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異端の白球使い  作者: R.D
休息
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再起への一歩(3)

 体育館の隅、私はただ黙って立っていた。目の前では、静寂しおりさんと後藤くんが、奇妙な、しかしどこか真剣な「実験」とやらを始めようとしている。猛くんは、少し離れた場所で腕を組み、面白そうに、しかしその瞳の奥には真剣な光を宿らせて二人を見守っている。

 私は、この場所にいること自体が、まだ現実のことではないように感じていた。後藤くんに半ば強引に連れ出される形でここに来たけれど、体育館の空気、ボールの音、選手たちの掛け声…その全てが、私の心の奥底にしまい込んでいた、あの頃の記憶を刺激する。それは、温かくも、そして痛みを伴う記憶。

(卓球…)

 俯き加減の私の視界の端に、静寂さんのラケットが映る。裏ソフトと、そして…あの、スーパーアンチラバー。相手の回転を無効化し、予測不能な変化を生み出すという、異質なラバー。

 彼女が、後藤くんに何かを要求している。バックスピンのロングサーブを、そして、それに対する厳しいドライブを。

 後藤くんが、真剣な表情で頷き、サーブを放つ。彼のドライブは、私が知っている頃よりも、さらに力強く、そして鋭くなっている。猛くんも、きっと同じように強くなっているのだろう。

 そして、静寂さんが、その強烈なドライブに対し、ラケットを翻し、スーパーアンチの面に持ち替えて、何かを打ち返した。

(…何…今のボール…?)

 それは、ドライブでもなく、ブロックでもない。回転のない、しかしドライブのような低い弾道とスピードを併せ持つ、見たこともない球質のボール。後藤くんの卓越した技術をもってしても、そのボールをまともに返すことはできない。

「…これが…アンチでの…ドライブ…?」

 後藤くんが、信じられないといった表情で呟くのが聞こえる。猛くんも、驚愕の声を上げている。

 私は、ただ、その光景を瞬きもせずに見つめていた。

 静寂さんの卓球は、確かに「異端」だ。私が知る、そして私がかつて猛くんや後藤くんと笑い合いながら追い求めた「王道」のドライブとは全く異なる。だが、そこには、彼女自身の確固たる「何か」があるように感じられた。相手を分析し、予測し、そしてその裏をかく。その冷徹なまでの戦術は、ある意味で、私が最も苦手とし、そして最も恐れていたものかもしれない。

 でも、それ以上に私の心を捉えたのは、静寂さんの、あの揺るがない瞳だった。彼女もまた、その「異端」さ故に、多くの困難に直面してきたのかもしれない。それでも、彼女は自分の卓球を貫き、そして今、こうして新たな武器を手に、さらなる高みを目指そうとしている。

 その姿は、今の私には、あまりにも眩しく、そして…ほんの少しだけ、羨ましく思えた。

(わたしも…あんな風に、自分の卓球を信じて、戦えていたのだろうか…)

 心の奥底で、小さな声が囁く。それは、長い間、深い絶望の底に沈んでいた、かつての私の声。

(卓球が、好きだった。猛くんが『やるぞ!』って言った時、『私も!』って、後先考えずに飛び込んでいって…後藤くんが呆れながらも、結局は一緒に練習してくれて…。あの頃は、ただ、みんなと一緒にいるのが楽しくて、みんなで強くなるのが嬉しくて…)

 いじめの記憶、精神病棟の白い壁、そして保健室の、あの息の詰まるような静寂。それらが、一瞬、目の前の光景と重なりそうになる。だが、今の私は、その暗い記憶に引きずり込まれるのを、ほんの少しだけ、拒むことができた。

 目の前では、静寂さんと後藤くんが、再びラリーを始めている。静寂さんのアンチラバーが、後藤くんの強烈なドライブの回転を吸収し、そして予測不能なナックルボールへと変換する。それは、まるで、あらゆる攻撃を無に帰し、そして相手を自分のペースへと引きずり込む、黒い渦のようだ。

 でも、その渦の中心にいる静寂さんの瞳は、どこまでも静かで、そして冷徹で…しかし、その奥に、ほんのわずかな、孤独の影と、そしてそれを乗り越えようとする強い意志が見えたような気がした。

(…この人も、もしかしたら、私とは違うけれど…何かと、戦っているのかもしれない…)

 そう思った瞬間、私の心の中で、何かが、ほんの少しだけ、温かいものに触れたような感覚があった。

 それは、まだ言葉にならない、ごくごく小さな「変化」の兆し。

 だが、この市民体育館の、夏の熱気に満ちたこの場所で、私は、確かに、自分の足で、ほんの僅かな「一歩」を踏み出したのかもしれない。

 深い絶望の淵から、光が差す方へと続く、長い長い道のりの、その「始まりの一歩」を。

 そして、その光の先には、かつてのように、猛くんや後藤くんと、そして…もしかしたら、静寂さんのような新しい「仲間」と、心から卓球を楽しめる日が、待っているのかもしれない。

 そんな、淡い、しかし確かな希望の欠片が、私の胸の内に、ほんのりと芽生え始めていた。

いつも「異端の白球使い」を読んでいただき、本当にありがとうございます。

 そして、ついに本日、物語は200エピソードという、私自身にとっても大きな節目を迎えることができました。

 思えば、主人公である静寂しおりが、初めて第五中学校の卓球部の扉を開けてから、数多くの出会いと、そして激闘がありました。彼女の「異端」な卓球が、熱血漢の部長や、太陽のようなあかねさん、そしてミステリアスな未来さんといった個性的なキャラクターたちと交錯し、時に反発し、時に共鳴しながら、少しずつ「深化」していく様を、ここまで書き綴ってこられたのは、ひとえに、日々この物語を読み、温かい反応をくださる読者の皆様のおかげです。一つ一つのアクセスが、そして皆様からの見えない応援が、この物語をここまで紡いでくる大きな力となりました。心からの感謝でいっぱいです。

 県大会という一つの大きな山を越え、しおり自身も、そして彼女を取り巻く仲間たちも、新たな課題や葛藤、そしてほんの少しの変化の兆しを見せ始めています。特に、しおりの内面に深く刻まれたトラウマや、彼女の「異端」の根源、そして「仲間」という存在が彼女に与える影響については、作者自身も、まだ手探りでその深淵を覗き込んでいる最中です。

この物語は、単に卓球の試合の勝敗を描くだけでなく、しおりをはじめとする登場人物たちが、それぞれの「異端」さや「異質」さ、そして人間的な弱さや過去と向き合いながら、不器用ながらも成長していく姿を描きたい、という想いで執筆を続けています。

つきましては、読者の皆様には大変恐縮ではございますが、この夏休み編、そしてその先に続くブロック大会、全国大会へと向かう中で、もう少しだけ、しおりや未来さん、風花さん、後藤選手、そして部長やあかねさんといった、それぞれのキャラクターの掘り下げに、お付き合いいただけましたら幸いです。彼らの「人間性のリアリティ」を、私自身も探求しながら、丁寧に描いていければと考えております。

 これからも、「異端の白球使い」が、皆様にとってほんの少しでも心に残る物語となるよう、精一杯努めてまいります。

今後とも、静寂しおりたちの戦いを、どうぞ温かく見守っていただけますと幸いです。

本当に、ありがとうございます。


R・D

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