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異端の白球使い  作者: R.D
ダブルス編
232/674

オープン戦ダブルス(6)

 田中選手は、今の失点に、明らかに動揺している。彼の思考は、私の「アンチラバーでのナックルドライブ」という、彼の常識を覆す一打に完全に囚われているだろう。

(…ロングサーブへの警戒心は最大レベルに達しているはずだ。ならば、彼は、その逆を選択する確率が高い…)

 私の予測通り、田中選手が次に放ったのは、先ほどとは真逆の、下回転のショートサーブ。私のフォア前、ネット際にコントロールされた、丁寧なサーブだ。彼は、私のナックルドライブを警戒し、注文通り、台上への戦いへと、自ら足を踏み入れてきたのだ。

 私は、そのサーブに対し、ラケットを裏ソフトの面のまま、ストップの構えに入る。そして、ボールが頂点に達する寸前、コンパクトなスイングで、相手ペアのちょうど真ん中、二人が最も反応しにくいコースへと、鋭いフリックを叩き込んだ!

「させるか!」

 田中選手のパートナー、佐藤選手が、そのフリックに素早く反応し、ブロックで返球してくる。

 ここから、台の上での、息詰まるような捌き合いが始まった。

 私のナックル性のプッシュ、永瀬さんの下回転ツッツキ、私の裏ソフトでのサイドスピンをかけたストップ、永瀬さんのコースを突くフリック。目まぐるしく変わる球質とテンポに、大学生ペアの思考が、確実に追いついていない。

 そして、数回の応酬の後、相手のブロックが、ほんのわずかに甘く浮き上がった。その紙一重の隙を、私は見逃さない。

(…永瀬さん、あなたの領域です…!)

 私の内心の呼びかけに呼応するかのように、永瀬さんが、一歩前に踏み込む。その瞳には、もはや第一セット開始当初のような恐怖の色はない。ただ、目の前のチャンスボールを打ち抜くことだけを考えた、純粋な卓球選手の光が宿っている。

 彼女の放ったフォアハンドスマッシュは、鋭い音を立てて、相手コートのオープンスペースへと突き刺さった!

 静寂しおり・永瀬ゆいペア 2 - 0 大学生ペア

「…ナイススマッシュです、永瀬さん。」

 私は、平坦な声で彼女に告げる。

「は、はい…!あ、ありがとうございます…!」

 彼女の声は、まだ少し上ずっているが、そこには確かな喜びの響きがあった。

 私のナックルドライブ、そして永瀬さんのスマッシュ。たった二つのポイントで、試合の流れは、もはや流れと呼べるものではなく、一つの巨大な奔流となって相手ペアを飲み込もうとしていた。サーバーは私。ここからは、この「実験」の最終フェーズだ。

 大学生ペアの田中選手と佐藤選手は、明らかに動揺と思考の混乱をきたしていた。ロングサーブはアンチの餌食となり、ショートサーブは連携で打ち抜かれた。彼らが拠り所としていたであろうパワープレーの土俵は、私のアンチラバーによって跡形もなく消し去られ、目の前にはただ、底の知れない異質な卓球が広がっているだけなのだから。

(彼らの思考ルーチンは、現在、エラーコードを連続で出力している状態。安全策としてのショートサーブも、リスクを取ったロングサーブも、どちらも致命的な結果に繋がった。ならば、彼らが次に行うべき最適行動は何か?…答えは、存在しない)

 私はアンチラバーの面を相手に見せつけるように構え、モーションに入る。彼らの脳裏には、先ほどのナックルドライブの、あの白い閃光のような軌道が焼き付いているはずだ。警戒心が最大に達している今、彼らの身体は硬直し、反応はコンマ数秒、確実に遅れる。

 トスを上げ、放ったのは、下回転ともナックルともつかない、曖昧な回転をかけたショートサーブ。ボールは、まるで生き物のように、相手コートのフォアサイド、ネット際で不規則に、そして低く沈んだ。

「…ッ!」

 サーバーの田中選手が、咄嗟にラケットを出す。だが、彼の思考はまだ迷いの森を彷徨っている。ツッツキで切るべきか、フリックで払うべきか。その一瞬の逡巡が、彼のラケット角度を致命的に狂わせた。ボールはラバーに中途半端に当たり、力なくネットを揺らす。

 静寂・永瀬 3 - 0 大学生ペア

 二本目のサーブ。今度は、先ほどと全く同じモーションから、バックサイド深くへ、滑るような速いロングサーブを送り込む。相手の意識がフォア前のショートサーブに集中していることを逆手に取った、単純だが効果的な揺さぶり。佐藤選手は完全に反応が遅れ、慌てて飛びつくも、返球は大きく台をオーバーしていった。

 静寂・永瀬 4 - 0 大学生ペア

 ここからの展開は、あまりにも一方的だった。私のサーブ、そしてレシーブは、この試合における絶対的な法則として機能し始めた。その法則とは、ただ一つ。

 ――全てのラリーを、台の上という名の閉鎖空間に限定する。

 相手がロングサーブを出せば、私は後退することなく踏み込み、アンチラバーでその回転を無効化し、短く、低く、相手の足元へ突き刺すようにストップする。彼らが強引にドライブを打とうとすれば、その強大な回転エネルギーは、私の差し出すアンチラバーという名のブラックホールに吸い込まれ、全く質の異なるナックル性のブロックとなって、相手の予測不能なコースへと返っていく。

