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異端の白球使い  作者: R.D
ダブルス編
249/674

信頼

 彼の、あまりにも真っ直ぐで、そしてあまりにも熱い瞳から、私は、もう、逃れることはできなかった。

 私の「静寂な世界」を、彼の「熱」が、有無を言わさずこじ開けようとしている。

(…この人、部長 猛という存在。私がこの学校に来て、まだ半年。彼の行動原理は、常に私の分析モデルの予測範囲を、僅かに、しかし確実に逸脱し続ける。私がどれだけ論理で壁を築いても、どれだけ冷たい言葉で突き放しても、彼は、諦めない。なぜだ?なぜ、ここまで…?)

 私の思考ルーチンが、彼の行動の裏にある、合理的な目的を探し出せずに、ループを繰り返す。

 だが、そのループする思考の片隅で、ほんのわずかに、私の心が落ち着いていくのを、私自身も感じていた。それは、彼の熱意に当てられたからではない。むしろ、彼のその「諦めない」という、一貫した行動パターンが、私の分析モデルにおいて、ある種の「信頼できる定数」として認識され始めたからなのかもしれない。

 私は、一度、深く、静かに息を吸い込んだ。そして、彼のその挑戦的な瞳を、私の、氷のように冷たい、分析者の瞳で見つめ返した。

「…部長。あなたが言う『責任』とは、具体的にどのようなものを指すのですか?」

 私の声は、いつもの平坦さを取り戻していた。だが、その言葉には、明らかに、ほんの少しの「いじわる」な響きと、彼の覚悟を試すような、鋭い棘が含まれている。

「敗北という結果は、記録として残り、私たちの本戦入りの確率を限りなくゼロに近づける。その、覆しようのない事実を、あなたは、一体どう『取る』というのですか?あなたの得意な精神論で、スコアボードの記録でも改竄すると?」

 私のその、あまりにも皮肉に満ちた問いかけに、部長は一瞬、言葉に詰まり、顔を赤らめた。

「う、うるせえ!ごちゃごちゃ理屈こねてんじゃねえ!俺が取るって言ったら取るんだよ!それ以上でも、それ以下でもねえ!」

 彼の、あまりにも非論理的な、しかし揺るぎない返答。

 私は、その様子を冷静に観察し、そして、ふう、と、まるで仕方がないといった風に、小さなため息をついた。

「…はぁ。分かりました。」

 私のその言葉に、部長と、そして隣で固まっていた永瀬さんの肩が、ほんの少しだけ、ピクリと動く。

「このリーグ戦、既に私たちは1敗している状況です。これ以上、負けられないのは事実。次の最終戦、どのような戦術を選択するにせよ、勝利確率が保証されていない以上、あなたのその、根拠のない自信に満ちた『実験』とやらに、付き合ってあげないこともありません。」

 私は、わざと、少しだけ偉そうに、そしてあくまで「譲歩してあげる」という体で、彼の挑戦状を受け取った。

「――まあ、いいでしょう。あなたのその、非合理的な誘いに、乗ってあげます。」

 その言葉を発した瞬間、私の心の中に渦巻いていた、あの敗北から続く、どろどろとした感情の嵐が、少しだけ、本当にほんの少しだけ、凪いでいくのを感じた。鋭さは、まだ残っている。勝利への渇望も、消えてはいない。だが、第1セットが終わった時のような、あの全てを拒絶するような氷の壁は、ほんのわずかに、その厚みを失っているのかもしれない。私は、少しずつ、正気を取り戻しつつあった。

 部長は、私のその返事を聞き、一瞬、信じられないといった顔をしたが、すぐに、太陽のような、満面の笑みを浮かべた。

「…はっ!そうこなくっちゃな、しおり!」

 昼休憩終了のブザーが、私たちの、新たな、そして奇妙な「契約」の成立を告げるかのように、体育館に鳴り響いた。



 リーグ最終戦を前に、私たちの周りには、これまでのどの試合とも異なる、異様なほどの緊張感が漂っていた。この一戦に、私たちの本戦出場、そして、この即席ペアの、そして部長の信じる「卓球」の真価が問われる。

 永瀬さんは、隣で、何度もラケットを握り直し、深呼吸を繰り返している。その瞳には、恐怖と、しかし部長の言葉を信じようとする、必死な決意の色が浮かんでいた。

 部長は、そんな私たち二人の前に立ち、いつものように、しかし今日はより一層、その言葉に力を込めて言った。

「いいか、二人とも。今日の試合で、一番大事なのは、お互いを信じることだ。永瀬、お前はミスを恐れるな。お前の後ろには、しおりと俺がいる。思いっきり、お前の卓球をしてこい。」

「…はい!」永瀬さんが、力強く頷く。

「そして、しおり。」

 部長が、私に視線を向ける。

「お前は、今日だけは、そのすげえ頭脳を、少しだけ休ませてやれ。永瀬を信じて、俺を信じて、ただ、目の前のボールを打つことだけに集中しろ。いいな。」

 彼の言葉は、熱く、そして真っ直ぐだった。

 だが、私の思考ルーチンは、その非合理的な精神論に対し、依然として、冷徹な警告を発し続けている。

 私は、部長のその熱い瞳を、私の、氷のように冷たい瞳で見つめ返した。そして、ほんの少しだけ、拗ねた子供のような響きを、その平坦な声に乗せた。

「…部長。」

「おう、どうした、しおり。」

「対戦相手は、あの高坂選手です。県大会で、私をあれほどまでに追い詰めた、正統派の強者。その彼女と、そのパートナーに対して、本当に、私の分析なしに勝てるのですか?」

 その言葉は、純粋な疑問であり、同時に、彼の覚悟を試す、鋭い刃でもあった。あなたのその「信頼」という名の、あまりにも不確定な戦術は、この論理的な盤面の前で、本当に機能するのか、と。

 私のその、棘のある問いかけに、部長は一瞬、言葉に詰まった。しかし、彼は、すぐに、ニヤリと、いつもの不敵な笑みを浮かべた。

「ああ、勝つさ。」

 彼の声には、一切の迷いがない。

「お前の分析が、このチームの最大の武器だってことは、俺が一番よく分かってる。だがな、今日の試合で試されるのは、計算の精度じゃねえ。」

 彼は、私の肩に、そして、隣で息をのむ永瀬さんの肩に、その大きな手を、ぽん、と置いた。

「お前が、永瀬を信じられるか。永瀬が、お前を信じて思いっきりプレーできるか。そして、俺が、お前たち二人を、心の底から信じきれるかだ。それさえできりゃ、どんな相手だろうと、俺たちは負けねえ。」

 その、あまりにも非合理的で、しかし絶対的なまでの自信に満ちた言葉。

 私は、何も言い返せなかった。

 ただ、その熱い手のひらから伝わる「何か」に、私の「静寂な世界」の壁が、ほんの少しだけ、揺さぶられるのを感じていた。

「…はぁ。」私は、わざとらしく、そして小さなため息をつく。「分かりました。あなたのその、根拠のない自信に満ちた『実験』とやら、最後まで付き合ってあげましょう。」

 その言葉は、まだ鋭さを残しながらも、彼のその熱意を、確かに受け入れた響きを持っていた。

 私の「正気」が、ほんの少しだけ、戻りつつあるのかもしれない。



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