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異端の白球使い  作者: R.D
ダブルス編
251/674

本当のダブルス

 リーグ最終戦。その開始を告げる審判のコールが、体育館の熱気の中に、凛として響き渡った。

 私と永瀬さんは、それぞれのポジションにつく。私の心の中は、先ほどの高坂選手からの、あの予測不能な「善意」の言葉によって、静かな、しかし無視できない波紋が広がっていた。

(…高坂まどか。彼女の行動は、私の分析モデルに、新たな、そして極めて厄介な変数を追加した。この試合、私は、ただの「排除すべきオブジェクト」として、彼女を捉えることができないのかもしれない…)

 ベンチでは、部長が腕を組み、鋭い、しかしどこか期待を込めたような眼差しで、私たちを見つめている。今日、この試合の采配を振るうのは、私ではない。彼だ。私の「分析」と「指示」は、完全に封じられている。

「永瀬、しおり!行くぞ!」部長の声が飛ぶ。「まずは一本、落ち着いて、自分たちの形を作ることだけ考えろ!」



 永瀬さんが、深く息を吸い込み、サーブの構えに入る。その瞳には、前の試合で見せた「怒り」の炎はない。代わりに、部長の言葉を信じ、そして私のことを、ほんの少しだけ、パートナーとして意識しようとするかのような、緊張と決意が入り混じった光が宿っていた。

 彼女が放ったのは、質の高い下回転ショートサーブ。相手のフォアサイドへ。

 レシーバーの松本選手は、それを安定したツッツキで、私のバックサイドへと返球してきた。

 3球目を打つのは、私だ。

(…部長の指示は、「自分たちの形を作ること」。ならば、ここは、私の「異端」で相手を崩すのではなく、永瀬さんが次のボールを打ちやすいように、安定したラリーへと繋げるのが、彼の言う「最適解」なのだろう)

 私は、ラケットを裏ソフトの面のまま、そのツッツキに対し、回転量の多いループドライブで、相手コート深く、二人の真ん中へと、安全に返球した。

 4球目、高坂選手が、そのボールを待っていたかのように、力強いフォアハンドドライブで、永瀬さんのバックサイドを鋭く襲う!

 5球目、永瀬さんへの返球。彼女は、その強打に対し、懸命にブロックする。だが、相手のドライブの威力に押され、ボールは僅かに甘く浮き上がった。

 6球目、高坂選手のパートナーである松本選手が、そのチャンスボールを見逃さず、コンパクトなスイングで、私のいないフォアサイドへと、スマッシュを叩き込んだ!

 ボールは、無人のコートに突き刺さる。

 静寂・永瀬 0 - 1 高坂・松本

(…やはり、純粋なラリー戦では、彼女たちの連携とパワーが上か。私の『異端』な変化を封印した状態では、この展開は予測可能だった…)

 私は、内心で冷静に分析する。だが、部長の「実験」は、まだ始まったばかりだ。

 永瀬さんの二本目のサーブ。彼女は、今の失点に動揺することなく、再び集中し、今度は横回転のサーブを放つ。

 松本選手は、それを再びツッツキで返球。

 3球目、私への返球。私は、今度も、ループドライブでラリーを作る。

 4球目、高坂選手が、再び強烈なドライブを、今度は永瀬さんのミドルへ。

 5球目、永瀬さんが、それに食らいつく!彼女は、前後に揺さぶられながらも、驚異的な粘りでそのボールを拾い上げ、高いロビングで時間を稼いだ!

 6球目、松本選手が、そのロビングに対し、スマッシュを叩き込む!

 7球目、私への返球。私は、そのスマッシュを、今度はスーパーアンチの面に持ち替え、相手の威力を完全に殺し、ネット際に、ぽとりと落とす。

 8球目、高坂選手が、慌てて前に踏み込むが、体勢は完全に崩れている。彼女がなんとか返したボールが、ネットを越えることはなかった。

 静寂・永瀬 1 - 1 高坂・松本

「よしっ!ナイスだ、永瀬!今の粘りだぞ!」

 部長の声が、ベンチから飛ぶ。永瀬さんの顔に、ほんの少しだけ、安堵の色が浮かんだ。

(…なるほど。これが、部長の言う『掛け算』の、始まりの一歩、ということか。永瀬の『粘り』が、私の『変化』を活かす隙を作り、そして勝利へと繋がる…非効率的だが、興味深いプロセスだ…)

