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異端の白球使い  作者: R.D
前哨戦

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部長の名字

「部長先輩も、しおりさんも、本当にすごいです! 県大会でも、頑張ってください!」


 マネージャーのあかねさんが、キラキラとした瞳で私たち二人に声をかける。


 彼女の言葉に含まれる純粋な応援の感情は、ポジティブなノイズとして分類されるが、不快ではない。


「おう! 任せとけ、あかねちゃん! この部長ぶちょう たけるが、静寂なんぞに負けたまま終わるわけねえだろうが!」


 部長が、いつものように自分の胸をドンと叩き、高らかに宣言する。


 その瞬間、隣でやり取りを聞いていた顧問の先生が、トーナメント表から顔を上げて、やや意外そうな、しかしどこか納得したような表情で口を開いた。


「ああ、そうだったな。君の名字は『部長ぶちょう』だったか、赤木。いや、今はもう赤木ではないんだったな、失敬失敬。すっかり役職名で呼ぶのが定着していてな。」


 顧問の、訂正を含んだその何気ない一言。


 しかし、その瞬間、私の思考は、まるで予期せぬバグに遭遇したプログラムのように、一瞬フリーズした。


 …名字が、「ぶちょう」? 役職名としての「部長」ではなく、固有名詞としての「部長」? 一体なにが、どうなっているか、わからない


 周囲の部員たちが「名字が部長って」「赤木から部長に変わったときはらしいなって思っちまったよな」とざわめき始める中、当の部長本人はというと。


「ははっ!そうなんスよ、先生!俺の名字『部長』!インパクトあるでしょ?母の再婚で名字が変わったんだけど、よく『部長ー!』って呼ばれると、どっちの意味か一瞬考えますけどね!」


 と、あっけらかんと笑い飛ばしている。


 その隣で、三島さんが私の顔を覗き込み、ニヤニヤと楽しそうに小声で囁いた。


「しおりさん、知らなかった? 部長先輩の名字、『部長』ですよ? だから、しおりさんが『部長、部長』って呼んでるの、半分は名字で、しかも呼び捨てで呼んでるようなものなんだよ。面白いよね?」


 彼女の言葉が、私の混乱した情報処理システムに追い打ちをかける。


 …あかねさんは、この事実を既知としていた?


 そして、私のこれまでの「部長」という呼称が、彼女にとっては二重の意味を持つ言葉として認識されていた…?


 かつてないほどの情報量の奔流。


 私の冷静さを保っていたはずの表情筋が、わずかに、しかし確実に引きつるのを感じた。


 視線が定まらず、呼吸が浅くなる。これは…まずい。私の処理能力の許容量を超えつつある。


「…つまり…私が…『部長』と呼称していた対象は…役職としての意味合いと…固有名詞としての意味合いが…混在し…その上で、当事者であるあなたは…それを認識しつつも…明確な指摘を怠り…周囲、特に私に対して…情報の非対称性を意図的に発生させていた…と、そういう結論で…よろしい、ので…?」


 私の声が、自分でも驚くほど上ずり、早口になっている。


 いつものように単語ごとに区切って発話することができない。指先が、微かに冷たくなっていくのを感じる。


 これは、私が最も苦手とする状況――予測不能な、論理で割り切れない、人間の感情や行動の複雑さに直面した時の、典型的な思考停止の兆候だった。


「えっ、あ、いや、静寂、そんな大袈裟な…! わ、わざと黙ってたとかじゃねえよ! ただ、お前があんまり真面目に『部長』って呼ぶから、なんかタイミング逃したっていうか…その…だな…」


 部長が、私の剣幕(に見えたのかもしれない)と、普段からは想像もつかない早口に、明らかに狼狽し、額に大粒の汗を浮かべている。


 彼の熱血ゲージも、予期せぬ角度からの追及によって急降下しているようだ。


「し、しおりさん、だ、大丈夫? 顔、真っ青だよ…?」


 あかねさんが、さすがに私の異変に気づき、心配そうに声をかけてくる。


 …大丈夫ではない。私の思考ルーチンが、この「部長が名字で、かつ役職も部長」という、一見単純だが、私の認識システムにとっては極めてイレギュラーな事象を、正常に処理できていない。


 私は、何も言えずに、ただトーナメント表の一点を凝視したまま硬直していた。


 脳内では、無数の可能性と解釈が猛スピードで交錯し、しかし、どれも明確な答えには至らない。これが、彼らが言うところの「パニック」という状態に近いのかもしれない。


 私の「異端」は、卓球のコート上だけに許されるものであり、このような日常における想定外の変数に対しては、驚くほど脆いのかもしれない。


 この一件は、私の「想定外の事態への弱さ」という、新たな分析項目を私自身に提供することになった。


 そして、それは後の「悪夢」へと繋がる、ほんの小さな、しかし確かな亀裂の一つとなるのかもしれない。

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