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異端の白球使い  作者: R.D
ダブルス編
229/674

オープン戦ダブルス(3)

 3-0。私たちの即席ペアが、格上の大学生ペアに対し、序盤で3ポイントを連取している。体育館の他のコートからも、私たちのこの奇妙な試合に、好奇の視線が注がれ始めているのが分かった。隣に立つ永瀬さんの緊張はまだ解けていないが、その瞳には、先ほどのポイントへの驚きと、しかしそれ以上に、私への信頼にも似た、ほんの僅かな光が灯っている。

(…良い傾向だ。彼女の精神的パラメータは、僅かだが上向きに転じた。だが、相手もこのまま黙ってはいないだろう…)

 サーバーは、先ほど私のレシーブに翻弄された田中選手。彼は、一度大きく息を吐くと、私を射抜くような鋭い視線で、サーブの構えに入った。

(…来る。私のアンチラバーを警戒し、そして私の予測の裏をかく、質の高いサーブが…)

 彼が放ったのは、再びあの「巻き込みサーブ」。しかし、今度は回転の種類が違う。先ほどよりも上回転の要素が強く、そしてスピードも増している。私のフォアサイドを鋭く襲う、強力な一打。

(…ラリー戦では体力も威力も敵わない。それは、既に分析済みの事実。ならば、今回もまた、戦いの土俵そのものを変えるまでだ…)

 私は、そのサーブに対し、ラケットをスーパーアンチの面に持ち替えた。だが、今度はボールの回転を完全に「殺す」のではない。インパクトの瞬間、ラケット面を僅かに滑らせるようにして、相手のサーブの強烈な横回転を、あえて多少残しながら、速いナックル性のボールとして相手コートへと返球する!

 それは、アンチラバーの特性を、守備的な「無効化」から、攻撃的な「利用」と「変化」へと転用する、私の新たな「実験」の一環。

 相手ペアの佐藤選手は、その、アンチラバーから放たれたはずなのに、僅かに回転の残っているという、物理法則を裏切るかのようなボールに、一瞬困惑した表情を浮かべた。

(…あなたの予測モデルに、このボールのデータは存在しないはずだ…)

 だが、彼は体勢を崩しながらも、さすがは大学生。その回転を瞬時に利用し、低い所から、強引にドライブを放ってきた!ボールは、山なりに、しかし速いスピードで、台から離れた永瀬さんの元へと飛んでいく。

 永瀬さんは、そのドライブに対し、必死に食らいつき、力強いドライブで返球する。それは、彼女が本来持っているであろう、「王道」の力強い卓球の片鱗だった。

 しかし、相手ペアは、その永瀬さんの返球を、完全に準備していた。

 永瀬さんが打ち返したボールが、頂点に達するのを待っていたかのように、佐藤選手が、一歩前に踏み込み、コンパクトながらも全身のバネを使った、強烈なスピードドライブを放つ!ボールは、私のフォアサイドを、コートの隅深くに突き刺すように狙ってきた。

(…まずい。このコース、このスピードは…!)

 私の思考ルーチンは、ボールの軌道と、返すべきコースを瞬時に予測した。私の身体が、動くべき場所も、振るべきラケットの角度も、全て分かっていた。

 そして、私は動いた。予測した地点へ、最短距離で。

 しかし――。

 私の伸ばした手は、ほんの数センチ、ボールに届かない。

 それは、疲労や反応の遅れではない。私の予測は完璧だった。だが、彼の恵まれた体格から放たれる打球の速さと、その長い腕が作り出す角度は、小柄な中学一年生である私の身体が、物理的にカバーできる範囲を、ほんのわずかに、しかし確実に超えていたのだ。

 私のラケットは、虚しく空を切り、ボールは私の横を、まるで嘲笑うかのように通り過ぎていった。

 静寂・永瀬 3 - 1 大学生ペア

(…予測は、完璧だった。だが、身体が、届かなかった…。これが、覆すことのできない、フィジカルというパラメータの絶対的な差…。ならば、戦うべき領域は、ここではない)

 私は、隣で不安げに私を見つめる永瀬さんの耳元に、そっと顔を寄せた。

「…永瀬さん」私の声は、体育館の喧騒の中でも、彼女にだけ届くように、呟くように発せられた。「ラリー戦は不利です。次の展開、台の上だけで勝負を仕掛けます。わたしのボールの変化に、集中してください。」

 永瀬さんは、私のその言葉の意図を完全には理解できていないようだったが、その瞳に宿る真剣さを感じ取ったのか、小さく、しかし強く頷いた。

 サーブ権は私へ。私は、いつものように、下回転をかけるかのような大きなテイクバックから、サーブの構えに入る。相手ペアは、先ほどのポイントで自信を取り戻し、私のサーブからのラリー戦に持ち込もうと、少し台から距離を取って構えている。

(あなたのその予測、そしてそのポジショニング…それこそが、私の術中だ)

 そして、私が放ったのは――超低空ナックルロングサーブ。

 ボールは、ネットすれすれの、文字通り数ミリの高さを、矢のようなスピードで、回転をほとんど伴わずに、レシーバーである田中選手のバックサイド深くへと突き刺さった!

 田中選手は、そのあまりにも低く、速く、そして回転のないボールに対し、ドライブを打とうと、強引にラケット面を被せ気味にして振り抜く。しかし、彼のラケットがボールに与えようとしたトップスピンは、回転のないボールの上を滑り、そのエネルギーを伝えることができない。ボールが全く上がらず、彼のラケットに当たったボールは、そのまま力なく、台の下へと吸い込まれていった。

 静寂・永瀬 4 - 1 大学生ペア

 エース。大学生ペアは、何が起こったのか理解できないといった表情で、顔を見合わせている。

(これが、私のナックルの本質。あなたの力を、あなたの予測を、そしてあなたの常識を、「無」に帰すための技術…)

 私は、再び同じテイクバックのモーション。相手ペアは、今度は先ほどのロングサーブを警戒し、その意識が台の後方へと向いているのが見て取れる。

(…あなたの思考は、今、私の「ロングサーブ」に囚われている。ならば、その意識の隙間を、私は見逃さない)

 私が放ったのは、モーションとは真逆の、ごく短いナックルショートサーブ。ボールは、ネット際に、ふわりと力なく落ちる。

 相手の田中選手は、慌てて前に踏み込み、そのボールをツッツキで返球してきた。ここから、台の上での、息詰まるような捌き合いが始まった。

 私がアンチラバーで回転を殺せば、永瀬さんが裏ソフトでコースを突き、相手が回転をかけてくれば、私が再びその回転を無効化する。目まぐるしく変わる球質とテンポに、大学生ペアの思考が、確実に追いついていない。

 そして、数回の応酬の後、相手のツッツキが、ほんのわずかに甘く浮き上がった。その紙一重の隙を、私は見逃さない。ラケットを裏ソフトの面に持ち替え、コンパクトなスイングで、相手ペアのちょうど真ん中、二人が最も反応しにくいコースへと、鋭いフリックを叩き込んだ!

 ボールは、二人の間を駆け抜け、得点を告げる。

 静寂・永瀬 5 - 1 大学生ペア

「…すごい…」

 隣で、永瀬さんが、呆然と、しかしその瞳には確かな興奮の色を浮かべて呟いた。

 私は、彼女に視線を戻すことなく、ただ平坦な声で告げた。

「…これが、私たちのダブルスです。あなたの役割は、私が作り出した『隙』を、確実に突くこと。それだけを、考えてください。」

 私のその言葉に、永瀬さんは、もう一度、今度はより強く、頷いたのだった。

 

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