表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異端の白球使い  作者: R.D
県大会 女子決勝

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

175/694

運命の悪戯

 静寂 7 - 7 青木


 ついに同点。


 しかもこの場面でサーブ権は桜選手へ。


 彼女の全身から放たれるオーラは、もはや人間的なものを超越しているかのように感じられた。


 彼女が放ったサーブは、シンプルながらも極限まで研ぎ澄まされた下回転サーブ。


 私のバックサイド、エンドラインぎりぎりに、まるで吸い込まれるように落ちる。


 私は、それを裏ソフトでドライブしようとするが、ボールの回転と深さに押され、返球はネットを大きく越えてオーバーした。


 静寂 7 - 8 青木


 ついに逆転を許す。


 私の「静寂な世界」が、桜選手の絶対的なまでの「フロー」によって、激しく揺さぶられている。


 桜選手は畳み掛けるように、今度は私のフォアサイドへ、同じく質の高い下回転サーブ。


 私はそのサーブに対し、アンチラバーで変化をつけようと試みる。


 しかし、フロー状態の彼女は、私の僅かなラケット角度の変化すらも見逃さない。


 彼女は、私のナックル性の返球に対し、フォアハンドで強烈なドライブを、私のいないバックサイドへと叩き込んだ。


 静寂 7 - 9 青木


 …これが、未来選手が言っていた、青木桜の本当の全力…。私の作戦メモの情報など、もはや何の役にも立たない。彼女は、今、この瞬間、私の全てを凌駕している…!


 私の体力も、精神力も、限界に近づいていた。


 だがそれでも、私の心の奥底で、何かがまだ諦めてはいけないと叫んでいる。


 それは、勝利への執念か、あるいは…


 私は、無意識のうちに、ラケットを握りしめていた。


 そして、放ったサーブは、これまでのどのサーブとも異なるただ、ひたすらに純粋な、強烈な下回転をかけたショートサーブ。


 それは、かつて高坂選手との試合の土壇場で見せた、あの「王道」の粘りを彷彿とさせる一打だった。


 桜選手は、そのあまりにも「普通」なサーブに、ほんのわずかにタイミングを狂わされた。彼女のレシーブは、僅かに甘く浮き上がる。


 私は、そのボールに対し、強打を選ばなかった。


 スーパーアンチの面に持ち替え、ボールの威力を殺しながらも、ほんのわずかにラケットの角度を変え、相手のフォア前、ネット際に、まるで羽が落ちるかのような、絶妙なストップを送り込んだ。


 桜選手の体が、大きく泳ぐ。懸命に手を伸ばすが、その指先は、虚しくボールの軌道を撫でるだけだった。


 静寂 8 - 9 青木


 …まだだ。まだ、終わらせない…!私の「異端」は、この程度の逆境で潰えるほど、脆くはない…! 


 8-9、私のサーブ2本目。


 私は、ここで負けるわけにはいかない、執念とも言える、カットマンのような低い姿勢からの、下回転サーブを放つ。


 桜選手は、それを警戒し、ループドライブで繋いでくる。


 ここから、信じられないようなラリーが始まった。桜選手の強烈なドライブ、私の予測不能な変化ブロック。ボールが、目にも留まらぬ速さでネットの上を往復する。


 数十球は続いただろうか。体育館の誰もが息をのみ、この壮絶な打ち合いを見守っている。


 私の肺は酸素を求め、足は鉛のように重い。


 だが、私の瞳は、ただ一点、白いボールだけを追い続けていた。


 そして、ついに、桜選手のフォアハンドドライブが、ほんの僅かに、本当に紙一重、ネットにかかった。


 静寂 9 - 9 青木


 どっと、体育館が沸いた。


 あの絶体絶命のピンチから、信じられないような粘りで同点に追いついたのだ。


 …追いついた…!だが、本当の勝負は、ここからだ…!


 桜選手のサーブ、一度でも落とせば最低でもデュース、この状態の桜選手とのデュース戦に持ち込めば、勝つ未来が見えない、ここを落とせば勝ちはない。



 桜選手の瞳の奥の光は、まだ少しも揺らいでいない。彼女も、この一点に全てを懸けてくるだろう。


 彼女が放ったサーブは、再び私のバックサイドを襲う、強烈な下回転。


 私は、それを裏ソフトで、渾身の力を込めてカウンタードライブを放つ。


 ボールは、桜選手の予測をわずかに超えるスピードと角度で、彼女のフォアサイドを駆け抜けた!


