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異端の白球使い  作者: R.D
休息

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儚い火花

 夜空を焦がした光の饗宴が終わり、最後の花火の残響が夏の夜気に溶けていくと、河川敷には先ほどまでの喧騒が嘘のような、深い静寂が訪れた。


 遠くで虫の音が聞こえ、川面を渡る風が、私たちの頬を優しく撫でていく。人々が帰り始める中、私と未来さんはまだその場に残り、言葉少なに見えない何かを共有しているかのようだった。


 りんご飴の甘ったるさがまだ口の中に残っている。


 私はその感覚を分析しようと試みるつもりだったが、隣に座る未来さんのどこか儚げな横顔の方が、今の私にとってはより興味深い、優先度の高い観測対象になっていた。


 …彼女は、この花火大会という現象から、どのようなデータを収集し、何を思考しているのだろうか…その影は今、何を映している…?


 不意に未来さんが、傍らに置いていた小さな紙袋から数本の花火を取り出した。


 それは線香花火や、ネズミ花火といった、子供の頃に誰もが一度は遊んだことのあるような、素朴な玩具。


「静寂さん」


 未来さんが、私に一本の線香花火を差し出しながら、静かに言った。


「もしよろしければ、もう少しだけこの夜の余韻にお付き合いいただけませんか。小さな光の明滅も、また趣があるように思うのです」


 私は線香花火を黙って受け取る。


 彼女がライターで火を点けると、パチパチと小さな音を立てて儚い火花が、暗闇の中に小さな円を描き始めた。


 私たちはしばらくの間、ただ黙って、その小さな光の塊を見つめていた。


 打ち上げ花火のような派手さはない、だが、その頼りない、しかし懸命に燃え続けようとする光は、不思議と人の心を惹きつける何かを持っていた。


 やがて未来さんが、ぽつり、と呟くように話し始めた。


 その声は、夜の静寂に溶け込むように低く、そしてどこか切ない響きを帯びていた。


「…わたしが、なぜカットマンになったのか…静寂さんは、不思議に思われたことはありませんか?」


 唐突な問いだった。だが、私は驚かなかった。彼女のその言葉は、この静かで、そしてどこか特別な夜の雰囲気に、ごく自然に溶け込んでいるように感じられたからだ。

「…カット主戦型は、現代卓球においては、確かに少数派と言えるでしょう。攻撃有利な現代の卓球で、あなたがそのスタイルを選択した背景には、何らかの理由、あるいは個人的な嗜好が存在すると推測はしていました」


 私は、いつも通りの分析的な口調で答える。


 未来さんは小さく頷き、そして、自分の手の中の線香花火の、消え入りそうな光を見つめながら、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。


「わたしは昔から、あまり人と上手く関わることができなかったんです、特に同年代の…女の子たちとは。わたしの少し変わった言動、あるいは…家庭環境が、彼女たちにとっては、どこか異質なものに映ったのかもしれません」


 その言葉には、彼女の影の一端が、はっきりと滲み出ている。


「卓球は…そんなわたしにとって唯一、自分を表現できる場所でした。でも、わたしは、相手を一方的に打ち負かすような、短いラリーはあまり好きではなかったのです」


 …その考えは不合理だ、一方的に打ちのめす短いラリーが、現代卓球で目指すべき到達点なのだから。


 私は、そんな事を考えながら続きに耳を傾ける、その話は私の勝利至上主義とは異なる、願いがこもっていた。


「もっと…そう、もっと長く、相手とボールを介して対話をしていたい、と。相手の力を感じ、それを受け止め、そして変化させて返す…そのラリーの応酬の中に、わたしは、言葉にならない繋がりのようなものを感じていたのかもしれません」


 彼女は、そこで一度言葉を切り、自嘲するような、しかしどこか寂しげな笑みを浮かべた。


「わたしのカットは相手の強打を、ただひたすらに拾い続ける、それはまるで…誰にも理解されない、わたし自身の心の叫びを、ただ壁に向かって打ち返しているような…そんな感覚に陥ることもありました。そして、そんな地味で、分かりにくい卓球を好んで練習相手になってくれる人も、なかなか見つからなくて…ええ、正直に申しますと、少し…いえ、かなり、孤独でしたね。ラリーが長く続けば続くほど、わたしは、その相手と繋がっていられるような気がして、それが唯一の救いだったのかもしれません」


 線香花火の最後の火花が、パチパチと音を立てて弾け、そして力なく闇の中に消えていった。


 孤独…そして、ラリーを長く楽しみたいという純粋な想い。それが、彼女の異質なカットスタイルの根源…。


 …彼女もまた、私とは異なる形で、卓球という行為そのものに、何か特別な意味を見出そうとしていたというのか…。


 私は、彼女のその言葉に、胸の奥が微かに痛むのを感じた。


 それは県大会の決勝で感じた、あの敗北の痛みとは異なる、もっと人間的な、共感に近い感情だったのかもしれない。


「でも」


 未来さんが顔を上げ、私を真っ直ぐに見つめた。その瞳には、先ほどまでの儚げな光ではなく、静かだが、しかし確かな意志の力が宿っている。


「あなたの卓球を受けて、見て、そしてあなたと三島さん、部長さんの関係を見て…わたし、少しだけ変われるかもしれないと思ったのです。わたしの受け身のカットも、ただ相手の力を受け止めるだけでなく、もっと積極的に、誰かと繋がり、何かを生み出すための力になるのかもしれない、と」


 彼女の言葉は、まるで、暗闇の中で見つけた一筋の光のように、私の心に強く響いた。


「だから、わたしは、これからもカットマンとして、このスタイルで戦い続けるつもりです。ラケットと、変化するボールを通して、相手と、そして自分自身と、どこまでも長く対話を続けたい。そして、その先に…いつか、本当の意味での仲間と、心ゆくまでラリーを楽しめる日が来ることを、信じているのです」


 未来さんはそう言って、ふわりと微笑んだ。


 その笑顔は、夜空に最後に残った花火の残光のように、美しく、そしてどこか切なく、私の目に焼き付いた。


 私の異端と、彼女の異質。


 私たちは、それぞれ異なる道を歩み、異なる渇望を抱えてきたのかもしれない。


 だがこの花火の夜、私たちは確かに、卓球という名の対話を通して、何か同じものを見つめていたのかもしれない。

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