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異端の白球使い  作者: R.D
決勝
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魔女の独白

 次に気が付いた時、私は自宅のベッドの上に横たわっていた。カーテンの隙間から差し込む光は、既に色濃い夕焼けを通り越し、部屋の中を深い藍色が満たし始めている。体育館の喧騒も、ボールが床を叩く音も、誰かの声援も、ここにはない。ただ、いつもの、私の部屋の絶対的な静寂だけが、そこにはあった。

(…私は、一体どれくらい眠っていたのだろうか…)

 思考が、まだ霧がかかったようにぼんやりとしている。身体を起こそうと試みるが、全身の関節がきしみ、筋肉という筋肉が微かな、しかし明確な悲鳴を上げている。高坂選手との三回戦の後とは比較にならないほどの、全身を支配する鉛のような倦怠感。指一本動かすのすら、億劫だった。

 最後の記憶は…そうだ、決勝戦が終わった直後、あかねさんに支えられながら控え場所に戻り、祝福に来てくれた部長と未来さんの前で、私は意識を手放したのだ。桜選手とのあの死闘…第4セットの惨敗と、それに続く第5セットの、もはや執念としか言いようのない戦い。その全てが、私の肉体と精神の許容量を、完全に超えていたということだろう。

(県大会優勝…その称号を得る代償が、これほどまでのシステムダウンとは。…私の身体は、まだ著しく不足している、ということだ…)

 ぼんやりとした頭で、今日の出来事を反芻する。

 準決勝、対幽基未来選手。彼女の「異質」な卓球、そして私の作戦メモが彼女のコーチに渡っていたという絶望的な状況。あの時、私の思考は確かに袋小路に入り込み、敗北という二文字が現実のものとして迫っていた。だが、あかねさんの言葉、そして私自身の内なる「何か」が、私を再び戦場へと引き戻した。結果として勝利はしたが、あの試合は、私の「異端」が、情報という絶対的なアドバンテージを持つ相手に対しても、進化し得ることを証明した一方で、私自身の精神的な脆弱性をも露呈させた。

 そして、決勝、対青木桜選手。

(青木桜…彼女の「フロー状態」…あれは、私の分析モデルを遥かに超越した、純粋なまでの「力」だった…)

 第4セットの記憶は、断片的だ。自分の感情が制御できなくなり、冷静な分析も、精密な技術も失い、ただ勝利への歪んだ渇望だけが私を突き動かしていた。あの時の私は、もはや「静寂しおり」ではなかったのかもしれない。何か別の、暗く、そして冷たい何かに支配されていたような…。

(あの状態…あれは、私の「異端」の、もう一つの側面なのか?あるいは、単なるシステムエラーか。いずれにせよ、危険な兆候だ。再発の可能性も考慮に入れ、対策を講じる必要がある…)

 そして、第5セット。あのポイント。ネットインからの、エッジボール。

(…偶然。確率論的エラー。私の計算と、技術と、そして最も大きかったものが純粋な幸運。それが、この県大会の優勝を決めたという事実は、何とも皮肉だ。私の「異端」の探求は、結局のところ、このような不確定要素に左右されるというのか…?)

 卓球台の神様、とでも言うべき存在がいるのなら、それは随分と意地の悪い脚本を書くものだ、と私は思う。

 ふと、枕元に視線をやる。そこには、折り畳まれた私のユニフォームと、見慣れない便箋が置かれているのに気づいた。それは、どこか繊細で、しかし芯の強さを感じさせる筆跡で、ただ一言「静寂しおり様」とだけ記されている。封はされていなかった。

 私は、ゆっくりと手を伸ばし、その便箋を開いた。

『静寂しおり様

 本日は、私の拙い告白に、真摯に耳を傾けてくださり、本当にありがとうございました。そして、県大会優勝、心よりお祝い申し上げます。あなたの卓球は、私にとって、まさに衝撃であり、そして…一筋の光のようにも感じられました。

 今日のあなたの戦いぶりを拝見し、そして、あなたと、あなたの仲間たちとの間に流れる空気に触れ、私の中で、ずっと燻っていた何かが、少しだけ形を変え始めたような気がします。

 私は、やはり、自分の卓球を、そして自分自身を、偽ったままではいけないのだと、改めて思いました。

 近いうちに、私はここを離れ、新しい場所で、もう一度、自分の卓球と向き合ってみようと思っています。それがどこになるのか、まだ私にも分かりませんが、きっと、あなたのあの「異端の白球」が、私の道標の一つになるでしょう。

 あなたの卓球は、時に冷徹で、時にあまりにも非情で、そして時に、誰も予測できない奇跡のような輝きを放つ。あなたは、あなた自身のことを「異端者」と称していましたが、私には、あなたは…そうですね、まるで全てを見透かし、そして全てを自分の法則へと書き換えてしまう、「予測不能の魔女」のようにも見えました。

 もし、いつか、どこかの卓球台で再会することがあれば、その時は、今日とは違う、もっと晴れやかな気持ちで、あなたと真剣勝負ができることを、心から願っています。

 あなたの「異端」が、これからも多くの人々を魅了し、そしてあなた自身を、あなたが望む場所へと導いてくれることを、遠くからですが、応援しています。

 短い間でしたが、あなたと出会えたことに、感謝を込めて。

 幽基未来』

 手紙を読み終えた私の胸の奥に、確かな温かい何かが、静かに広がっていくのを感じた。

(幽基さん…あなたもまた、「異質」という名の孤独を抱えながら、それでも自分自身の卓球を求め続けているのですね…)

 彼女の言う「新しい場所」。それが何を意味するのか、私にはまだ分からない。だが、彼女の言葉の端々から滲み出る、ほんの僅かな決意と、そして私への、不器用だが誠実な「親愛」のようなものは、確かに私の心に届いていた。

(体力的な限界、精神的な不安定さ、そして「運」という不確定要素…。県大会優勝という結果は得た。だが、私の「異端」は、まだ多くの課題を抱えている。ブロック大会、そして全国大会…そこでは、さらに強大な敵が待ち受けているだろう…)

 私は、小さく、自嘲ともつかない息を吐く。

(…まあ、いい。課題が多いということは、それだけ「深化」する余地があるということだ。私の「異端の白球」の探求は、まだ始まったばかりなのだから…そして、その隣には、いつの間にか、私を支えてくれる「仲間」という、新たな変数が加わっていたのだ。)

 部屋は、既に夜の闇に完全に包まれていた。窓の外には、無数の星が、いつものように静かに私を見下ろしている。その星々の一つ一つが、私にとっての新たな分析対象であり、攻略すべき未知の変数のように思えた。

 県大会は、こうして幕を閉じた。だが、私の戦いは、まだ終わらない。そして、その戦いは、もはや私一人のものではなくなっているのかもしれない。

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