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異端の白球使い  作者: R.D
ダブルス編
250/674

再戦

 私が、彼の言葉にどう応じるべきか、最適解をシミュレートしていた、その時だった。

「…第五中学校の皆さん。試合前にお邪魔して申し訳ない」

 静かで、しかし芯の通った声。

 振り返ると、そこには、山吹中学のジャージを纏った、高坂まどか選手が一人で立っていた。そのパートナーらしき選手が、少し離れた場所で戸惑ったようにこちらを見ている。

 高坂選手の表情には、敵意も、探るような色もない。ただ、真っ直ぐな、そしてどこか硬質な光を宿した瞳が、私を見つめている。

 私の分析モデルが、即座に彼女の接近意図の解析を開始する。だが、有効なデータが不足しており、明確な結論は出ない。

「高坂選手…」

 部長が、訝しげな、しかし警戒を解かない声で応じる。

「次の試合、よろしくお願いします。」

 高坂選手は、まず、丁寧にそう言って一礼した。そして、顔を上げると、少しだけ、本当にほんの少しだけ、ためらうように、しかし強い意志を持って、私に向き直り、言葉を続けた。

「その前に、一つだけ…。静寂さん。県大会の決勝の後、大丈夫だった? あなたが勝った後、すぐに倒れたから…すごく、心配した」

 その、あまりにも予想外の、そしてストレートな気遣いの言葉。

 私の思考ルーチンが、一瞬、完全にフリーズした。

(…心配?対戦相手である、この私が?なぜ?その行為に、どのような合理的な目的が…?心理戦の一環か?いや、彼女の瞳に、嘘や駆け引きの色はない…)

「あの後、あなたのチームの人たちが来るまで、私も、少しだけ手伝ったんだ。…すごい熱だったから。無理、しすぎてたんじゃないかなって」

 彼女は、淡々と、しかしその言葉の端々には、偽りのない感情が滲んでいた。

(…手伝った?彼女が?私の…手当てを…?)

 私のデータベースには、その情報はない。県大会の後、私の記憶は、勝利の瞬間の直後から、ベッドの上で目覚めるまで、完全に欠落しているのだから。

「今日の試合、楽しみにしている。今度は、万全のあなたと、正々堂々、戦いたいから」

 高坂選手は、そう言うと、もう一度軽く会釈し、自分のベンチへと戻っていった。

 後に残されたのは、絶対的な静寂と、そして、私の内で激しく渦巻く、解析不能な情報の奔流だった。

(…なぜだ?なぜ、彼女は、私を助けた?そして、なぜ、それを今、私に伝えた?私の動揺を誘うため?いや、違う。彼女の言葉と態度は、純粋な、そして非合理的なまでの…『善意』に満ちていた…)

 部長の「俺たちはここにいる」という、あの非合理的な宣言。

 あかねさんの、あの無条件の信頼。

 そして、この、敵であるはずの高坂選手の「善意」。

 私の分析モデルに存在しない、これらの非合理的な変数が、私の「静寂な世界」を、内側から侵食していく…。

「しおり…」

 部長が、何かを察したように、私の顔を覗き込む。

 永瀬さんも、信じられないといった表情で、私と、去っていく高坂選手の後ろ姿を交互に見ている。

 私の、固く閉ざされていたはずの「静寂な世界」。

 その壁に、高坂選手のその、あまりにも人間的な行動が、部長の「熱」とも、あかねさんの「光」とも違う、静かで、しかし鋭い楔となって、打ち込まれた。

 私は、自分の手のひらを見つめる。

 この手で、私は、彼女を打ち負かした。彼女の「正統」を、私の「異端」で蹂躙したはずだった。

 なのに、彼女は、倒れた私を…。

(…分からない)

 私の思考ルーチンが、明確な答えを出すことを、完全に放棄した。

「…そう、でしたか。」

 かろうじて、私の口から、掠れた声が漏れた。

「…ありがとう、ございます。」

 それは、分析でも、計算でもない、私の内側から、ほとんど無意識に、絞り出された言葉だった。

「――Bコート、リーグ最終戦、第五中学校、静寂・永瀬ペア、山吹中学校、高坂・松本ペア、お集まりください」

 審判のコールが、私の混乱した思考を、無情にも現実へと引き戻す。

 私は、ゆっくりと顔を上げた。その瞳には、もう、いつものような冷徹な光はない。

 ただ、深い、深い戸惑いの色だけが、浮かんでいた。

 今日の試合、私は、部長の指示に、ただ従うだけの「実験体」。

 だが、その実験は、今、対戦相手からもたらされた、この予測不能な「善意」という変数によって、全く予期せぬ方向へと、進み始めようとしていた。


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