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異端の白球使い  作者: R.D
ダブルス編
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予定外のダブルス

 10月の土曜日。秋風が心地よいその日、私は、部長に半ば強引に連れ出される形で、市が主催するというダブルスのオープン大会に来ていた。


「いいか、しおり!お前はシングルスは強いが、ダブルスは経験が浅い。こういうところで俺と組んで、コミュニケーションと戦術の幅を広げるのも、重要なデータ収集の一環だぞ!」


 部長は、そう言って私の肩を豪快に叩く。彼のその言葉の裏に、夏休み中に市民体育館で後藤選手や風花さんと会った、あの出来事の影響があることを、私の分析モデルは示唆していた。


 彼なりに、私の「世界」を広げようとしてくれているのかもしれない。


「よし、受付してくるから、お前はここで待ってろ!」


 部長は、意気揚々と受付カウンターへと向かっていった。


 私は、体育館の壁に寄りかかり、会場の喧騒を、いつものように冷静に、そして無感情に観測する。様々なプレースタイルの選手、彼らの会話、ラケットのメーカー、シューズのモデル…。


 それら全てが、私の思考ルーチンにデータとして取り込まれていく。


 だが、数分後、受付から戻ってきた部長の表情は、明らかに曇っていた。


「…くそっ、やられた…」


「何か、問題が発生したのですか、部長」


「ああ…この大会、男子ダブルスと女子ダブルスで、完全に部門が分かれてやがる…。俺とお前じゃ、エントリーできねえ…」


 …基本的なレギュレーションの確認不足。彼の行動パターンにおける、典型的なエラーだ。


 私は、内心で静かにそう分析する。


 これで、今日の「経験値パラメータの向上」という目的は、達成不可能となった。合理的に考えれば、即時撤退が最適解だろう。


 私は、呆れたような、しかし感情を排した平坦な声で、部長に告げた。


「部長。レギュレーション確認エラーですね。あなたの行動パターンにおけるこの脆弱性は、チームの戦略立案において重大なリスク要因となり得ます。今後の再発防止に向けた、具体的な改善策の提示を要求します」


「うぐっ…!す、すまん…!返す言葉もねえ…!」


 私のその正論で、そして一切の遠慮がない「軽口」に、部長は珍しく、そして盛大にたじろいでいた。


 私が、この非効率的な状況をどう処理すべきか、次の行動をシミュレートし始めた、その時だった。


 体育館の隅で、一人、ポツンと立ち尽くしている女子生徒の姿が、私の視界に入った。


 彼女は、どこか見覚えのある他校の制服を着ている。リボンの色から察するに年は、おそらく私より一つ上。


 その手にはラケットケースが握られているが、彼女の全身からは、深い絶望と、途方に暮れているという、明確な負のオーラが発せられていた。


 …あの生徒。明らかに、何らかのトラブルに遭遇している。その精神状態は、極めて不安定なパラメータを示しているな…。


 私がその生徒を分析していると、部長も彼女の存在に気づいたようだ。彼の「お節介」という名の行動原理が、作動するのは早かった。


「おい、そこのお前!どうした、一人で?相方にでもすっぽかされたか?」


 部長が、デリカシーのない、しかし悪気のない声で彼女に話しかける。


 その女子生徒は、ビクリと肩を震わせ、怯えたような瞳で私たちを見上げた。その瞳には、薄っすらと涙の膜が張っているように見えた。


「あ…あの…すみません…。部活の一環で来たんですけど…パートナーが、急に来れなくなってしまって…」


 その声は、か細く、そして自信なさげに震えている。


「なんだ、そうだったのか!そりゃあ災難だったな!」


 部長は、あっけらかんとそう言うと、次の瞬間、何かを閃いたように、ポン、と手を打った。


「待てよ…?お前、パートナーがいなくて困ってる女子だろ?で、こっちには、俺と組めなくてパートナーがいねえ女子がいる…。おい、しおり!」


 部長が、私の方を向き、ニカッと笑う。


「お前ら二人で組んで、女子ダブルスに出りゃあいいじゃねえか!」


 その提案に、永瀬さんの顔が、さっと青ざめた。


「え…!?で、でも、わたし…そんな、急に…!それに、わたし、すごく下手で…絶対に、迷惑をかけてしまいますから…!」


 彼女は、首を何度も横に振り、その瞳には明らかな恐怖の色が浮かんでいる。「迷惑」という言葉を、まるで呪いのように繰り返す。


 …迷惑。彼女の思考ルーチンにおいて、その単語は極めて強い負のトリガーとして機能しているようだ。過去の経験による、深刻なトラウマの存在が示唆される…。


 私は、目の前の彼女の反応を、冷静に分析する。


「迷惑なんて、やってみなきゃ分かんねえだろ!」


 部長は、彼女のその深刻な拒絶反応の意図を、全く理解していないようだ。


 …これ以上、彼に任せては、彼女の精神的負荷が増大するだけだ。状況の制御が必要と判断。


 私は、永瀬さんの前に一歩進み出て、彼女の瞳を真っ直ぐに見つめた。彼女が握りしめているゼッケンには、永瀬と書いてある。


「…永瀬さん、ですね」


 私の声は、いつも通り平坦だった。


「あなたの現在の状況における、大会への参加確率は0%です。私の参加確率も、同様に0%。ですが、私とあなたがペアを組むという選択肢を実行すれば、その確率は0ではなくなります。論理的に考えて、これが現時点で取り得る、最も合理的な選択です」


 私のその、感情を排した、まるで数学の公式を述べるかのような言葉に、永瀬さんは、怯えながらも、きょとんとした表情を浮かべた。


「え…?あ…、論理的…?」


「はい。私は、パートナーを必要としています。あなたも、パートナーを必要としている。目的と需要は一致しています。あなたの言う『迷惑』というパラメータは、現時点では不確定要素であり、試合をしてみなければ、その数値を算出することはできません。よって、現段階でそれを理由に行動を決定するのは、非合理的です。共に、データを収集しませんか」


 私は、彼女に向かって、そっと手を差し出した。


 永瀬さんは、私のその手と、私の顔を、何度も交互に見比べた。


 その瞳の中で、恐怖と、戸惑いと、そしてほんの僅かな、しかし確かな「何か」が揺れ動いているのが、私には分かった。


 やがて、彼女は、震える手で、おそるおそる、私の手に自分の手を重ねた。


「…はい…」


 その声は、まだ蚊の鳴くようだったが、確かに、承諾の響きを持っていた。


 こうして私、静寂しおりと、永瀬ゆいさんという、全く異な「トラウマ」を抱えた、予測不能なダブルスペアが、このオープン大会の片隅で、静かに誕生したのだった。

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