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異端の白球使い  作者: R.D
休息
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魔女の独白(2)

 公園での、あの唐突なフラッシュバックの後、どれくらいの時間が経ったのだろうか。あかねさんの必死な呼びかけで現実へと引き戻された私は、表面上はいつもの「静寂」を取り繕い、彼女に「もう大丈夫です」と告げた。だが、私の内心は、嵐が過ぎ去った後のように荒れ果て、そして、あの日の記憶の残滓が、重く思考にこびりついていた。

 あかねさんは、私の言葉を信じてくれたのか、あるいは信じようと努めてくれたのか、それ以上は何も聞かず、ただ黙って私の隣に座り続けてくれた。その無言の優しさが、今の私には、かえって息苦しく感じられたのは、私の心がそれだけ歪んでしまっている証拠なのかもしれない。

 やがて、夕暮れが公園全体を茜色に染め始めた頃、私たちはどちらからともなく立ち上がり、帰路についた。駅までの道すがら、あかねさんは努めて明るく、次のブロック大会のことや、新しいタブレットでどんなことができるか、といった話題を振ってくれた。私は、それに適当な相槌を打ちながらも、思考の大部分は、あのフラッシュバックと、それが呼び覚ました私自身の深淵に向けられていた。

「じゃあ、しおり、また明日ね!今日は…うん、色々ありがとう!」

 駅の改札で、あかねさんがいつものように手を振ってくれる。その笑顔には、まだ私への心配の色が残っている。私は、小さく頷き返し、彼女とは反対方向の電車に乗り込んだ。

 自宅への道は、ひどく長く感じられた。一人になると、再びあの日の記憶が、そして公園で私を襲った感情が、洪水のように押し寄せてくる。

(諦観…人間不信…そして、トラウマからの逃避としての卓球…)

 公園のベンチで、私は確かにそう結論付けたはずだ。それが、私という人間の、変えようのない本質なのだと。

 自室に戻り、電気もつけず、ベッドの端に腰掛ける。窓の外は、もう完全な夜の闇。部屋の中には、カーテンの隙間から差し込む月明かりと、遠い街の灯りがぼんやりとした陰影を作り出している。まるで、今の私の心象風景そのものだった。

(今日の出来事…あかねさんとの「女の子らしい遊び」。クレープ、雑貨店、ウィンドウショッピング、そして公園での休息。それらは、私のこれまでのデータには存在しなかった、未知の変数に満ちていた)

 彼女の純粋な善意、屈託のない笑顔、そして私を気遣う優しい言葉。それらは、私の「静寂な世界」の壁を、確かに、ほんの少しだけ、しかし確実に透過してきた。

(だが、それもまた、私の自己防衛本能が作り出した、新たな「観測対象」に過ぎないのかもしれない。彼女の行動パターンを分析し、予測し、そして私にとって最も合理的な関係性を構築するための…)

 そう思考しようとする自分がいる。しかし、同時に、あかねさんの涙を拭った時の、あの指先の微かな温もりや、彼女の笑顔を見た時に私の胸の奥で感じた、名状しがたい感情の揺らぎもまた、否定できない事実として私の中に存在している。

(勝利とは何なのか…なぜ、私は勝たなければならないのか…)

 公園での自問自答が、再び頭の中で繰り返される。

(トラウマから逃げるため?自己の存在を肯定するため?それとも、ただプログラムされた機械のように、勝利という結果だけを追い求める本能…?)

 答えは、まだ見つからない。だが、今日のあのフラッシュバックは、私に一つの可能性を示唆したのかもしれない。私がどれだけ「静寂」の仮面を被ろうとも、どれだけ感情を排した論理的な思考を追求しようとも、あの日の記憶は、そしてそれに伴う痛みと恐怖は、決して消えることはないのだ、と。

(ならば、私は、このトラウマと、そしてこの歪んだ勝利への渇望と、どう向き合っていけばいいのだろうか…)

 目を閉じると、再びあの古びた家の情景が、そして水面に映った自分の歪んだ顔が、瞼の裏に浮かび上がりそうになる。私は、それを振り払うように、強く頭を振った。

(…今は、考えるな。今はただ、次の戦いに備えるだけだ。ブロック大会、そして全国大会。そこで勝利し続けることだけが、私をこの息苦しい現実から解放してくれる唯一の手段なのだから…)

 結局、私の思考は、いつもの結論へと回帰する。勝利への絶対的な渇望。それが、今の私を支える、唯一にして最大の柱。たとえそれが、どれほど歪んでいようとも、私はそれを手放すことはできない。

 月明かりが、床に置かれた卓球のラケットケースを、ぼんやりと照らし出していた。あの小さな球体を追いかけることだけが、私に生きている実感を与えてくれる。そして、その先にある「勝利」という名の光だけが、私の進むべき道を照らし出してくれるのだ。

 そう、信じている。いや、そう信じるしかないのだ。この、どこまでも暗く、そして歪んだ世界で、私が私であり続けるためには。

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