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異端の白球使い  作者: R.D
ダブルス編
241/674

反省

 体育館の喧騒が、耳鳴りのように遠くで響いている。

 12-14。

 スコアボードに刻まれたその数字が、網膜に焼き付いて剥がれない。敗北。私の思考ルーチンが、最も忌避すべきと定義する、ありえない、私の存在意義は…?

 ベンチに戻る足取りは、驚くほどにいつも通りだった。だが、私の内側では、膨大なログデータが猛スピードで駆け巡り、ただ一つの問いを繰り返している。

 ――なぜ、負けた?

 私の分析では、勝率は67.8%を超えていたはずだ。相手ペアのデータ、試合の流れ、そして私が提示した最適解。そこに、これほどの敗北に繋がる致命的なエラーは存在しなかったはずだ。ならば、原因はどこにある?

「…ごめんなさい…っ」

 隣に座った永瀬さんが、タオルに顔を埋め、声を押し殺して泣いている。その肩が、小刻みに、痛々しく震えていた。

「ごめんなさい…わたしの、せいで…。最後の、あのチャンスボール…わたしが、ちゃんと決めていれば…」

 途切れ途切れに聞こえる、自責の言葉。

 私の思考ルーチンは、その言葉を、一つの変数として、冷徹に分析する。

 確かに、終盤、彼女のミスはいくつか観測された。トラウマに起因するであろう、攻撃への躊躇。チャンスボールに対する、反応の遅延。それらが、敗因の一つであることは、客観的な事実だ。

 だが、それを、この場で、この感情的な彼女に指摘するのは、合理的ではない。無用なノイズを増やすだけだ。

 私は、彼女に視線を合わせることなく、ただ、正面の壁を見つめたまま、平坦な声で告げた。

「…いいえ。問題は、私の分析モデルが、あなたの行動における不確定要素の振れ幅を、過小評価していた点にあります。私の、計算ミスです」

 その言葉に、永瀬さんが、びくりと顔を上げた。その涙で濡れた瞳には、驚きと、そして「責められていない」ことへの、ほんのわずかな安堵の色が浮かんでいる。

(そうだ。私の計算ミスだ。あなたという、あまりにも不安定で、予測不能なパラメータを、この方程式に組み込んでしまった、私の…)

「しおり!お前のせいじゃねえ!永瀬だけのせいでもねえ!」

 沈黙を破ったのは、腕を組み、険しい表情で私たちを見ていた部長だった。

「勝負ってのは、こういうこともある!相手が一枚上手だっただけだ!そうだろ!?」

 彼の言葉は、熱く、そして正しいのかもしれない。だが、今の私の思考ルーチンは、その「精神論」を、明確なエラーとして弾き返していた。

 私は、ゆっくりと部長の方へ顔を向けた。その瞳には、温度がない。

「…部長。あなたの言う『一枚上手』という概念は、具体的にどのパラメータの優位性を示しているのですか。パワー、スピード、戦術、あるいは精神的安定性。その全てにおいて、私たちの初期データが、相手を上回っていたはずです」

「なっ…!そ、それは言葉の綾だ!要は、だな…」

「あるいは」私は、彼の言葉を遮るように、静かに続けた。「あなたがインターバル中に提案した、『気合』や『二人の連携』といった、再現性のない、極めて情緒的なアプローチが、私の精密な戦術モデルに不要なノイズを混入させ、結果として、この敗北の一因となった、という分析結果も出ていますが。それについては、どのような見解を?」

 私のその、あまりにも冷たく、そして棘のある言葉に、部長は一瞬、息をのんだ。彼の顔から、いつもの熱血が、すっと引いていくのが分かった。

「…しおり、お前…」

「私は、事実を分析し、次の勝利のための最適解を導き出そうとしているだけです。感情的な慰めや、根拠のない精神論は、そのプロセスにおいて、不要なバグを発生させる要因となり得ますので。」

 私は、そう言い放つと、再び正面へと向き直った。

 永瀬さんは、私のその言葉の真意を測りかねて、ただ怯えたように、私と部長の顔を交互に見ている。

 部長は、何かを言い返そうとして、しかし言葉を見つけられずに、ぐっと唇を噛み締めた。

 体育館の喧騒が、戻ってくる。

 だが、私たちのベンチだけは、氷のように冷たい沈黙に支配されていた。

(やはり、信じられるのは、私自身の分析だけだ。他者という、制御不能な変数は、私の「静寂な世界」を、そして勝利を、ただ遠ざけるだけなのだから)

 私は、固く、固く、拳を握りしめた。

 この敗北の味を、そして、この胸に突き刺さった棘の痛みを、私は決して忘れない。

 そして、次こそは、私一人の、完璧なロジックだけで、勝利を掴み取ってみせる。

 そう、心に誓った。


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