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異端の白球使い  作者: R.D
ダブルス編
236/674

老練なダブルス

 永瀬さんの精神状態が、第一試合を触媒として、安定した正のサイクルに移行したことを確認する。私の思考ルーチンは、この即席ペアにおける彼女の役割を「チャンスボールのフィニッシャー」から「能動的な攻撃ユニット」へと再定義した。彼女のトラウマという名の枷は、まだ完全には外れていない。しかし、勝利という成功体験と、部長と私による責任の所在の明確化が、彼女のパフォーマンスを飛躍的に向上させた。これは、計算上、非常に好ましい変化だ。

 リーグ戦は淡々と進行し、私たちは第二試合の対戦相手となるペアの試合を分析していた。

「うわ…なんか、あの人たち、すごいオーラ、ないですか?」

 隣に座る永瀬さんが、緊張した声で呟く。彼女の視線の先には、40代から50代であろう、二人の女性選手がいた。スコアボードを見るに、彼女らは危なげなく相手を降し、勝利を収めたようだ。その立ち振る舞いには、円熟味とでも言うべき、落ち着いた気品が漂っている。

 私の視線は、彼女らのプレーそのものよりも、その手に握られたラケットと、彼女らが描く連携の軌道に集中していた。

「高橋選手、及び鈴木選手。年齢は40代後半から50代前半と推定。身体能力は、先の大学生ペアに劣る。しかし…」

 私の分析を、永瀬さんが固唾を飲んで見守っている。

「…しかし、このペアは、先の大学生ペアとは比較にならないほどの、難敵です」

 対戦相手の分析データを、私の脳内メモリが高速で処理していく。

 高橋 選手

 ラケット:シェークハンド。フォア面に裏ソフト、バック面に表ソフト。

 戦術特性:前陣での速攻型。表ソフトによるナックル性ショートボールへの対応能力が極めて高い。スマッシュの決定力、コースの的確さ、どれも老練の域に達している。回転量の多いループドライブよりも、スピードと低さを重視した直線的な攻撃を得意とする。

 鈴木 選手

 ラケット:シェークハンド。フォア面に裏ソフト、バック面に粒高ラバー。

 戦術特性:守備及び攪乱のスペシャリスト。粒高ラバーは、相手の回転を反転させる特性を持つ。つまり、こちらがトップスピンをかければバックスピンに、バックスピンをかければトップスピン(に近いナックル性のボール)に変換して返球してくる。予測不能な揺れるボール、ブツ切りにするブロック。彼女のプレーは、ラリーの前提となる「回転」の法則を根本から破壊する。

 そして、何よりも致命的なのが、彼女らの連携能力だった。

「…圧倒的なチームワーク。彼女らの間に、無駄な声の連携はほとんど存在しない。高橋選手が表ソフトで叩けば、鈴木選手は既に次の返球コースを予測し、カバーリングに動いている。鈴木選手が粒高で相手を崩せば、高橋選手はそのチャンスボールを確実に仕留めるための最適なポジションに移動を完了している。長年の経験によって構築された、阿吽の呼吸。それは、もはや一つの生命体のように、完璧なシステムとして機能しています」

 私の説明を聞きながら、永瀬さんの顔が青ざめていくのが分かった。

「そ、それって…。静寂さんのアンチラバーと、鈴木さんの粒高ラバーって、似てるってこと…?」

「似て非なるものですが、本質的には同系統です。私のスーパーアンチは回転を『無効化』する。鈴木選手の粒高は回転を『反転』させる。どちらも、近代卓球の根幹であるスピンの応酬を拒絶する、異端のラバー。そして、高橋選手の表ソフトは、そういった回転の少ないボールを叩くことに特化している」

 結論は、明白だった。

「第一試合で私たちが展開した戦術…私のアンチラバーで変化を作り、相手を混乱させて、永瀬さんが仕留めるというパターン。このペアには、一切通用しません」

 私の「異端」は、完全に無効化される。それどころか、彼女らは、私たちが仕掛けるであろう戦術への対処法を、そのキャリアを通じて既に獲得しているのだ。

 ベンチに戻り、部長に分析結果を報告する。彼は、腕を組んで唸っていた。

「…だよな。俺も見ててヤベえと思ったんだよ。あのマダムペア、そこらの学生とは年季が違う。しおり、どうする?お前のアンチが効かねえとなると、相当キツいぞ」

「問題ありません」私は、静かに首を振る。「戦術Aが通用しない場合、戦術Bに移行する。当然のプロセスです」

 私は、永瀬さんに向き直った。彼女は、不安そうな瞳で私を見つめている。

「永瀬さん」

「は、はい…!」

「次の試合、あなたの役割は、第一試合とは全く異なります。もはや、あなたは単なるフィニッシャーではありません」

「え…?」

「相手ペアの連携は、一見、完璧に見えます。しかし、あらゆるシステムには、必ず設計上の脆弱性が存在する。彼女らの場合、それは『完璧すぎるが故の、予測可能性』です」

「よ、予測…?」

「彼女らは、長年の経験則に基づいた、最も効率的な卓球をします。Aというボールが来ればB´という最適解で返し、Cという状況になればD´という最適な陣形を組む。その動きは、極めて正確で、無駄がない。だからこそ…」

 私は、一度言葉を切り、彼女の瞳を真っ直ぐに見据えた。

「だからこそ、その最適解の連鎖を、ほんのわずかにズラすことができれば、彼女らのシステムにエラーを発生させることができる。その『ズラす』役割を、あなたが担うのです」

「わ、わたしが…?」

「はい。私が鈴木選手の粒高を、私の裏ソフトで敢えて打ちにいきます。回転の応酬に持ち込み、彼女らの予測を乱す。当然、相手も対応してくるでしょう。その結果生まれる、彼女らの最適解からほんのわずかに外れた、僅かな『歪み』。それを、あなたは全神経を集中させて見つけ、躊躇なく、全力で叩いてください。それは、第一試合のような分かりやすいチャンスボールではないかもしれません。それでも、あなたはそれを仕留めるのです」

 私の言葉に、永瀬さんはゴクリと喉を鳴らした。それは、あまりにも高度で、あまりにも無謀な要求だったかもしれない。しかし、今の彼女なら、あるいは…。

「…分かった。やってみます…!」

 彼女の瞳に、恐怖と共に、覚悟の光が宿ったのを見て、私は静かに頷いた。

 リーグ戦、第二試合のコートに立つ。目の前には、高橋選手と鈴木選手。二人は、穏やかな笑みを浮かべ、まるで卓球教室の先生のような雰囲気すらある。しかし、その奥に潜む、百戦錬磨の経験が放つ圧は、先の大学生ペアの比ではなかった。

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