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異端の白球使い  作者: R.D
県大会 男子決勝
185/674

予測不能の魔女(6)

 セットカウント 静寂しおり 3 - 2 青木桜


 体育館を揺るがすような歓声と拍手。それが、私、静寂しおりの県大会個人戦優勝を祝福する音だということは、頭のどこかで理解していた。だが、今の私には、その喧騒も、まるで厚いガラスを隔てた向こう側の出来事のようにしか感じられない。

 最後のポイントが決まった瞬間、私の身体を支えていた見えない糸が、ぷつりと切れた。膝から崩れ落ちそうになるのを、必死で堪える。ラケットを握りしめたまま、ネットの向こう側にいる桜選手に向き直り、かろうじて一礼する。彼女もまた、深々と頭を下げた。その表情は、私にはもう見えなかった。

「しおりっ!やった!やったよぉぉーーー!!!」

 あかねさんが、涙と笑顔でぐしゃぐしゃになった顔で駆け寄ってくる。彼女の腕が、私の身体を力強く、しかし優しく支えてくれた。

「…ありがとう…ございます…あかねさん…」

 声を絞り出すのが、やっとだった。彼女に支えられながら、私はゆっくりと、まるで夢の中を歩いているかのような覚束ない足取りで、控え場所へと向かった。

 控え場所の、少し離れた位置。そこには、腕を組み、じっとこちらを見つめている部長の姿があった。彼の隣には、いつものように掴みどころのない表情の未来さんもいる。彼らが、私とあかねさんに気づき、祝福の言葉をかけようと数歩近づいてきた、まさにその時だった。

 私の視界が、急速に白んでいく。あかねさんの声が、部長の声が、遠のいていく。身体から、全ての力が抜け落ちていく。

(…あぁ…これが…私の…限界…)

 最後に感じたのは、あかねさんの悲鳴に近い呼び声と、誰かの力強い腕が、崩れ落ちる私の身体を支えようとしてくれた感触だけだった。

 どれくらいの時間が経ったのだろうか。

 意識が、まるで深い海の底からゆっくりと浮上してくるかのように、徐々に戻ってくる。耳に届くのは、体育館のざわめきと、誰かの静かな寝息…いや、これは私自身の寝息か…?

 重い瞼を、ゆっくりと押し上げる。

 最初に視界に入ったのは、見慣れない体育館の天井ではなく、誰かの…ジャージの膝だった。そして、頭の下に感じる、柔らかな感触と、微かな温もり。

 状況を理解するのに、数秒を要した。私は、観客席の端、おそらく人目につきにくい場所で、誰かの膝を枕にして横たわっているらしかった。

 そして、その膝の主は――。

「…幽基…さん…?」

 掠れた声で呟くと、私を見下ろす、静かで大きな瞳と視線が合った。月影女学院のジャージを纏った、幽基未来さんだった。彼女は、表情を変えずに、しかしその瞳の奥に、ほんのわずかな安堵の色を浮かべて、私を見つめている。

「…気が、つきましたか、静寂さん。」

 その声は、相変わらず静かで、掴みどころがない。だが、どこか優しさが滲んでいるように感じられたのは、私の錯覚だろうか。

「あかねさんは…赤木部長の、表彰式の付き添いに行っています。あなたのことも、とても心配していましたが…あなたが眠っているのを見て、部長のそばにいるべきだと判断したようです。」

 未来さんが、淡々と状況を説明してくれる。

(…部長の、表彰式…?そうか、私も…優勝したのだったか…)

 まだ思考が完全にクリアではない。だが、彼女の膝から伝わる温もりが、不思議と心地よかった。まるで、久しぶりに深い眠りから覚めたような、穏やかな感覚。第4セットで感じたあの「闇」も、極限の戦いの記憶も、今は遠い過去の出来事のように感じられる。

 ぼんやりとした意識のまま、私は、未来さんの膝に頭を乗せたまま、少しだけ視線をアリーナの方へと向けた。

 眩しいスポットライトの中、表彰台の一番高い場所に立つ、部長の大きな背中が見える。彼は、少し照れくさそうに、しかし誇らしげに、賞状とトロフィーを受け取っている。その姿は、いつものように熱血で、力強く、そしてどこか不器用で…私の知っている「部長」そのものだった。

 あかねさんが、その隣で、自分のことのように嬉しそうに、そして少し涙ぐみながら拍手を送っているのが見える。

(…あぁ…これで、良かったのかもしれない…)

 勝利とは何なのか、なぜ勝たなければならないのか、その明確な答えは、まだ私の中にはない。だが、今、この瞬間に感じている、この穏やかな温もりと、仲間たちの喜びを目の当たりにできるという事実。それもまた、私が求めていた「何か」の一つだったのかもしれない、と、ぼんやりと思った。

 私の「異端の白球」の探求は、まだ終わらない。そして、その隣には、いつの間にか、私を支えてくれる「仲間」という、新たな変数が加わっていたのだ。


 そうして私は無意識に意識を手放していた。

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