奇策 vs 熱血
私のサーブ。奇策を使い先ほどの奇襲が成功したとはいえ、同じ手が何度も通用する相手ではない。
私は、あえてオーソドックスに、裏ソフトで彼のバック側へ速い下回転サーブを送った。
部長は、そのサーブに対して、先ほどの動揺を振り払うかのように、力強いバックハンドドライブでクロスに打ち込んできた。ボールは私のフォアサイドを鋭く襲う。
私は素早く反応し、スーパーアンチでブロック。ボールは回転を失い、彼のフォア前に短く、低く沈む。
「させん!」
部長は、そのいやらしいナックルボールに対して、体勢を低くし、膝を使い、まるでボールを掬い上げるかのようにしてフォアハンドでループドライブをかけてきた。
回転量の多い、山なりのボールが私のバックサイドへと飛んでくる。
…あの体勢から台上で、あれだけの回転をかけるとは。彼のフィジカルと技術は、やはり並ではない。
私は、そのループドライブに対して、ラケットを裏ソフトに持ち替え、一瞬早く打点を捉え、カウンター気味にミドルへ速いドライブを打ち込んだ。
静寂 22 - 21 部長
「まだまだぁっ!」
部長は、声を張り上げ、次の私のサーブを待つ。彼の瞳の奥の炎は、少しも小さくなっていない。
ここから、まさに死闘と呼ぶにふさわしい、一点の重みが極限まで増したデュースの応酬が始まった。
私がスーパーアンチの変化でポイントを取れば、彼もまた、持ち前のパワーと気迫でねじ伏せるようにポイントを取り返す。
私が裏ソフトの鋭いドライブでコースを突けば、彼は信じられないようなフットワークで追いつき、執念のブロックで返してくる。
スコアは、22-22、23-23、24-24…と、どちらも一歩も譲らずに進んでいく。
体育館の他の場所で練習していた部員たちも、いつしか練習の手を止め、私たちの台の周りに集まり始めていた。
息をのむ音、シューズが床を擦る音、そして、私たちの荒い息遣いだけが、張り詰めた空気の中で際立っている。三島さんのペンは、もはやノートの上を走るのを止め、固唾をのんで試合の行方を見守っていた。
静寂 28 - 29 部長
再び部長のセットポイント。彼のサーブ。ここまで来ると、もはや戦術や技術だけではない。精神力の勝負だ。
私は、ここで再び「新しい技」を試みることを決断した。
今度は、「エッジイン、ネットイン・コントロール」の心理的ブラフ。実際に狙うのではなく、相手に「狙っているかもしれない」と思わせ、判断を狂わせる。
…エッジインやネットイン、つまり台の角やネットに触れさせるものを狙うこと、スポーツマンシップに欠けると思う、でもやるしかない、勝つために、勝たなければ私の存在意義はない。
部長のサーブは、私のフォア側へ、やや甘く入ってきた。私は、裏ソフトでドライブをかける体勢に入りながら、ほんのわずかに打点を遅らせ、ラケットの先端でボールの側面下部を薄く擦るようにして、ネットすれすれの、クロス方向へ流し込むような打球を放った。
ボールは、まるで生き物のようにネットの上を這い、そして…カチャン、と軽い音を立ててネットにかかり、相手コートの、エッジぎりぎりの位置にポトリと落ちた。
ネットイン、そしてエッジボール。
静寂 29 - 29 部長
「な、なにぃ…!おい静寂、お前、今の!狙ったのか!?」
部長は、信じられないという表情で声を上げる。彼の顔には、疲労の色と共に、私の予測不能なプレーに対する苛立ちと、そしてある種の畏怖のようなものが浮かんでいた。
…狙ってはいない。だが、彼がそう思うのなら、それもまた戦術の一つ。そう割り切り、勝負に徹する
私は何も答えず、静かに構える。彼の動揺は、私にとって有利に働く。
スコアは30点台に突入。
もはや、どちらがセットポイントを握っているのか、周囲の人間にも分からなくなるほどの激しい点の取り合い。
私の持ち替え、スーパーアンチの変化、裏ソフトの強打。部長のパワー、粘り、そして気迫。全ての要素がコート上で激しくぶつかり合い、火花を散らしている。
静寂 35 - 36 部長
「…はあっ、…はあっ…」
依然として部長のセットポイント。体力も、集中力も、限界に近い。額から流れ落ちる汗が、目に入りそうになる。
私は、ここで私は再び賭けに出る。同じスイングモーションから、全く異なる球質のボールを打ち分ける、薄暗いあの部屋で練習した構えだ、成功率は半分程度。
だが、この土壇場で、彼の思考を完全に停止させるには、これしかない。
部長のサーブ。私のバック側へ、回転量の多いドライブ性のロングサーブ。
私は、そのボールに対して、体を沈め、フォアハンドで打つ体勢に入る。モーションは、強烈なトップスピンをかけるドライブと同じ。
しかし、インパクトの直前――私は、ラケット面をスーパーアンチに持ち替え、ボールの威力を完全に殺し、彼のフォア前ネット際に、まるで羽が落ちるかのように、ふわりとした超スローボールを送った。
それは、彼の脳が予測していたであろう、強烈なカウンタードライブとは180度異なる球質。
「な……にぃ……!?」
部長の体が、完全に固まった。彼の思考は、この予測不能な一球によって完全に停止したように見えた。ボールは、彼の目の前でゆっくりとバウンドし、力なく転がる。
静寂 36 - 36 部長
…成功した。だが、今の集中力と技術を、あと何回維持できるか。
私の体も限界に近い。足が鉛のように重い。しかし、勝利への渇望だけが、私を突き動かしている。
静寂 38 - 39 部長
またしても、部長のセットポイント。もう、何度目か分からない。
彼のサーブ。疲労の色は濃いが、その瞳の光は失われていない。彼は、私に何をしてくるか分からないという警戒心を抱きながらも、最後まで自分の卓球を貫こうとしている。
サーブは、私のミドルへ、ややナックル性の、処理の難しいボール。私は、バックハンドで、スーパーアンチを使い、低く短く返球した。
部長は、それを回り込んでフォアハンドで強打してきた!ボールは、私のフォアサイドぎりぎりを襲う!
