ返してくる。

「私が、最適な『布石』を打ちます。あなたは、あなたの信じるボールだけを、待っていてください。」

 それは、もう、一方的な「指示」ではない。

 私の「分析」と、彼女の「感覚」。その二つを掛け合わせるための、パートナーへの、信頼のパス。

 永瀬さんは、そのパスを、完璧に受け取った。

「…はい!」

 彼女の、力強く、そして一点の曇りもない返事。

 その声を聞いた瞬間、私の胸の奥で、まだ名前の付けられない、あの「温かい」感情のデータが、また一つ、確かに記録された。

 コートにつき、それぞれのポジションへと散る。

 ネットの向こう側で、高坂選手と松本選手の表情が、僅かにこわばったのが見て取れた。

 先ほどまでの、私たちの内部分裂を期待するような視線ではない。タイムアウトを終えて戻ってきた、全く新しい、そして予測不能な「ペア」としての私たちに対する、純粋な警戒心と、そして、強者だけが放つ、闘争心に満ちた視線。

 審判が、試合の再開を告げる。

 サーバーは、相手の松本選手。レシーバーは、私。

 スコアは、5-2。私たちのリード。

 そうだ。これでいい。

 これこそが、私の見つけ出した、このチームの、現時点での「最適解」。

 そして、この「最適解」が導き出す勝利の味は、もう、決して、鉄錆のような、冷たい味だけではないはずだ。

 私は、ラケットを握りしめ、静かに、そして深く、息を吸い込んだ。


 静寂・永瀬 5 - 2 高坂・松本


 コートに戻る私たちの姿に、相手ペア、そして観客席から、僅かな、しかし確かな戸惑いの空気が伝わってくる。第一セットで見せた、あの不穏で、どこかちぐはぐだった私たちの雰囲気は、もう、どこにもない。そこにあるのは、静かな闘志を燃やす「異端の魔女」と、その隣で、自信に満ちた、力強い光を放つ、パートナーの姿。

「…来るわよ」

 コートの向こう側で、高坂選手が、パートナーの松本選手に、小さく、しかし鋭く声をかけるのが見えた。彼女たちは、私たちの変貌を、その肌で感じ取っているのだ。


 彼女が放ったのは、回転量の多い、厳しい横回転サーブ。私の体勢を崩し、甘い返球をさせようという、明確な意図を持った一球。

 だが、今の私には、もう、迷いはない。

(…このサーブに対する、私の「最短効率」の最適解は、アンチラバーでの一撃。しかし、私たちの、新しい「最適解」は、違う)

 私は、裏ソフトの面を使い、そのサーブの回転に、さらに上書きするような、強烈なループドライブを放つ。コースは、相手ペアの真ん中。

 3球目、松本選手が、そのボールを、なんとかブロックする。

 4.球目、永瀬さんへの返球。ボールは、ドライブの威力を殺され、少し、タイミングの取りにくい、いやらしいボールだ。

 しかし、永瀬さんは、もう、それに動じない。

「はいっ!」

 彼女は、力強い声と共に、そのボールを、確実に、そして深く、相手コートへと打ち返した。

 そこから、長い、長いラリー戦が始まった。

 高坂選手の、重いドライブ。松本選手の、角度をつけたスマッシュ。

 それらを、私が、アンチラバーと裏ソフトを巧みに使い分け、時に威力を殺し、時に回転をかけ、相手の攻撃のリズムを、じわじわと、しかし確実に、破壊していく。

 そして、私が作り出した、ほんのわずかな隙。相手の体勢が、コンマ数秒、崩れたその瞬間。

「――しおりさん!」

 永瀬さんの、私を呼ぶ声。それは、もはや、助けを求める声ではない。

「最高のボールをください」という、パートナーへの、絶対的な要求であり、信頼の証。

 私は、その声に応える。

 相手の返球を、完璧な「布石」へと変換し、永瀬さんの元へと、最高のチャンスボールを供給する。

 そして、永瀬さんが、それを、全ての信頼を乗せて、叩き込む。

 その、あまりにも異質で、そして完璧な連携の前に、山吹中学ペアは、為す術もなかった。


 静寂・永瀬 9 - 3 高坂・松本


 スコアは、一方的に開いていく。

 ベンチで、部長が、腕を組みながら、満足そうに、そしてどこか、信じられないものを見るような顔で、うんうんと頷いている。

 そして、マッチポイント。


 最後は、私のサーブだった。

 私は、あの大きなモーションから、強烈な下回転のショートサーブを出す。

 高坂選手が、それをツッツキでレシーブする。

 3球目、永瀬さんが、それをドライブで持ち上げる。

 4球目、松本選手がブロック。

 5球目、私への返球。

 私は、そのボールを、ただ、見つめた。

 そして、隣に立つ、永瀬さんの顔を見た。その瞳には、「私に、決めさせてください」という、強い光が宿っている。

 私は、スマッシュを打つのをやめた。

 そして、第一セットの、あの場面のように、そのボールを、優しく、ふわりと、永瀬さんのための、最高のトスとして、上げた。

 彼女の、今日一番の、魂の咆哮が、体育館に響き渡った。

 静寂・永瀬 11 - 3 高坂・松本


 試合終了のコール。私たちは、リーグ最終戦を、勝利で飾った。

 永瀬さんが、その場に崩れ落ちるように、しかし、その顔には、満面の、そして心からの笑顔を浮かべて、泣いていた。

 私は、そんな彼女の隣に立ち、ネットの向こうで、呆然と、そしてどこか清々しい顔でこちらを見つめる、高坂選手に、深く、そして、今度は、心からの敬意を込めて、一礼した。

 私の「実験」は、私の予測を、そしてロジックを、遥かに超える「最適解」を、導き出してくれたのだった。


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