 ラリーが始まる前から、ラリーが始まった後も、全てのボールは、まるで物理法則を無視するかのように、ネット際の攻防へと収束していく。そこは、私と永瀬さんにとって、最も得意とする戦場だった。

 私のアンチが生み出す、滑るように伸びるナックル性のプッシュ。

 永瀬さんが放つ、鋭く切れた下回転のツッツキ。

 私が裏ソフトで見せる、相手の意表を突くサイドスピンをかけたストップ。

 永瀬さんが、私が作った僅かな隙を見逃さずに叩き込む、稲妻のようなフリック。

 目まぐるしく、そして不規則に変化する球質、テンポ、コース。それはもはや卓球ではなく、相手の思考を読み、反射神経を破壊する、高度な情報戦だった。大学生ペアは、この台の上という名の蟻地獄から抜け出そうと、必死にもがいていた。

「させるか!」

 佐藤選手が、私の甘いプッシュを見逃さず、回り込んでフォアハンドドライブを放つ。この試合で初めてと言っていいほどの、彼らの持ち味である威力のあるボール。観客席から、わずかにどよめきが起こる。

 だが、そのボールが頂点に達する位置に、永瀬さんが寸分の狂いもなく移動していた。彼女は、ラケットを引かない。ただ、ボールの威力と回転を殺すように、完璧な角度でラケットを合わせるだけ。

 カツン、と乾いた音が響く。彼女の放ったブロックは、相手のドライブの威力を完全に吸収し、相手ペアのちょうど真ん中、二人が最も反応しにくいコースへと、静かに、しかし速く落ちていった。

 静寂・永瀬 7 - 1 大学生ペア

 彼らが意地で奪い返した1点も、次のラリーで、私のサーブからの3球目攻撃で、いとも簡単に取り返される。彼らの思考は、完全に袋小路に迷い込んでいた。前に出ればフリックで抜かれ、下がればストップで前に引きずり出される。打てばブロックされ、繋げば変化でミスをさせられる。彼らのプライドは、ポイントを失うたびに、確実に削り取られていった。

 永瀬さんの動きも、第一セットとは別人のように洗練されていた。恐怖と困惑が消え去ったその瞳は、ただ純粋に、私が作り出すボールと、相手コートに生まれる「隙」だけを捉えている。私がナックルで相手を崩し、甘くなった返球がネットを越える。その瞬間、彼女は既に最適なポジションに移動し、フィニッシャーとしての役割を、完璧に遂行していた。

「おりゃあっ!」

 彼女の放ったバックハンドスマッシュが、相手コートを鋭角にえぐっていく。

 静寂・永瀬 9 - 2 大学生ペア

 大学生ペアの田中選手の膝が、がくりと折れた。それは、体勢を崩したからではない。彼の心が、完全に折れた音だった。もう、勝てない。どうやっても、この異質な卓球の迷路からは抜け出せない。その絶望が、彼の全身から立ち上っているのが、私には手に取るように分かった。

 そして、マッチポイント。スコアは、10 - 3。

 サーバーは、気力を失った田中選手。彼が、もはや何の意図もなく、ただ惰性で放ったサーブが、私のフォアサイドに力なく飛んでくる。

 私は、そのボールに対し、あえてアンチラバーではなく、裏ソフトの面を向けた。そして、これまでの台上での支配的なプレーとは真逆の、ごく普通の、綺麗な上回転のループドライブを、相手コート深くへと、ゆっくりと返球した。

 それは、彼らが本来最も得意とするはずの、回転と回転の応酬への招待状だった。

 だが、その招待状を受け取る気力は、彼らにはもう残されていなかった。

 佐藤選手の返球は、完全にタイミングがずれ、ラケットのフレームに当たり、高く、高く舞い上がる。体育館の天井の照明を浴びて、一瞬きらめいた白いボールが、万有引力の法則に従い、ゆっくりと、大学生ペアのコートへと落ちていく。

 試合終了を告げる、無情なバウンド音。

 静寂・永瀬 11 - 3 大学生ペア

 セットカウント:2-0

 一瞬の静寂の後、ベンチの部長が立ち上がり、何かを叫んでいるのが見えた。しかし、その声は私の耳には届かない。私は、隣で拳を握りしめ、喜びと安堵に肩を震わせる永瀬さんを一瞥し、静かに相手ペアへと向き直った。

 彼らは、ただ呆然と、ネットの向こう側に立ち尽くしている。彼らの大学生活の数年間で培ってきたであろう卓球の常識とプライドは、このわずか20分足らずの時間で、私という「異端」によって、完全に破壊されたのだ。

(第一段階の実験は、成功。この即席ペアの戦闘能力は、私の予測を上回るポテンシャルを示している。だが、それはあくまで、相手が私たちのデータを持っていないという、初期条件におけるアドバンテージに過ぎない。この勝利は、次なる、より高度な「実験」への序章でしかない…)

 私は、誰に聞こえるでもなく、そう結論付けた。「トラウマ」を抱えた少女たちの初陣は、あまりにも鮮烈な、そしてあまりにも一方的な勝利で、その幕を閉じたのだった。

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