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異端の白球使い  作者: R.D
決勝
180/674

予測不能の魔女(2)

 静寂しおり 2 - 0 青木桜


 最終セット、私は異端の極致ともいえる「予測不能のサーブ」で2ポイントを先取した。コートの向こう側に立つ桜選手の表情には、初めて「理解できない」という、フロー状態とは相容れない感情が浮かんでいる。彼女の絶対的な自信を揺るがすには、十分な二打だったはずだ。だが、彼女は常勝学園のエース。このまま簡単に崩れる相手ではない。

 桜選手は、深く息を吸い込み、精神を集中させようとしている。彼女の瞳は、再びあの底知れないほどの静けさを取り戻し、私の一挙手一投足を見据えている。私の「予測不能のサーブ」が、彼女のフロー状態の集中力を、さらに研ぎ澄ませたのかもしれない。

(フロー状態は維持している…いや、むしろその純度を増しているようにすら感じる。だが、私の「異端」は、あなたの予測の、さらにその外側を突く…)

 彼女が放ったのは、この試合、私を苦しめた、質の高い下回転サーブ。私のバックサイド深くに、正確無比にコントロールされている。

 私は、ラケットを裏ソフトの面のまま、ストップの構えに入る。桜選手は、私が再びネット際の小技、あるいは予測不能な変化球を仕掛けてくることを警戒し、僅かに前傾姿勢を強めたのが見て取れた。

(あなたの思考は、私の「ストップ」と「変化」に集中している。ならば、その裏をかくまでだ…!)

 インパクトの瞬間、私は手首を柔らかく使い、ボールの側面を強烈に擦り上げた。それは、ストップのモーションから繰り出される、横に大きく曲がりながら沈み込むような、変則的なカーブドライブ!ボールは、桜選手の予測とは全く異なる軌道を描き、彼女のバックサイドを大きく抉るようにしてコートへと向かう。

 しかし、桜選手は、その予測不能なボールに対し、信じられないほどの反応速度とフットワークで対応した。彼女は、まるでその軌道を予見していたかのように、素早くバックサイドへと回り込み、完璧な体勢から強烈なバックハンドドライブを、私のフォアサイド、オープンスペースへと叩き込んできた!

 静寂 2 - 1 青木

(…今の反応…!私の「偽装ストップからのカーブドライブ」ですら、彼女の前では、決定打とはなり得ないというのか…)

 私の背筋を、再び冷たい汗が伝う。桜選手の適応能力は、私の想像を絶するレベルに達しているのかもしれない。

 ベンチのあかねさんが、息をのむのが分かった。観客席の部長も、そのあまりのハイレベルな攻防に、もはや言葉もないだろう。未来さんは…その静かな瞳で、この常識を超えた戦いを、どう分析しているのだろうか。


 桜選手は、今のポイントで確かな手応えを掴んだのか、さらに集中力を高めてくる。彼女が次に選択したのは、私のミドルを深く突く、回転の少ないナックルサーブ。私が処理に窮するサーブの一つだ。

 私は、それをアンチラバーで、なんとか低く、短く返球しようと試みる。だが、桜選手は、その返球コースを完全に読んでいた。彼女は、ネット際に素早く踏み込み、私の返したナックルボールに対し、ラケット面を被せるようにして、強烈な横回転を加えたフリックを、私のバックサイドへと叩き込んだ!ボールは鋭く曲がりながら、私のラケットの届かないコースへと消えていく。

 静寂 2 - 2 青木

 ついに同点。桜選手の「フロー状態」は、もはや私の「異端」な戦術だけでは、揺るがすことができないのかもしれない。

(…まずい。完全に流れが彼女に傾き始めている。私のサーブで、この流れを断ち切らなければ…!)

