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異端の白球使い  作者: R.D
決勝
181/674

予測不能の魔女(3)

 静寂 4 - 2 青木


 最終セット、私の「予測不能のサーブ」が桜選手の「フロー状態」に僅かな揺らぎを生み出し、4-2とリードを奪った。だが、彼女の瞳の奥の光は少しも陰りを見せていない。ここからが、本当の意味での死闘の始まりだ。


 桜選手は、静かに息を整え、サーブの構えに入る。彼女が選択したのは、これまでの下回転系とは異なり、回転を抑えたナックル性のハーフロングサーブ。私のフォアサイド、台から出るか出ないかの絶妙なコースへと、速い弾道で送り込んできた。

(…サーブの種類を変えてきた。そして、これは…私に強打をさせず、ラリー戦に持ち込もうという意図か。私の体力が限界に近いことを見抜いている…?あるいは、私の「予測不能のサーブ」に対し、今度は彼女自身の「王道」のラリーで流れを取り戻そうとしているのか…)

 私は、ラケットを裏ソフトの面のまま、ストップの構えに入る。桜選手は、私が再びネット際の小技、あるいは予測不能な変化球を仕掛けてくることを警戒し、僅かに前傾姿勢を強めた。

(あなたの思考は、今、私の「ストップ」に集中している。ならば、その予測すらも利用させてもらう…)

 私が繰り出したのは、モーションの大部分を共通化させながら、インパクトの瞬間にラケット面を僅かに立て、ボールの赤道付近を、回転をかけずに「押し出す」のではなく、むしろボールの勢いを「殺す」ように、スーパーアンチの面に持ち替えて触れた、あの「デッドストップ」。ボールは回転を失い、ナックルボールとなって、先ほど私が超低空ナックルサーブを決めたのと同じ、桜選手のバックサイド、エンドラインぎりぎりへと、まるで置き去りにするかのように、しかし今度は短く、低く滑り込んだ。

 桜選手は、その予測外のコースと球質に、一瞬反応が遅れた。しかし、フロー状態の彼女の反応速度は驚異的だ。彼女は、体勢を崩しながらも、その死んだようなボールを生き返らせるように、バックハンドで拾い上げ、深いループドライブで私のバックサイドへと繋いできた。

(…やはり、ラリーに持ち込もうとしている。ならば、こちらも「マルチプル・ストップ戦略」で、あなたの思考を停止させるまでだ…!)

 私は、そのループドライブに対し、再びスーパーアンチの面で、今度はボールの側面下部を、ラケット面を立てるのではなく、むしろ少し「被せる」ようにして、そして「押し出す」のではなく「引き込む」ような、極めて短いタッチで触れる。ボールは、ネットの白帯の上をするりと舐めるように通過し――しかし、惜しくも僅かにサイドラインを割った。

 静寂しおり 4 - 3 青木桜

(…今のストップ、精度が僅かに狂った。だが、彼女の思考に「次は何が来るのか」というさらなる混乱の種を蒔くことはできたはずだ…)

 ベンチのあかねさんが、固唾をのんで私を見守っている。彼女のノートには、私のこの奇策とも言える戦術が、どのように記録されているのだろうか。

 桜選手は、今の私のミスにも表情を変えない。彼女は、ただ淡々と、次のサーブに集中している。彼女が放ったのは、再びナックル性のハーフロングサーブ。今度は私のバックサイドだ。

 私は、同じようにストップの構え。そして、インパクトの瞬間、ラケットを裏ソフトの面に持ち替え、ボールの側面を薄く捉え、強烈なサイドスピンを加えながら、桜選手のフォアサイドネット際へ、鋭く曲がる「横回転ストップ」を放った!

 桜選手は、そのボールの曲がりに反応し、体を伸ばして何とかラケットに当てたが、返球は大きくサイドを切れてアウトになった。

 静寂 5 - 3 青木

 観客席の部長が「よしっ!」と小さく叫ぶのが聞こえた。

(同じように見えるモーションから繰り出される、無限に近い球質の変化。それは、相手の「当たり前」を崩し、思考を停止させ、そして勝利を手繰り寄せるための、私の「異端」の研鑽の成果だ…)

 桜選手の絶対的な集中力に対し、私の「マルチプル・ストップ戦略」が、再びその牙を剥き始めていた。この最終セット、まさに「異端の魔女」と「フロー状態の王道」の、魂を削り合うような決戦となっていた。

 そして、私自身の体力と精神力もまた、この極限の戦いの中で、確実に削り取られていた。


 私は、再びあの下回転をかけるかのような、大きなテイクバックのモーションに入る。桜選手の全神経が、私のラケット面、手首の動き、そしてトスの高さに集中しているのが、肌で感じられる。

