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異端の白球使い  作者: R.D
休息
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再起への一歩

 一週間後、私と部長は市民体育館で実践形式のラリーをしていた。


「らあっ!」


 部長の力任せのドライブを、私は軽くいなしストップで返球する。


 パァンッ!…カッ!


 ラリーの音が体育館に響き渡る。


 私と部長のラリーが白熱し、激しくなっていたラリーが数本続いた、まさにその時だった。


 体育館の入り口が、不意に騒がしくなった。


「…すまない猛!少し、遅れてしまった!」


 その声は――私が県大会の控え場所で一度だけ聞いたあの冷静でしかしどこか影のある、後藤優選手のそれに間違いなかった。


 彼の隣には、色素の薄い髪を俯かせ、どこか頼りなげに佇む少女の姿がある。


 私の視線がその少女の姿を捉えた瞬間、私の思考が、一瞬、完全にフリーズした。


 彼女が、滝沢風花さん…?


 私のデータベースに存在する、部長が語った「天才」という言葉、そして彼が彼女に見出したであろう「太陽のような明るさ」といったポジティブな特徴の数々は、目の前のまるで陽炎のように儚げで、生気のない表情の少女とは到底結びつかない。


 彼女の纏う靄は深く淀んだ灰色で、そこからは何の感情も読み取れない。


 ただそこにあるのは深い疲労と、そして世界に対する諦観にも似た、静かな拒絶。


 …これが…あの部長の心をあれほどまでに揺り動かし、そして彼に全国を目指す決意をさせたという、滝沢風花…?データとの乖離が、著しすぎる…。


 彼女は、かつて王道のドライブマンとして強かったと聞く。


 だが、今の彼女からは、その片鱗すら感じ取ることはできない。


 ただか弱く、そして壊れてしまいそうなほどの脆さだけが、そこにはあった。


 精神病棟への入院歴、そして現在の保健室登校という断片的な情報が、彼女のこの姿と重なり、私の分析に、新たな、そして非常に重い変数を追加する。


 ラリーの手を止め、私たち二人に歩み寄ってくる後藤選手と、その隣でおずおずとついてくる風花さん。


 部長は一瞬、風花さんの姿に目を見張り、何かを言いかけたが、すぐにいつもの調子を取り戻すように、しかしその声には僅かな緊張と、そして隠しきれない優しさが滲んでいた。


「お、優!やっと来たか!風花も…、よく来たな」


 彼の言葉には、単なる挨拶以上の深い想いが込められているのが、私にも分かった。


 彼がこの場を設けた意図…それは、風花さんにとっての「光」を探すため。


 そして私という存在が、その触媒になるかもしれないという、僅かな期待。


「ああすまない、猛。少し手間取ってしまってな」


 後藤選手はそう言うと、隣の風花さんを促すように、僅かに視線を送った。


「こちらは、滝沢風花だ。そして、俺は後藤優」


 彼の紹介は至ってシンプルだった。


 風花さんは、部長の顔をまともに見ることができないのか俯いたまま、消え入りそうな声で「…どうも…」とだけ呟いた。


 その声は私の分析では、極度の緊張と、そして深い自己否定の感情を示唆していた。


 部長は、風花さんのその様子に、何かを察したように、無理に言葉を続けようとはせず、私の方へ視線を向けた。


「…はじめまして。静寂しおりです」


 私は後藤選手と、そして俯いたままの風花さんに向けて、いつも通りの平坦な声で、簡単な自己紹介をする。


 私の異端の存在を、彼女たちがどう認識するか、それはまだ未知数だ。


 部長が、私の隣に来て、後藤選手と風花さんに向き直る。


「で、お前ら、わざわざこんなところまで、何しに来たんだ?まさか、俺様の華麗な練習風景を見学しに、なんて殊勝な心がけじゃねえだろうな?」


 部長のその軽口は、この重苦しい空気を少しでも和らげようという、彼なりの配慮なのだろう。


 後藤選手が、ふっと息を吐くように笑った。


 そして、その視線は私と、そして私の背後にいる風花さんに、交互に向けられた。


「半分は、そんなところかもしれん。猛、お前の卓球も、そして…静寂さんの卓球も、一度じっくりと見てみたかったからな。特に、静寂さん。あなたのあのアンチラバーと、卓越した戦術は非常に興味深い。県大会でのあなたの試合、見させてもらった。正直、度肝を抜かれたよ」


 彼の視線が、私のラケットへと注がれる。


「君は、俺の知る卓球の常識を遥かに超えていた。もしよければその一端を、もう一度この目で見させてもらえないか。そして、できれば…この俺を、新たな『実験台』として使ってみるというのも、どうだ?風花にも…何か、新しいものを見せてやりたいんだ」


 最後の言葉は、ほとんど囁くように、しかし確かな熱意を込めて付け加えられた。


 部長はその提案に、目を見開いた。


 そして、後藤選手の真意を悟ったように、複雑な表情で、しかしどこか安堵したように、大きく息を吐いた。


「…後藤、お前…」


 そして、彼は腹を抱えるようにして笑い出した。


 それは、緊張からの解放と、そして幼馴染への信頼が入り混じった、彼らしい豪快な笑い声だった。


「ぶははは!後藤、お前、しおりの『実験台』になりたいだと!?おいおい、俺がコケにされたみたいに、訳の分からんボールで翻弄されるのがオチだぞ!それでもいいって言うのか?風花の前で、無様な姿を晒すことになるかもしれねえんだぞ!」


 その笑い声には後藤選手をからかう響きと、そしてどこか、彼のその不器用な優しさを理解したような、温かい感情が混じっていた。


 後藤選手は、そんな部長の言葉にも動じず、真っ直ぐに私を見つめて言った。


「ああ、望むところだ。静寂さんのあの、相手の回転を無効化し、ナックルを生み出すアンチラバー…、そして最近では、それを使って攻撃的なドライブを放つという噂も耳にした。ぜひ体感させてもらいたい」


 後藤選手は一度言葉を切り、風花さんに向かい合う。


「そして、風花…お前にも見てほしいんだ。卓球には、お前が知っているのとは違う、色々な形があるってことを」

 彼の言葉には、純粋な卓球選手としての好奇心と、強者への渇望、そして何よりも、風花さんへの深い深い想いが満ち溢れていた。


 …後藤優…彼もまた、私に何かを求め、そして風花さんという存在に、強い影響を与えようとしている。これは、単なる練習ではない。彼らの想い、そして私の卓球が交錯する、新たな「実験」だ…。


 私は、後藤選手のその申し出を、冷静に分析し、そして、ほんの少しだけ、口元に挑戦的な笑みを浮かべて、こう答えた。


「…承知しました、後藤選手。あなたのその好奇心、挑戦する意志、そして…その奥にある想い。それら全てを、私の分析対象として、そして私の新たな『実験』の重要なパラメータとして、最大限に活用させていただきます。では、早速ですが、ご協力願いましょうか」


 私のその言葉に、後藤選手もまた、不敵な笑みを浮かべた。


「ああ、見せてくれよ!静寂しおりの、本当の実力を!」


 こうして、市民体育館の一角で、私と後藤選手の、そしてそれを見守る部長と、俯いたままの風花さんの、それぞれの想いが交錯する奇妙で、そしてどこか切実な「実験」が、始まろうとしていた。

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