私は、飛びつくようにして、裏ソフトでカウンターを試みる。
パチン!
ボールは、ネットの白帯に当たり、わずかに軌道を変え――相手コートの、サイドラインにわずかに触れ、エッジインになった。
静寂 39 - 39 部長
…再びデュース、練習試合だろうと、負けるわけにはいかない。ここで一度タイムアウトをとり休みたいところだが、相手は自身のタイムアウト権利を使わずに休めてしまう。
どう対処するか、考えを巡らせいてると、その考えを吹き飛ばすように声があがる。
「タイム!」
意外なことに、声を上げたのは部長自身だった。彼は、肩で大きく息をしながら、審判役の部員にタイムアウトを要求した。この土壇場で、彼がタイムアウトを取るとは、思ってもみなかった。
…彼もまた、限界なのか。あるいは、何か策を練り直すつもりか。それとも一度精神のリセットか。
短いタイムアウトの後、試合が再開される。スコアは私がサーブをミスしてしまい、39-40に、部長のセットポイント。
私のレシーブからだ、やはりスタミナが私の課題なのだと実感させられる、この1点の失点は大きすぎる。
体育館の空気は、まるで圧縮されたかのように重く、息苦しい。部員たちの視線が、痛いほどに私に突き刺さる。あかねさんの握りしめたペン先が、微かに震えているのが視界の端に映った。
彼のサーブは、私のフォア側へ、力のない、しかしコースの厳しい下回転サーブだった。
それは、私の強打を警戒し、かつネット際への短い返球を誘い、次のスマッシュで決めようという意図が透けて見える、計算されたサーブだ。
私は、それをツッツキで返そうとしたが、極度の疲労とプレッシャーからか、回転量を見誤り、ボールが高く、そして甘く浮いてしまった。
絶好のチャンスボール。部長は、それを見逃すはずがない。獣のような鋭い眼光でボールを捉え、大きく振りかぶった。
「うおおおっ!」
フォアハンドスマッシュの強烈なインパクト音が、体育館に響き渡る!
ボールは、私のバックサイド深くに、まるで砲弾のように突き刺さってくる。通常の選手なら、ここで諦めてしまうだろう。しかし、私の脳裏に浮かんだのは、敗北の二文字ではなかった。
…まだ、終わらせない。
私の体は、もはや反射に近い領域で動いていた。全身の筋肉がきしみ、悲鳴を上げている。だが、ここで一点でも与えれば、このセットは終わる。
そして、それは限りなく敗北に近いことを、私の分析能力が冷徹に告げていた。
私は、床に倒れ込むような低い姿勢になりながら、ラケットをスーパーアンチの面に瞬時に持ち替え、体の遠くで、ボールの勢いを殺すように面を合わせた。
それは、ブロックというより、もはや「壁」だった。
ボールは、アンチラバーの特性で回転を失い、ふわりと、しかしネットぎりぎりの高さで相手コートへと返っていく。
「なっ…まだ拾うか!」
部長は、スマッシュを決めたと確信していたのだろう、一瞬反応が遅れた。
しかし、彼はすぐに体勢を立て直し、その緩いボールを、再びフォアハンドで私のフォアサイドへと叩きつけてきた。厳しいコースだ。
私は、床を蹴り、文字通りコートを転がるようにしてボールに追いつく。
今度は裏ソフトの面。もはや美しいフォームなど意識している余裕はない。
ただ、ボールを相手コートに返す、その一点に全ての神経を集中させる。
ラケットの先端に辛うじて引っかかったボールを思いっきり回転をかけて相手コートに放つ。
そのボールは、高い山なりのループドライブとなって、ゆっくりと相手コートへと向かう。
それは、時間稼ぎであり、そして、彼のミスを誘うための、粘りの一球だった。
「しつこい!」
部長は、その山なりのボールを、頂点に達する前にライジングで捉え、強烈なスマッシュを私のミドルへ打ち込んできた。
確実に、このラリーを終わらせようという意志のこもった一打だ。
…ミドル…一番反応しにくい場所…だが!
私は、予測していた。彼の、この土壇場での攻撃パターンを。
私は力を振り絞って、そのスマッシュのコースに、強引に飛び込み、体をねじ込むようにして、再びスーパーアンチの面で受け止める。
床にぶつけた腕が痺れる。しかし、私は決してラケットを離さなかった。ボールは、アンチラバーに当たって勢いを失い、不規則なナックルとなって、ネットの白帯に触れ、コロコロと…相手コートへと転がり落ちた。
静寂 40 - 40 部長
「う…嘘だろ…」
部長は、信じられないという表情で、ネット際に力なく落ちたボールを見つめている。
「「「うわあああああああああああ!!!!」」」
体育館が揺れるほどの歓声が沸き起こった。しがみつくような粘り、予測不能な変化。
私のプレーと部長の熱さが、観ている者すべての心を掴んでいた。
部長は、膝に手をつき、大きく肩で息をしている。その顔には、悔しさと、そして目の前の信じられないプレーヤーに対する、言葉にならない感情が渦巻いているように見えた。
静寂 40 - 40 部長
この死闘は、まだ終わらない。私の体力の限界は近い。だが、勝利への道筋は、まだ、この手の中にある。




