老練なダブルス(4)
静寂・永瀬 8-8 高橋・鈴木
サービス権は相手へ。サーバーは高橋選手。ここから、試合の雰囲気が変わった。永瀬さんの感覚が、冴えわたる。高橋選手の厳しいサーブを、完璧なチキータでレシーブ。しかし、そのボールを鈴木選手が完璧な読みでカウンターを放つ、その球は私の予想を越えたスピードでコートに突き刺さった。
静寂・永瀬 8-9 高橋・鈴木
高橋選手の二本目のサーブ。永瀬さんの感覚がリベンジとばかりに爆発する。今度は、あえて打たず、ストップでレシーブ。その意表を突く選択に、3球目の鈴木選手の体勢が崩れる。4球目、私へのチャンスボール。私は、それを確実に決めた。
静寂・永瀬 9-9 高橋・鈴木
サーブ権は私たち、永瀬さんが下回転のショートサーブを放つ、しかし緊張からかネットに引っ掻けてしまう、痛い失点だ。
永瀬さんの、自責の念を持った、痛々しい横顔が見える。
静寂・永瀬 9-10 高橋・鈴木
「…誰もあなたを攻めません、大丈夫です。」
私は静かに永瀬さんに語りかける
「気にするな!気合いだ永瀬!」
後ろから部長の熱い声が聞こえる
「…!はい!」
もう一度トライする決意を秘め、永瀬さんがサーブの構えに入る。
そのサーブは再び下回転のショートサーブ、相手はそれをつっつきで返してくる、
…ここしかない!長引いたラリーが多かったセット、ここで意表を突く。
私は裏ソフトに持ち替え、回転のかかったループドライブを半ば強引に上げるように放つ、その回転量は相手の想定を越え、ラケットに弾かれる。
静寂・永瀬 10-10 高橋・鈴木
デュース。ここからが、本当の地獄だ。サービスは、一点ごとに交代する。息もつけないほどの、極限の緊張感。全身の細胞が、酸素を求めて悲鳴を上げている。
サービス権は相手へ。サーバーは高橋選手。ラリーの末、高橋選手のブロックが、ネットインという不運な形で、私たちのコートに落ちた。
静寂・永瀬 10-11 高橋・鈴木
サーバーは私。レシーバーは高橋選手。私のサーブから、永瀬さんが3球目を決めた、なんとか勝利へ繋がった。
静寂・永瀬 11-11 高橋・鈴木
首の皮一枚で繋がって入るが、こちらが圧倒的に不利なのは間違いない、それだけ、ダブルスの理解の、相手との差は大きい。
それがわかっている永瀬さんの顔が、こわばる。一瞬、第一セットの、あの絶望が、彼女の顔をよぎったように見えた。「…永瀬さん」私は、静かに、声をかけた。「あなたは、あなたの感覚だけを、信じてください。結果は、私が引き受けます」。永瀬さんは、私の目を見て、こくりと頷いた。鈴木選手の、揺れるサーブ。私は、それに、ただ、ラケットを合わせた。安全な、返球。ラリーが始まる。私が、壁になる。私が、拾う。私が、繋ぐ。そして、5球目。高橋選手のドライブが、私のアンチラバーに当たり、死んだボールとなって返る。そのボールを、6球目の打者、鈴木選手が、粒高で、いやらしく、ネット際に落としてきた。決まった、と誰もが思った、その時。永瀬さんが、そのボールに、信じられないような反応速度で追いつき、拾い上げた。ボールは、高く、高く、相手コートへと返っていく。ロビングだ。高橋選手が、そのボールの下に入り、スマッシュを叩き込む。それを、永瀬さんが、また、拾う。もう一度、スマッシュを叩き込まれる。それを、私が、今度は、拾う。壁が、二人になった。私たちは、ただ、無心で、ボールを返し続けた。そして、10球を超えたラリーの末、ついに、高橋選手のスマッシュが、ネットにかかった。
静寂・永瀬 12-11 高橋・鈴木
サービス権は私たち。私たちの、セットポイント。永瀬さんのサーブから、私が3球目を攻撃し、相手のミスを誘った。しかし、相手は崖っぷちでも冷静にカウンタードライブを放ちコートに刺さる。
静寂・永瀬 12-12 高橋・鈴木
サービス権は相手。サーバーは鈴木選手。レシーバーは私。ラリーは、私たちのペースだった。だが、最後の最後で、高橋選手の、信じられないようなカウンターブロックが、ライン際に決まった。
静寂・永瀬 12-13 高橋・鈴木
最後のボール。ラリーが、始まる。鈴木選手が返す。私が、打つ。高橋選手が、ブロックする。永瀬さんが、繋ぐ。鈴木選手が、揺らす。一瞬の隙、私が、この試合、何度目になるか分からない、渾身のドライブを放った。それは、勝利を確信させる、完璧な一打に見えた。だが。長年の経験が生み出す読み。鈴木選手は、その私のドライブコースを、完璧に予測していたのだ。彼女は、そこに、ラケットを置くだけの、完璧なブロックで待ち構えていた。ボールは、私のドライブの威力を利用され、私たちの、ちょうど真ん中、どちらも取れない場所へと、静かに、落ちていった。
静寂・永瀬 12-14 高橋・鈴木
私たちは、負けた。あれだけ食らいついて、あと一歩まで追い詰めて、それでも、届かなかった。永瀬さんは、もう、泣いていなかった。ただ、呆然と、ネットの向こう側を見つめている。私も、同じだった。思考は、働かない。ただ、心臓が、ドク、ドク、と、大きく、痛い音を立てているだけだった。
「…よく、やった」
ベンチに戻った私たちに、部長が、それだけ言った。その声は、不思議と、優しかった。
完全な敗北。しかし、それは、第一セットの時のような、無力な絶望ではなかった。指先が、あと、ほんの数センチ、ボールに届けば。あの時、ほんの少しだけ、コースが違えば。その、あまりにも、あまりながらも、悔しい「あと一歩」が、私の、そして、永瀬さんの胸に、深く、深く、刻み込まれていた。