 静寂 10 - 9 青木


 セットポイント、私のリード。


 だが、サーブ権は桜選手。


 この一本を彼女が取れば、デュースへと持ち込まれる。


 体育館の全ての視線が、コート中央の私たち二人に注がれているのが肌で感じられた。


 桜選手の瞳には、崖っぷちに立たされながらも、闘志の炎が消えていない。彼女の全身から放たれるプレッシャーが、再び空気を重く支配し始めていた。


 あと一点…この一本を防ぎきれば、このセットは私のものになる。だが、相手は青木桜。この土壇場で、彼女が何をしてくるか…油断は許されない…。


 ベンチのあかねさんの祈るような視線、観客席の部長の固唾をのむ気配を感じながら、私はレシーブの構えに入る。


 桜選手は、静かに、そして深く息を吸い込んだ。彼女の集中力が、極限まで高まっていくのが分かる。


 そして、放たれたサーブは――彼女がこの試合で最も信頼を置いているであろう、強烈な下回転サーブ。


 私のフォアサイド、ネット際に低く、鋭くコントロールされた、魂の一打だ。


 このサーブ…!第1セットで、私が何度も対応に苦慮した、あのサーブ…!彼女は、この最大の勝負どころで、最も自信のある武器を選択してきた…!


 私は、そのボールに対し、ラケットをスーパーアンチの面に持ち替え、バウンドの頂点を捉えようと踏み込んだ。


 もはや、何か特定の技を狙う余裕などない。


 ただ、このボールを相手コートに返さなければ、という一心だけが、私の体を突き動かしていた。


 私のラケットが、ボールの強烈な回転を殺そうと、そしてネットを越えさせようと、ほとんど無意識に近いレベルでボールに触れる。


 それは、決して完璧なレシーブではなかった。むしろ、ボールの勢いに押され、僅かに泳がされたような、苦し紛れの返球。


 ボールは、私のラケットに当たると、予期せぬほどに勢いを失い、ふらふらと、まるで力尽きたかのようにネットへと向かった。


 …駄目だ、相手にとって絶好のチャンスボール。次の強打で点をとられこのセットはデュースに…。


 体育館の誰もが、ボールがネットにかかると思っただろう。あるいは、甘いチャンスボールになる、と。


 桜選手もまた、私の甘い返球を予測し、次の一打で試合を決めるべく、鋭く踏み込もうとしていた。


 しかし、その瞬間――。


 私の返した、力なくネットへ向かっていたはずの白い球体は、まるで運命の女神が悪戯をしたかのように、ネットの白帯との上をほんの僅かに、本当にミリ単位でコロコロと転がる。


 ――そして、カツン、という乾いた、しかし体育館全体に響き渡るかのような音と共に、相手コートのエッジぎりぎりに、まるで吸い込まれるようにして落ちたのだ!


 静寂 11 - 9 青木


 時が、止まったかのような静寂。そして、次の瞬間、体育館は割れんばかりの歓声と、信じられないものを見たというどよめきに包まれた。


 私は、ラケットを握りしめたまま、その喧騒の中で、ただ静かに立っていた。


 …入った…?今のは…偶然…?私の計算も分析も超えた、単なる幸運の一打…。


 これが、卓球という競技の持つ、予測不能な変数…。


 あかねさんがくれたお守りが、本当に運を運んできたとでもいうのだろうか…?


 いや、そんな非論理的なことは…ないはずだ。だが、それでも…この一点は、あまりにも…。


 ネットの向こう側で、桜選手が、ゆっくりとラケットを置き、そして、呆然とした表情で、ボールが落ちた一点を見つめている。


 彼女の肩が、ほんのわずかに震えているのが、私には分かった。


 セットカウント 静寂 2 - 1 青木


 私のリード。


 だが、本当の勝負は、まだこれからなのかもしれない。あの青木桜が、このまま終わるとは到底思えなかったからだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