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異端の白球使い  作者: R.D
二学期編
219/674

ポスター

 部活の練習を終えた私たちは、部長の提案で、彼と私が行きつけにしている卓球専門店へと向かうことになった。目的は、私の裏ソフトラバーの交換と、部長のグリップテープの選定。そして、今日から正式に第五中学校卓球部の一員となった幽基未来さんの用具に関する相談も兼ねている、と部長は言っていた。あかねさんも、マネージャーとしての情報収集と、単純な好奇心からだろう、目を輝かせて私たちの後についてきている。

 学校から電車を乗り継ぎ、少し離れた商店街の一角。そこには、古くからあるのだろう、しかし手入れの行き届いた、落ち着いた佇まいの卓球専門店があった。

 私がドアを開けると、カラン、とドアベルが鳴り、独特のゴムの匂いと、どこか懐かしいような木の匂いがふわりと漂ってきた。

「…ここです。」

「しおりの秘密基地に到着ってわけだな!」

 部長が、いつものように豪快に笑う。

「お、静寂の。いらっしゃい。それに、部長くんも、三島さんも。今日は賑やかだね。」

 店の奥から、白髪混じりの、しかし矍鑠とした初老の男性が顔を出した。柔和な笑顔だが、その瞳の奥には、長年卓球用具を見続けてきた専門家特有の鋭い光が宿っている。彼が、この店の店長だ。

「おや、そちらのお嬢さんは…初めて見る顔だね。」

 店長の視線が、私の隣に立つ未来さんへと向けられる。未来さんは、その視線に気づくと、静かに、しかし丁寧な所作で一礼した。

「はじめまして。本日より第五中学校に転入いたしました、幽基未来と申します。以後、お見知り置きを。」

 その落ち着いた物腰と、どこか浮世離れした雰囲気は、彼女の「異質」を裏付けるものかもしれない。

「これはこれは、ご丁寧にどうも。幽基さん、だね。第五中に、また面白い子が入ってきたみたいだね。」

 店長は、にこやかにそう言うと、私に視線を戻した。

「で、静寂の。今日はラバー交換だったね?あいよ。それと、猛はグリップテープか。幽基さんも、何か用具で困ったことがあったら、何でも聞いておくれよ。」

 店長は、慣れた様子で私のラケットを受け取ると、奥の作業場へと消えていった。

「うわー!やっぱり専門店ってすごいね!」

 あかねさんが、目を輝かせて店内を見回し始める。部長もまた、最新のテンション系ラバーのコーナーで、熱心に商品説明を読み込んでいる。

 私は、彼らのそんな様子を横目に、ふと、店の壁の一角に視線をやった。そこには、以前訪れた時にもあった、私の試合中の写真が数枚飾られている。だが、明らかに何かが違っていた。

 写真群の中心に、以前は手作り感のあったポスターが貼られていたはずの場所に、今度は、まるでプロのデザイナーが作成したかのような、洗練されたデザインの大きなポスターが掲げられているのだ。そして、そこには、私の試合中の、自分でも見たことのないほど鋭い眼光の写真と共に、大きな文字でこう書かれていた。

『静寂しおり選手 県大会優勝おめでとう! 次なる舞台へ羽ばたけ! 予測不能の魔女!!』

(…予測不能の…魔女…?)

 私の思考が、一瞬フリーズする。確かに、県大会の決勝で、私は「予測不能のサーブ」と称する新たな戦術を駆使した。そして、その後の市民体育館での後藤選手との「実験」でも、その片鱗を見せた。だが、それが、なぜこのような形で…しかも、この、素人が作ったとは思えないほどのクオリティで…。

(店長…彼は、一体どこでこの情報を…?そして、このポスターの制作に、どれほどのリソースを投入したというのだ…?)

