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異端の白球使い  作者: R.D
休息
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花火

 幽基さんからの手紙を受け取ってから数日が過ぎ、約束の土曜日がやってきた。結局、私は彼女に花火大会へ行くという返事を伝えることができないまま、この日を迎えてしまった。彼女の連絡先も、手紙に書かれていた場所以外の具体的な情報は、私にはない。

(幽基未来という人間は、やはり私の分析モデルでは捉えきれない変数に満ちている。この状況…彼女は、私が来ると確信しているのだろうか。それとも、私の返事がないことを、参加しないという意思表示と受け取っているのだろうか…)

 様々な可能性をシミュレートしてみるが、どれも確信には至らない。だが、私は行くと決めた。あの手紙に込められた、彼女なりの誠実さと、そして「共有できる時間」という言葉に含まれた、ほんのわずかな期待に応えたいと、私の思考ルーチンが、そう判断したからだ。

 夕暮れが迫る頃、私は浴衣ではなく、いつものシンプルな私服に身を包み、指定された河川敷へと向かった。河川敷には、既に多くの人々が集まり始めていた。その喧騒と熱気は、県大会の体育館とはまた異なる種類の、しかし同様に制御不能な「ノイズ」に満ちている。

(…この人混みの中で、彼女を見つけ出すのは容易ではない。彼女は、私を見つけられるだろうか。それとも、これは最初から、不成立となる可能性の高い「待ち合わせ」だったのか…)

 私は、少しだけ開けた、川の流れが見渡せる土手の上に立ち、周囲を見渡す。だが、彼女らしき姿は見当たらない。

 夏の夜の生暖かい風が、私の頬を撫でていく。遠くで、最初の花火が打ち上がる音が、ヒュルルル…という甲高い音と共に響き渡った。そして、次の瞬間、夜空に大きな光の花が咲き、遅れてドン、という重い音が身体の芯に響く。

 観客たちから、わあっ、という歓声が上がる。

 私は、その光景を、どこか他人事のように眺めていた。

(…幽基さんは、この光景を、どのような「データ」として観測し、分析するのだろうか…)

 そんなことを考えていた、その時だった。

「…静寂さん。」

 不意に、すぐ隣から、あの静かで、しかし芯のある声が聞こえた。驚いて振り返ると、そこには、やはりいつもの月影女学院のジャージではなく、白いワンピースに身を包んだ幽基未来さんが、静かに立っていた。その手には、小さな手持ち花火の袋が握られている。夜の闇の中でも、彼女の瞳は、あの深淵を覗くような、不思議な輝きを放っていた。

「…幽基さん。来ていたのですね。」

 私の声は、自分でも驚くほど平坦だった。だが、内心では、この不確かな状況下で彼女と再会できたことに対する、ほんのわずかな安堵感が芽生えていた。

「ええ。あなたも、来てくださると…そう、信じていましたから。」

 未来さんは、そう言って、ほんの少しだけ、口元に柔らかな笑みを浮かべた。その表情は、県大会の時とは異なり、どこか少女のような、無防備な純粋さを感じさせた。

 彼女のその言葉と表情は、私の思考ルーチンに、またしても予測不能な「ノイズ」を混入させる。

(…信じていた?私が来ることを?何の確証も、何の連絡手段もないこの状況で…?それは、あまりにも非論理的な…)

 だが、その「非論理」が、今の私には、決して不快なものではなかった。

「あの…静寂さん」未来さんが、少しだけ言い淀むように口を開いた。「お手紙、読んでいただけたのですね。…お返事がなかったので、もしかしたら、ご迷惑だったのではないかと、少し…ヒヤッとしておりました。」

 彼女は、ほんのわずかに視線を伏せ、白いワンピースの裾を指で弄んでいる。その仕草は、普段のミステリアスな彼女からは想像もつかないほど、人間的で、そしてどこか可愛らしいものに感じられた。

(ヒヤッとしていた…?彼女が?私の返事がないことに…?)

 その意外な言葉に、私の思考が一瞬停止する。そして、私自身の困惑を、そのまま言葉にしてしまった。

「…ご迷惑をおかけしました。実は、お手紙にお返事をしようと考えたのですが、あなたの連絡先も、そして返信すべき住所も、私には分からなかったのです。コミュニケーションプロトコルにおける、基本的な情報伝達の欠如。それは、私にとって、非常に困惑する事態でした。」

 私のその、あまりにも率直で、そして分析的な「困惑」の表明に、未来さんは一瞬、ぽかんとした表情を浮かべた。そして、次の瞬間、彼女は「あ…」と小さく声を漏らし、それから、堪えきれないといった様子で、ふふっ、と小さく笑い出した。その笑い声は、夜空に咲く小さな花火のように、控えめだが、しかし確かな明るさを持っていた。

 彼女のその、予想外の反応につられるように、私の口元も、ほんのわずかに、自分でも気づかないうちに、緩んでいたのかもしれない。それは、これまでの私にはなかった、無意識の、そして人間的な表情の変化だった。

 私たちは、しばし言葉もなく、次々と打ち上げられる色とりどりの花火を、ただ黙って見上げていた。夜空に咲いては消える光の饗宴。それは、確かに、刹那的で、そして美しい「現象」だった。

 そして、その隣に立つ彼女の存在が、私の「静寂な世界」に、また一つ、新たな、そして温かい変数を加えようとしているのを、私は感じ始めていた。この「返せない手紙」という名の小さなすれ違いは、私たち二人の間に、奇妙な、しかし決して不快ではない「共感」のようなものを生み出したのかもしれない。

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