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異端の白球使い  作者: R.D
ダブルス編
238/674

二人で戦え

 3-11。スコアボードに刻まれた数字が、現実のものだと理解するのに、数秒を要した。私たちは、逃げるように、あるいは、引きずられるように、ベンチへと戻った。


 隣に座った永瀬さんは、タオルに顔を埋め、声を押し殺して泣いている。その肩が、小刻みに、痛々しく震えていた。「ごめん…なさい…わたしの、せいで…」途切れ途切れに聞こえる声が、私の胸に突き刺さる。


 私の思考ルーチンは、完全に沈黙していた。機能不全。システムエラー。今まで、どんな複雑な状況でも、何かしらの解を提示してくれた私の脳は、今、ただ真っ白なノイズを発し続けているだけだった。


「…水だ。飲め」


 部長が、無言でペットボトルを差し出す。その手つきは、不器用だが、不思議と優しかった。私は、その水を受け取り、一口だけ口に含んだ。


 どうすれば、勝てる?

 分からない。

 なぜ、負けた?

 全てにおいて、劣っていたからだ。

 では、どうすれば?

 分からない。分からない。分からない。


 ループする思考を、遮るように、私は口を開いた。声が、自分のものではないように、平坦に響いた。


「部長」


 部長は、永瀬さんの背中をさすってやっていた手を止め、私を見た。


「思考ルーチンが、機能不全に陥りました。相手ペアへの有効な戦術を、算出できません」


 私のその、あまりにも人間味のない告白に、部長は眉一つ動かさない。ただ、黙って、次の言葉を待っている。


「特に、鈴木選手の粒高ラバー、そして、高橋選手の表ソフトラバー。これらの、私たちの戦術を無効化したものへの対抗手段について、あなたの見解を要求します」


 助けを求める。

 それは、私の人生で、初めての経験だった。


 部長は、ふう、と一度、大きなため息をついた。それは、呆れたものでも、失望したものでもなく、目の前の難題を、自分の中に受け入れるための、儀式のように見えた。


「…まず、粒高だ」


 部長は、ゆっくりと、しかし、力強い声で話し始めた。


「鈴木のオバサンみてえな、熟練した粒高使いに、中途半半端な回転は通用しねえ。むしろ、変化の餌食になるだけだ。対策は、二つ。徹底的に『殺す』か、徹底的に『生かす』かだ」

「殺す、と、生かす…?」


「そうだ。一つは、お前のアンチで、死んだみてえなナックルを、しつこく、しつこく、同じコースに集め続ける。粒高ってのは、回転があるから変化するんだ。だったら、こっちが回転をかけなきゃいい。単調なナックルプッシュの応酬に持ち込んで、相手の根負けを待つ。泥臭い、我慢比べだ」


「…もう一つは」


「もう一つは、徹底的に『生かす』。つまり、こっちが、相手が処理しきれねえほどの、強烈な上回転をかけ続けるんだ。裏ソフトで、とにかくドライブを打ち続ける。粒高にカットされても、それをまたドライブで持ち上げる。相手の変化の限界を超えるほどの、回転量とパワーで、無理やりねじ伏せる。パワー勝負だ」


 なるほど。私が導き出せなかった、極端な二つの解。論理的ではあるが、それを実行するには、あまりにもリスクが高い。


「次に、高橋のオバサンの表ソフトだ」と、部長は続ける。

「あいつは、典型的な前陣速攻タイプだ。速いラリーに持ち込んだら、相手の土俵。だから、絶対に、速いラリーをしちゃならねえ」

「…では、どうすれば」


「時間を奪うんだ。表ソフトは、ボールが頂点に達する前に、ライジングで叩くのが一番気持ちいい。だから、わざと、台の深いところに、山なりの、ゆーっくりしたループドライブを送ってやるんだ。そうすりゃ、相手は詰まって、強いボールが打てなくなる。得意な戦場から、無理やり引きずり出してやれ」


 それは、私の思考にはなかった、あまりにも感覚的で、しかし、経験に裏打ちされた、確かな戦術だった。


「…だがな、しおり」


 部長は、そこで、私の目を真っ直ぐに見た。


「一番大事なのは、そこじゃねえ。お前は、一人で戦いすぎだ」

「…!」


「お前が一人で計算して、一人で組み立てて、一人で責任を背負おうとしてる。だから、計算が狂った時に、全部が止まっちまうんだ」


 部長は、泣きじゃくる永瀬さんに向き直った。

「永瀬!いつまで下向いてんだ!お前のせいで負けたんじゃねえ!相手が一枚も二枚も上手だっただけだ!だがな、お前のチキータやスマッシュは、通用してた瞬間があっただろうが!忘れたか!」


 永瀬さんの肩が、びくりと震える。


「いいか、二人とも、よく聞け」


 部長は、私たち二人に、最後の指示を与えた。


「次のセット、しおり、お前はもう計算するな。お前は、『壁』になれ。とにかく、お前のアンチで、相手のボールを拾って、拾って、拾いまくれ。相手コートに、ボールを返し続けることだけを考えろ」


「…壁に」


「そうだ。そして、永瀬!」

 永瀬さんは、涙で濡れた顔を、ゆっくりと上げた。


「お前は、そのラリーの中から、自分が『打てる!』と思ったボールだけを、全部、思い切って叩き込め!コースも、タイミングも、お前の感覚に任せる!ミスしたっていい!その責任は、俺と、こいつが全部取る!だから、お前が信じたボールだけを、打ち抜け!」


『壁』と、『感覚』。

 私のデータベースには存在しない、あまりにも不確定で、非論理的な戦術モデル。


 インターバル終了を告げる、無情なブザーが鳴り響く。


 だが、私の頭の中に、久しぶりに、新しい思考のルートが開けていくのが分かった。

 それは、敗北によって初めて得た、未知の可能性への、入り口だった。

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