(このモーション…今の彼女は、ここから繰り出されるであろう無数の変化…ナックル、スピン、長短、そしてラバーの持ち替え…その全てを警戒し、対応しようと待ち構えている。だが、彼女の「王道」の思考は、最終的にはラリー戦での優位性を求めるはずだ。彼女が最も得意とし、そして私が最も警戒すると分析しているであろう、4球目での決定打を…)

 私は、下回転サーブを放った。それは、桜選手が予測しうる変化の一つ。コースは彼女のバックサイド深く。桜選手は、それを的確にツッツキで私のフォアサイドに、やや山なりだが回転量の多いボールで返球してきた。私の3球目攻撃を誘い、そして彼女自身の4球目攻撃に繋げるための、計算された布石だ。

 私は、そのボールに対し、裏ソフトのフォアハンドでドライブをかける。回転を重視した、安定したループドライブ。桜選手は、それを待っていたかのように、バックサイドに回り込み、フォアハンドで強烈なカウンタドライブを、私のバッククロスへと叩き込んできた!彼女の4球目攻撃。

 だが、私はその桜選手の4球目を予測していた。いや、予測していたというよりは、彼女がそこで攻撃してくるという状況を、私がこの3球目のループドライブで作り出したのだ。私は、その強烈なカウンターに対し、体を僅かに沈め、裏ソフトの面で、ボールの威力を殺しながらも、桜選手のフォアサイド、ネット際に絶妙なコントロールで、まるでカウンターのような鋭いストップを決めた!それは、彼女の4球目攻撃のタイミングと体勢を完全に外し、その予測と準備を完全に無に帰す、私の「読み勝ち」の一打。

 静寂 6 - 3 青木

 桜選手の表情に、明確な「読み負けた」という悔しさが滲んだ。私の仕掛けた心理戦が、彼女の絶対的な自信を、ほんの少しだけ揺るがせたのかもしれない。


 私は、再び同じ、下回転をかけるかのような大きなテイクバックのモーションに入る。桜選手は、先ほどの私のカウンター気味のストップを警戒し、今度はネット際の処理と、その後の私の攻撃の両方を意識した、やや中途半ขาな構えになっている。

(あなたの思考は、今、私の「ストップ」と「3球目攻撃」の二択に揺れている。ならば、そのどちらでもない、最も基本的な、しかし今のあなたにとっては最も予測しにくいであろう、この一手で…)

 私は、ナックルショートサーブを、桜選手のフォア前、ネット際にコントロールしようとした。しかし――。

(…まずい…!)

 その瞬間、私の身体を、これまで感じたことのないほどの深い疲労感が襲った。この精神をすり減らすような激しい戦いで、私の体力、そして集中力は、既に限界を超えていたのかもしれない。インパクトの瞬間に、私の手首から、そして指先から、ほんの僅かに、しかし致命的に力が抜け、コントロールが狂う。

 私が放とうとしたナックルショートサーブは、回転もコースも甘く、まるで桜選手に「打ってください」と言わんばかりの、絶好のチャンスボールとなって、彼女のフォアサイドへと力なく飛んでいった。

 桜選手は、そのあまりにも甘いサーブを見逃さない。フロー状態の彼女の反応は、コンマ数秒の遅れもなく、獣が獲物に飛びかかるように、鋭く台に踏み込む。そして、コンパクトながらも全身の力を込めたフォアハンドスマッシュが、私のコートのオープンスペースへと、まるで杭を打ち込むかのように突き刺さった!

 私は、そのボールの軌道を、ただ目で追うことしかできない。

 静寂しおり 6 - 4 青木桜

(…身体的限界…私の分析モデルにおいて、最も予測が困難で、そして最も致命的な変数…)

 私の思考が、そこで一瞬停止した。

 その瞬間だった。

「タイムアウト、お願いします!」

 ベンチから、あかねさんの、切迫した、しかし凛とした声が、審判と、そして体育館全体に響き渡った。私は、ゆっくりとあかねさんの方を見る。彼女は、私の異変を、私の限界を、誰よりも早く察知していたのだ。その瞳には、涙こそ浮かんでいないが、私への深い心配と、そして何としても私を支えようという、強い意志の色が浮かんでいた。

 審判が、タイムアウトを認める。桜選手は、訝しげな表情でこちらを見ている。

 私は、重い足取りで、あかねさんが待つベンチへと向かった。彼女のこのタイムアウトが、私にとって、そしてこの試合にとって、どのような意味を持つのか。それはまだ、誰にも予測できない。

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