 私の分析モデルが、この異常なまでの店長の「応援」の熱量に対し、エラーを示し始める。私は、無意識のうちに、ほんの少しだけ後ずさりしていたのかもしれない。

「しおり!見て見て!すごいよ、このポスター!まるで本物のプロ選手みたいじゃない!『予測不能の魔女』だって!かっこいいー!」

 あかねさんが、私のその内心の動揺には気づかず、純粋な感嘆の声を上げる。

 部長も、ポスターを見上げ、「はっはっは!店長、気合入ってんなー!だがよ、『予測不能の魔女』か。しおり、お前、本当にそう呼ばれるようになるかもしれねえな!」と、どこか楽しそうに笑っている。

 その時、未来さんが、静かに私の隣に立ち、そのポスターをじっと見つめていた。彼女の表情からは、何を考えているのか読み取ることはできない。だが、その瞳の奥に、ほんのわずかな、しかし確かな「共感」のようなものが揺らめいたのを、私は見逃さなかった。

「…予測不能の魔女、ですか。」彼女は、ポツリと呟いた。「確かに…あなたの卓球は、常人には理解できない、ある種の『魔力』のようなものを秘めているのかもしれませんね。わたしも、そう思います。」

 彼女のその言葉は、肯定とも、あるいは単なる分析とも取れる、曖昧な響きを持っていた。

(魔女…か。私が?合理性と分析、そしてデータに基づいた私の「異端」が、他者からはそのように観測されるというのか。興味深い…だが、この過剰なまでの装飾と、まるで偶像崇拝のような扱いは、私の「静寂な世界」にとっては、新たな「ノイズ」となり得る可能性が高い…)

 私は、そのプロ並みの出来栄えのポスターから、そっと視線を逸らした。店長の熱意はありがたい。だが、それと同時に、私の理解を超えたその行動に、ほんの少しだけ、引いてしまっている自分も、確かにそこにいたのだ。

 すると、未来さんが、おずおずと、しかしその瞳には真剣な光を宿らせて、作業を終えて奥から出てきた店長に話しかけた。

「あの…店長さん。こちらのポスター…もし、余分がおありでしたら、一枚、わたしに譲ってはいただけませんか?」 その言葉に、私だけでなく、部長もあかねさんも、そして店長自身も、一瞬驚いたような表情を浮かべた。

 店長は、少し目を丸くした後、人の良さそうな笑顔で答える。

「おや、幽基さんも静寂のファンかい?いいよいいよ、このポスターなら、まだ予備があるからね。どうぞ、持っていきなさい。」

「!ありがとうございます…!」

 未来さんは、その言葉に、これまで見せたことのないほど嬉しそうな、まるで貴重な資料を手に入れた研究者のような、純粋な喜びと興奮が入り混じった表情を浮かべ、丁寧にポスターを受け取った。そして、それを大切そうに、まるで貴重な美術品を扱うかのように、そっと自分のカバンにしまい込む。

 その一連の行動は、私の分析モデルに、新たな、そして非常に興味深いクエリを投げかける。

(幽基未来が、私のポスターを…?しかも、あれほどまでに嬉しそうな表情で…?彼女の行動原理は、一体…単なる「ファン心理」というパラメータでは説明がつかない、何か別の強い動機が存在する可能性が高い…)

「未来ちゃん、そんなにしおりのこと好きなの?なんだか、私、ちょっとジェラシーかも!」

 あかねさんが、少しだけ頬を膨らませて、しかし楽しそうに未来さんに言う。

 未来さんは、そのあかねさんの言葉に、少しだけ恥ずかしそうに、しかしはっきりとした声で答えた。

「…ええ。静寂さんの卓球は、わたしにとって、どの選手のそれよりも…心を揺さぶられるのです。彼女の「異端」は、わたしがずっと探し求めていた「何か」を、示してくれているような気がして…。だから…そうですね、静寂さんのことは、わたしが最も…尊敬し、そして目標としている選手、なのかもしれません。」

 彼女のその言葉には、純粋な尊敬と、そして同じ「異質」を抱える者としての、深い共感と憧憬の念が込められているように、私には感じられた。

(…尊敬と、目標…か。彼女のこの感情パラメータの数値は、私のこれまでのデータベースには存在しない、新しいパターンのものだ。だが、その「純粋さ」は、決して不快なものではない。むしろ…私の心の奥底にある、何か冷たくて硬いものを、ほんの少しだけ、溶かしてくれるような…そんな、不思議な感覚…)

 私は、未来さんのその、どこまでも真っ直ぐで、そして純粋な想いに、言葉を失っていた。そして、私の「静寂な世界」の壁に、また一つ、新たな、そして予測不能な「変数」が、音もなく刻み込まれたのだった。

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