自己否定
儚い光の残滓を惜しむかのように未来さんは、静かに、しかしその瞳の奥に強い好奇の色を宿らせて、私に問いかけた。
「静寂さん」
その声は、夜の静寂に吸い込まれるように、しかし私の鼓膜にはっきりと届いた。
「先日の県大会でのあなたの卓球…特に、あの予測不能の域に達したサーブや、決勝での青木桜選手との最終セットで見せた、まるで全てを見透かしているかのような戦術転換。そして、アンチラバーでの攻撃的な応用…それらは、並の選手が持ち得る技術や発想ではありません。あなたは、あれほどの多彩で高度な技術を持っていながら、なぜ、あえて異端と呼ばれる道を選び、そしてなぜ、アンチラバーを使い続けるのですか?」
彼女の問いはストレートであり、そして私の卓球の根幹に触れるものだった。
…なぜ…私が異端で、なぜアンチラバーを…?
私は、新しい線香花火に火を点けながら、思考を巡らせる。
「…幽基さん。あなたは、カット主戦型というスタイルを選びましたね。それは、あなたが長くラリーを楽しみたい、相手とボールを介して対話したい、と願ったからだと、先ほどおっしゃっていました」
「ええ、そうです」
未来さんが、静かに頷く。
「私の場合は…少し、異なります。私がこの、異端者の道を選択し、そしてアンチラバーという、現代卓球においては効率的とは言えない用具を使い続ける理由は…、おそらく、そのラバーが私自身に最もよく似ているから、なのかもしれません」
「…似ている、ですか?」
未来さんが、不思議そうに小首を傾げる。
私は、揺らめく線香花火の光を見つめながら、言葉を続ける。
「アンチラバーは相手の回転を吸収し、無効化して変化を生み出します。それは、私自身の静寂と似ています。外部からの過剰な情報や感情という名の回転を遮断し、自分自身の法則に従って、相手の予測の裏をかく。それが、私が最も得意とし、そして最も安心できる戦い方だからです」
「…相手の回転を、遮断する…」
未来さんが、何かを噛みしめるように呟く。
「ええ。そしてそのラバーは、自分からは強い回転を生み出すことが難しい。それは、私のコミュニケーションのあり方にも似ているのかもしれません。自分から積極的に他者と関わり、感情という名の回転をかけることが、私には非常に困難なのです」
「ですが、静寂さん。あなたは、先日の試合で、あのアンチラバーで攻撃的なナックルドライブを放ちました。あれは、相手の回転を遮断するだけでなく、むしろ新たな力を生み出そうとしていたように、私には見えましたが…」
未来さんの鋭い指摘に、私はほんの少しだけ口元を緩めたかもしれない。
「…あれは、回転がかかっていませんから」
「そして、正直に言えば私自身、粒高ラバーの方が、戦術的な優位性は高いと感じています。粒高ラバーであれば、アンチラバーよりも自分から回転をかけることが容易で、攻撃のバリエーションも増える。実際に、プロの選手でも、アンチラバー使用者よりも粒高ラバー使用者の方が多いというデータもあります」
私は、そこで一度言葉を切り、消え入りそうな線香花火の光を見つめた。
「ですが…それでも、私は、このアンチラバーを手放すことができないのです。それは、合理的ではないのかもしれません。勝利という目的のためには、より効率的な用具を選択すべきだという分析結果も出ています。しかし…」
私の声が、ほんのわずかに震えたのに、彼女は気づいただろうか。
「そのラバーは、まるで、私の心の奥底にある、誰にも理解されない『何か』を、そのまま体現しているかのようで…これを手放すことは、私自身の一部を否定してしまうことのように感じられるのです。たとえそれが、非効率で、そして異端と呼ばれるものであっても」
線香花火の最後の火玉が、ぽとり、と下に落ちた。
暗闇の中に一瞬、赤い点が残像として揺らめき、そして消えた。
未来さんは何も言わずに、じっと私の目を見つめている。
その瞳は、まるで私の心の奥底まで見透かそうとするかのように、深く、そして静かだった。
「…静寂さん、あなたのその、アンチラバーへの想い…わたしには、少しだけ分かるような気がします」
やがて彼女はそう言って、ふわりと微笑んだ。
その笑顔は先ほどまでの花火の光よりも、もっと温かく、そして優しく、私の心を照らし出すかのようだった。