魔女と茜色
ウィンドウショッピングという名の人間行動観察(と、あかねさんの熱心なプレゼンテーションによるいくつかの「合理的とは言えないが、不快ではない」小物類の購入)を終えた私たちは、駅前の喧騒を少し離れ、木漏れ日が心地よい公園へと足を運んだ。あかねさんが「ちょっと休憩しよっか!」と言って、近くのコンビニエンスストアで購入したらしいペットボトルのお茶を私に手渡してくれた。その手際には、もはや私に対する一種の「取扱説明書」が彼女の中で完成しつつあることを示唆しているのかもしれない。
私たちは、大きな木の下にあるベンチに並んで腰を下ろした。周囲からは、子供たちの遊ぶ声や、犬の散歩をする人々の穏やかな話し声、そして風が木々の葉を揺らす音などが聞こえてくる。それは、体育館の張り詰めた空気や、試合中の極度の集中状態とは全く異なる、どこまでも「日常」の音と風景だった。
「ふぅー、なんだかホッとするね、こういうところに来ると。」
あかねさんが、お茶を一口飲み、気持ちよさそうに空を見上げながら言った。
「…確かに、先ほどの商業施設と比較して、情報密度は低く、思考への負荷も軽減されます。心拍数や呼吸数も安定し、副交感神経が優位になっている可能性が高いですね。」
私は、いつも通り状況を分析する。だが、その言葉の奥には、私自身も気づかないうちに、この穏やかな空間に対する、ほんのわずかな「心地よさ」のようなものが含まれていたのかもしれない。
「しおりはさ、普段、こういうところでボーッとしたりすることってあるの?」
あかねさんが、ふと私に尋ねる。
「ボーッとする…ですか。目的のない思考の停止、あるいは非生産的な時間の消費、ということでしょうか。私のルーチンには、そのような項目は組み込まれていません。常に何らかのデータ収集、分析、あるいはシミュレーションを行っているのが常態です。」
「そっかぁ…。でも、たまにはそういう時間も大切だと思うよ?頭の中を空っぽにすると、新しいアイデアが浮かんできたり、気づかなかったことに気づけたりするかもしれないし。」
あかねさんの言葉は、非論理的だ。だが、否定するだけの根拠も、今の私には持ち合わせていなかった。
しばらくの間、私たちは、ただ黙って公園の風景を眺めていた。蝉の声が、夏の終わりの近いことを告げている。私の思考は、次のブロック大会の対戦相手の分析や、新たな戦術パターンの構築へと向かおうとする。だが、なぜか、この穏やかな空気の中で、それらはいつものようにクリアな輪郭を結ばない。
(…この感覚は、何だ?思考のノイズ…?いや、それとは違う。もっと…穏やかで、そしてどこか温かい何かが、私の「静寂な世界」に干渉してきている…?)
「ねえ、しおり。」
あかねさんが、再び口を開いた。その声は、先ほどよりも少しだけ、静かで、そして優しい響きを帯びている。
「私ね、県大会の時、しおりがすごく苦しそうだったのを見て、本当に心配だったんだ。でも、それと同時に、しおりが最後まで諦めないで戦ってる姿を見て、すごく…感動したんだよ。」
彼女の視線は、真っ直ぐに私に向けられている。その瞳の奥には、偽りのない、純粋な感情が揺らめいていた。
「特に、あの決勝の最後のセットとか…もう、見てるこっちが泣きそうだった。しおりの卓球、本当にすごいなって、心の底から思ったんだ。」
私は、彼女のその言葉に、何と答えるべきか分からなかった。私の卓球は、「すごい」と評されるようなものではない。それは、ただ勝利という結果を求めるための、冷徹な計算と「異端」の技術の集積のはずだ。だが、彼女の言葉は、私のその自己認識を、ほんの少しだけ揺るがす。
「…ありがとうございます。」
かろうじて、それだけを口にした。それは、分析でも、計算でもない、私の中から自然と出てきた言葉だった。
あかねさんは、その私の言葉に、ふわりと微笑んだ。
「うん。だからね、たまには、こうしてゆっくり休むのも大事だよ。しおりは、いつも一人で色々抱え込んじゃうところがあるから。」
その言葉は、まるで私の心の奥底まで見透かしているかのようだった。
(…私の、心の奥底…?そこには、何があるというのだろうか…「静寂」と「異端」、そして勝利への渇望…それ以外の何かが、本当に存在するのだろうか…?)
私は、隣に座るあかねさんの横顔を、ほんの僅かな時間だけ、見つめた。彼女の纏う温かい靄の色が、この公園の木漏れ日と重なり、不思議なほど心地よく感じられる。
この「女の子らしい遊び」という名の、非合理的な時間の連続。それが、私の「異端」に、そして私の「人間性」という未知のパラメータに、どのような変化をもたらすのか。それはまだ、私にも予測できない、新たな分析対象だった。
夏の終わりの公園で、私たちは、ただ静かに、流れていく時間の中に身を委ねていた。