本当のダブルス(4)
静寂・永瀬 9 - 7 高坂・松本
セットの終盤、9-7。私たちのリード。そして、この試合を決定付ける、重要なサーブ権が、永瀬さんに回ってきた。
体育館の空気が、再び張り詰める。永瀬さんの背中に、ベンチの部長と、コートの後方に立つ私の、二つの異なる、しかし確かな「信頼」の視線が注がれる。
「永瀬!ここが勝負どころだ!思いっきりいけ!お前のサーブを信じろ!」
ベンチから飛んでくる部長の力強い声。
永瀬さんは、一度、大きく息を吸い込んだ。そして、これまでの試合で見せたことのないほど、落ち着いた、そして強い意志を宿した瞳で、相手コートを見据えた。
彼女が放ったのは、ただのサーブではなかった。それは、彼女自身の「覚悟」の表明。
体を鋭く使い、コンパクトなモーションから繰り出す、速く、そして低い、攻撃的なショートサーブ。高坂選手のバックサイドを、鋭くえぐる!
高坂選手は、その質の高いサーブに対し、一瞬反応が遅れた。彼女は、なんとかそのボールをツッツキで返球するが、その返球は、回転もコースも甘い、絶好のチャンスボールとなった。
そのボールは、3球目を打つべき、私の元へと飛んでくる。
(…来た。永瀬さんが、自らの意志で作り出した、完璧なチャンスボール…!)
私の思考ルーチンが、即座に最適解を提示する。「裏ソフトでの強打。コースは相手ペアのミドルへと。
だが、私は、その最適解を、敢えて選択しない。
部長の「実験」を、そして、永瀬さんのこの「覚醒」を、私は、信じてみたくなったのだ。
私は、その甘いボールに対し、スーパーアンチの面で、あえて、さらに打ちやすい、山なりのナックルボールとして、永瀬さんの正面へと、そっと「トス」を上げた。
「――永瀬さん!」
私の、ベンチの部長の、そしておそらくは、観客席のあかねさんや未来さんの想いが、一つになる。
永瀬さんは、その私の意図を、完璧に理解していた。
「はあああああああっ!」
彼女の、魂の咆哮が、体育館に響き渡る。
一歩、深く踏み込み、その身体を、まるで弓のように大きくしならせて、私のトスした、その絶好のチャンスボールを、渾身の力で、叩き潰した。
ボールは、相手ペアのちょうど真ん中を、閃光のような軌道で撃ち抜いていった。
静寂・永瀬 10 - 7 高坂・松本
セットポイント。
私たちの、この「実験」の成果が、今、結実しようとしていた。
永瀬さんの二本目のサーブ。彼女は、もう迷わない。
今度は、相手の意表を突く、速いロングサーブ!レシーバーの高坂選手は、完全に短いサーブを予測していたのだろう。反応が一歩遅れ、彼女のラケットに当たったボールは、力なくサイドラインを割っていった。
静寂・永瀬 11 - 7 高坂・松本
第一セットは、私たちが取った。
永瀬さんが、私に向かって、これまでで一番の、誇らしげな笑顔を見せる。
私は、その笑顔に対し、初めて、分析ではない、ただ、人間的な、ごく自然な、ほんのわずかな笑みを、返したのかもしれない。
私たちの「実験」は、まだ始まったばかりだった。