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異端の白球使い  作者: R.D
熱血漢

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死闘の終わり

 静寂 40 - 40 部長


 体育館の興奮は最高潮に達していた。


 割れんばかりの歓声と拍手が、まるで地鳴りのように私たち二人に降り注ぐ。40-40。


 どちらもあと2ポイントでこの壮絶なセットをものにできるが、その2ポイントが果てしなく遠い。


 私も、部長も、肩で大きく息を繰り返し、流れ落ちる汗をユニフォームの袖で拭う。体力は、ほぼ限界だった。


 特に私は、彼よりも小柄な分、この長時間の激しいラリーと、精神を極限まですり減らすような点の取り合いによる消耗が大きい。


 …このセットを落とせば、次のセットに持ち込めたとしても、体力的に彼に勝つのは極めて難しい。


 ここで決める。あと2球。私の持つ全てを、この2球に凝縮する。


 私の思考は、極度の疲労の中にあっても、驚くほどクリアだった。


 感情の高ぶりはない。ただ、勝利への最短ルートを冷静に分析し、実行するのみ。


 部長の瞳の奥には、疲労と、そして私の奇策に対する警戒心と、それでもなお衰えない闘志が燃えている。彼は、まだ何か仕掛けてくるかもしれない、そう読んでいるはずだ。


 私のサーブ。


 私は、いつも通りの落ち着いた所作で構える。ここで奇をてらったサーブを出す必要はない。


 むしろ、相手に「何かしてくるのでは?」と警戒させている今こそ、最も基本的な、しかし質の高いサーブが有効だと判断した。


 裏ソフトの面を使い、彼のフォア側へ、短く、そして強烈な下回転をかけたサーブを送り込んだ。コースは甘いが、回転量はこれまでで最大。


 彼がこれを強引にドライブしようとすれば、ネットにかかる可能性が高い。ツッツキで返してきたとしても、回転量の多いボールになるため、次の私の攻撃に繋げやすい。


「ぬぅんっ!」


 部長は、私のサーブの回転量を見極め、強打を避けてフォアハンドでツッツいた。やはり、回転量の多い、少し浮き気味のボールが私のバックサイドへ返ってくる。


 …予測通り。


 私は、そのボールに対して、ラケットを一回転させ、スーパーアンチに持ち替えてブロックするようなフェイントを入れた。


 彼の体が、ナックルを警戒してわずかに反応する。


 ラケットの持ち替えが驚異になり得ると分かるからこそ警戒されるフェイント、しかしラケットは一回転し、面は裏ソフトに戻る。


 そして体全体を使って、彼のバックサイド深くに、強烈なトップスピンとサイドスピンを組み合わせたカーブドライブを叩き込んだ!


 ボールは、彼の体の外側へと鋭く切れ込みながら沈んでいく。彼が最も打ち返しにくい、バック奥へのエグるような軌道。


「ぐっ…!」


 部長は、懸命に手を伸ばし、ラケットにボールを当てたが、回転とスピードに完全に押されている。返球は、力なくネットを越えず、だらりと垂れ下がった。


 静寂 41 - 40 部長


 私のセットポイントだ。


 体育館の歓声が、一瞬静まり、そして再び爆発する。


 だが、私の耳には届いていない。意識は、次の1球、このセットを終わらせるための、最後の1球に完全に集中していた。


 …あと1点。部長は、先ほどの私のカーブドライブを警戒しているはずだ。そして、私の体力が限界に近いことも、彼には分かっているだろう。


 思えば予兆はあった、あの彼がとる必要のなかったタイムアウト。


 あれは恐らく、私の全力を相手にしたくてわざと私に休憩を取らせるために取ったものなのだろう。


 彼は全力の私を倒したい。ならば彼は、早い段階で勝負を決めに来る可能性が高い。


 サーブからの3球目、あるいは思い切ったレシーブ強打。


 部長のサーブ。彼の表情は、これまでにないほど真剣で、そしてどこか吹っ切れたような、鬼気迫るものがある。彼もまた、この1球に全てを懸けてくる。


 彼が放ったサーブは、私のフォア側へ、スピードのあるナックル性のロングサーブだった。


 意表を突く、攻撃的なサーブ。彼が、この土壇場で最も信頼し、そして私が最も処理に迷うと判断したサーブだろう。


 …ナックルロング。彼の勝負球だ。


 私は、そのサーブに対し、一瞬たりとも迷わなかった。ラケットをスーパーアンチの面に持ち替える。


 そして、通常のブロックやストップではない。相手のサーブの勢いと、その甘いコースを逆手に取る。


 …彼は私のフォア側を狙ってきたが、それは私の裏ソフトでの攻撃を誘う意図もあっただろう、しかし甘いコースであることに変わりはない。


 私は、体をわずかに沈め、見せびらかすようにスーパーアンチの面で、ボールの真横を、まるで撫でるように、しかし鋭くインパクトした。


 相手のナックル性のボールに対して、横回転を「上乗せ」するような、特殊なブロック。


 ボールは、回転がほとんどない状態で飛んできたのに対し、私のラケットに当たった瞬間、わずかに横回転を帯び、予測不能なカーブを描きながら、部長のフォアサイド、ネットすれすれの、最もいやらしい場所に、まるで吸い込まれるように落ちていった。


 それは、彼が全く予測していなかったであろう、スーパーアンチからの「攻撃的」とも言える変化ブロック。裏ソフトでの攻撃を警戒していた彼の思考の完全に裏をかく一打。


「な…に…ぃぃぃいい!?」


 部長の絶叫に近い声が、体育館に響いた。彼は、そのありえない軌道と回転のボールに、全く反応できなかった。ただ、ボールが自コートにバウンドし、サイドラインを割っていくのを、呆然と見送るしかなかった。


 一瞬の静寂の後、審判役の部員の震える声が響いた。


「ゲーム、静寂!」


 静寂 42 - 40 部長


 第二セット、私が取った。

 静寂 2 - 0 部長。


 試合が終わる。


 私は、ラケットを握りしめたまま、その場に立ち尽くしていた。全身の力が抜け、立っているのがやっとだった。肺が酸素を求め、激しく痙攣する。


 視界が、チカチカと明滅している。だが、それ以上に、勝利という確かな感触が、私の全身を包み込んでいた。


 …勝った。


 周囲から、割れんばかりの拍手と歓声が聞こえてくる。だが、それはまだ、どこか遠い世界の音のように感じられた。


 私は、ゆっくりと顔を上げ、ネットの向こう側にいる部長を見た。


 彼は、ラケットをだらりと下げ、膝に手をつき、荒い息を繰り返していた。


 その顔には、信じられないという表情と、全力を出し切った後の、ある種の清々しさのようなものが浮かんでいた。そして、ゆっくりと顔を上げた彼と、私の視線が、交錯した。


 その瞳には、悔しさよりも、私の卓球に対する、純粋な驚嘆と、そして、何か新しい感情が宿っているように見えた。

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