 サーブ権が、相手ペアへと移る。

 サーバーは、松本選手。レシーバーは、私。

 コートの向こう側で、高坂選手がパートナーに何事か囁いている。私の「異端」な変化を警戒し、私に仕事をさせず、永瀬さんを狙うように、といったところだろうか。合理的な戦術判断だ。

「しおり、レシーブは無理するな!永瀬が動きやすいように、スペースを意識しろ!」

 ベンチの部長から、具体的な指示が飛ぶ。それは、私の「分析」を封じ、ただ「仲間」を信頼しろという、あまりにも非合理的な命令。

(…永瀬が動きやすいスペース。それは、相手に攻撃の隙を与えることと、ほぼ同義だ。だが、これが彼の『実験』。ならば、その通りに実行し、データを収集するまで)

 松本選手が放ったのは、私のフォアサイドを横に切るように、鋭く、そして回転量の多いサーブだった。私を台の外側へと追い出し、中央にスペースを作ろうという意図が見える。

 私の思考ルーチンが、即座に最適解を弾き出す。スーパーアンチに持ち替え、相手の回転を利用した、予測不能なデッドストップをネット際に落とすのが、最も効率的だ。

 しかし、私は、その最適解を、自らの意思で「棄却」した。

 部長の指示通り、私はラケットを裏ソフトの面のまま、そのサーブに対し、無理に攻撃はしない。体を大きく使い、安定したループドライブで、相手コートの真ん中深くへと、安全に返球する。それは、次のラリーへと繋ぐためだけの、あまりにも平凡な一球。

 3球目。そのボールを、高坂選手が、待っていましたとばかりに、力強いフォアハンドドライブで、永瀬さんのバックサイドへと叩き込んできた!

 4球目を打つのは、永瀬さん。

 彼女は、その強打に対し、悲鳴を上げそうになるのをぐっと堪え、そして、私の、あるいは部長の視線を感じたのか、ラケットを引くことなく、コンパクトなブロックで、必死に食らいついた!ボールは、山なりになったが、確かに相手コートへと返っていく。

(…ナイスブロックです、永瀬さん。今のあなたの判断は、この非合理的な戦術において、唯一の正解だったのかもしれない)

 5球目。松本選手が、その甘いボールを、スマッシュで、私のフォアサイドへと叩き込む。

 6球目を打つのは、私。私は、そのスマッシュに対し、今度はスーパーアンチの面で、その威力を完全に殺し、再び相手コート深く、高坂選手の足元へと、いやらしいナックル性のボールを送り込んだ。

 7球目。高坂選手は、その予測不能なナックルに体勢を崩しながらも、なんとかドライブで返球してくる。

 8球目。永瀬さんへの返球。先ほどのラリーで、僅かな自信を取り戻したのか、彼女は、今度はただ返すだけではない。自らの意志で、コースを突き、相手ペアの真ん中を狙って、鋭いツッツキを放った!

 高坂選手の返球が、僅かに、サイドラインを割る。

 静寂・永瀬 2 - 1 高坂・松本

「よしっ!それでいい、永瀬!今のコース、最高だったぞ!」

 部長が、ベンチで大きくガッツポーズをする。永瀬さんの顔に、ほんの少しだけ、本当にほんの少しだけ、安堵と、そして喜びの色が浮かんだ。

 松本選手の二本目のサーブ。今度は、私のバックサイドへ、速いロングサーブ。

 私は、それを裏ソフトで堅実にブロック。

 3球目、高坂選手が、ドライブで永瀬さんのフォアを襲う。

 4球目、永瀬さんが、それをクロスへ、ドライブで応戦する!

 そこから、壮絶なドライブの応酬が始まった。部長の指示通り、私たちが台から下がらず、前陣で粘り強く戦うことで、相手の得意な、台から距離を取ったパワープレーを封じ込めている。

 しかし、やはり地力で勝るのは、山吹中学ペア。ラリーの末、高坂選手の、コースの厳しいフォアハンドドライブが、永瀬さんのブロックを弾き飛ばした。

 静寂・永瀬 2 - 2 高坂・松本

 サーブ権が、こちらに移る。

 部長の「実験」は、今のところ、一進一退。だが、永瀬さんの表情には、前の試合のような絶望の色はない。私の心の中にも、あの鉄錆のような後味とは異なる、何か別の、解析不能な感情のデータが、蓄積され始めていた。

 これは、一体、何なのだろうか。


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