 私の心に、焦りとも、あるいは新たな闘争心ともつかない、複雑な感情が渦巻き始めていた。「予測不能の魔女」としての私の覚醒に対し、彼女もまた「フロー状態の王道」としての真価を発揮している。


(青木桜…あなたは確かに絶対的だ。だが、その絶対性こそが、あなたの最大の脆弱性となる。予測可能なパターンに依存するあなたの完璧な世界に、私の「異端」が、予測不能な亀裂を刻み込む…)

 私は、再びあの下回転をかけるかのような、大きなテイクバックのモーションに入る。桜選手の瞳が、私のラケット面、そして手首の僅かな動きを捉えようと、極限まで集中しているのが分かる。

(あなたは、私のサーブの変化を警戒している。ショートか、ロングか。ナックルか、スピンか。あるいは、ラバーの持ち替えによる球質の急変か…その全ての可能性を、あなたの思考はシミュレートしているはずだ…)

 インパクトの瞬間、私はラケットを裏ソフトの面のまま、しかしボールの側面下部を鋭く擦り上げる。放たれたのは、ネット際に短く、そして強烈な横下回転がかかったショートサーブ。桜選手のフォアサイド、彼女が最も処理しにくいであろうコースへと、ボールは吸い込まれるように落ちていく。

 桜選手は、その複雑な回転とコースに対し、咄嗟にラケットを合わせる。しかし、回転を読み違えたのか、彼女のレシーブは僅かに浮き上がり、私のフォアサイドへのチャンスボールとなった。

 私は、そのボールを見逃さない。ストップの構えから一転、コンパクトなスイングで、裏ソフトのフォアハンドから強烈なカーブドライブを、桜選手のバックサイド、オープンスペースへと叩き込んだ!ボールは大きく弧を描き、彼女の反応も虚しくコートに突き刺さる。

 静寂 3 - 2 青木

(あなたは、確かに多くの変数を処理できる。だが、私が提示する変数の「組み合わせ」と「タイミング」までは、予測しきれないはずだ…)

 私の心には、冷たい確信が満ちていた。

 私は、もう一度、同じテイクバックのモーションに入る。桜選手の表情に、先ほどの失点による僅かな動揺と、しかしそれ以上に「次は何が来るのか」という強い警戒の色が浮かんでいる。

(あなたの思考は、今、私の「変化」そのものに囚われている。ならば、その思考の、さらに裏をかく…!)

 そして、私が放ったのは――超低空ナックルロングサーブ。

 それは、トッププロの選手ですら安定して繰り出すことが困難とされる、まさに超絶技巧。下回転をかけるかのようなテイクバックから、インパクトの瞬間、全ての回転を殺し、ボールの推進力だけを最大限に利用して、ネットすれすれの、文字通り数ミリの高さを、矢のようなスピードで相手コート深くに突き刺すサーブ。あまりの低さと速さに、ボールはまるで地を滑るかのように見える。

 桜選手は、これまでのショートサーブと変化を警戒し、やや前がかりの体勢を取っていた。その彼女の予測を完全に裏切る、このロングサーブに対し、反応が一瞬遅れた。いや、たとえ予測していたとしても、あの「超低空」の弾道とスピードは、彼女のフロー状態をもってしても、容易には対応できなかっただろう。

 彼女が慌てて後ろに下がりながらラケットを出す。しかし、ボールは既に彼女のラケットの遥か下を通過し、バックラインぎりぎりに突き刺さっていた。

 静寂 4 - 2 青木

 エース。体育館が、今度こそ本当に息をのむような、絶対的な静寂に包まれた。そして、次の瞬間、割れんばかりの、信じられないものを見たというどよめきと興奮が爆発する。

 桜選手の顔から、ついに表情が抜け落ちていた。その瞳には、もはやの絶対的な自信ではなく、何か理解を超えたものに遭遇した者の、純粋なまでの「驚愕」と「混乱」が浮かんでいる。

(私の「異端」は、あなたの「フロー」という名の神殿に、今、確かに楔を打ち込んだ。青木桜…この最終セット、あなたの知らない静寂しおりの全てを、見せてあげる…)

 私の心は、冷たく、そして静かに、しかし確かな勝利への確信と、そして相手を完全に支配するという、どこか愉悦にも似た感情に、再び満たされ始めていた。

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