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異端の白球使い  作者: R.D
決勝
175/674

女子決勝(8)

 静寂 7 - 7 青木


 ついに同点、しかもこの場面でサーブ権は桜選手へ。彼女の全身から放たれるオーラは、もはや人間的なものを超越しているかのように感じられた。彼女が放ったサーブは、シンプルながらも極限まで研ぎ澄まされた下回転サーブ。私のバックサイド、エンドラインぎりぎりに、まるで吸い込まれるように落ちる。

 私は、それを裏ソフトでドライブしようとするが、ボールの回転と深さに押され、返球はネットを大きく越えてオーバーした。

 静寂しおり 7 - 8 青木桜

 ついに逆転を許す。私の「静寂な世界」が、桜選手の絶対的なまでの「フロー」によって、激しく揺さぶられている。

 桜選手は、畳み掛けるように、今度は私のフォアサイドへ、同じく質の高い下回転サーブ。

 私は、そのサーブに対し、アンチラバーで変化をつけようと試みる。しかし、フロー状態の彼女は、私の僅かなラケット角度の変化すらも見逃さない。彼女は、私のナックル性の返球に対し、フォアハンドで強烈なドライブを、私のいないバックサイドへと叩き込んだ。

 静寂 7 - 9 青木

(…これが、未来選手が言っていた、青木桜の「本当の全力」…。私の作戦メモの情報など、もはや何の役にも立たない。彼女は、今、この瞬間、私の全てを凌駕している…!)

 私の体力も、精神力も、限界に近づいていた。だが、それでも、私の心の奥底で、何かがまだ諦めてはいけないと叫んでいる。それは、勝利への執念か、あるいは…


 私は、無意識のうちに、ラケットを握りしめていた。そして、放ったサーブは、これまでのどのサーブとも異なる、ただ、ひたすらに純粋な、強烈な下回転をかけたショートサーブ。それは、かつて高坂選手との試合の土壇場で見せた、あの「王道」の粘りを彷彿とさせる一打だった。

 桜選手は、そのあまりにも「普通」なサーブに、ほんのわずかにタイミングを狂わされた。彼女のレシーブは、僅かに甘く浮き上がる。

 私は、そのボールに対し、強打を選ばなかった。スーパーアンチの面に持ち替え、ボールの威力を殺しながらも、ほんのわずかにラケットの角度を変え、相手のフォア前、ネット際に、まるで羽が落ちるかのような、絶妙なストップを送り込んだ!

 桜選手の体が、大きく泳ぐ。懸命に手を伸ばすが、その指先は、虚しくボールの軌道を撫でるだけだった。

 静寂しおり 8 - 9 青木桜

(…まだだ。まだ、終わらせない…!私の「異端」は、この程度の逆境で潰えるほど、脆くはない…!)

 8-9、私のサーブ2本目

 私は、ここで負けるわけにはいかない、執念とも言える、カットマンのような低い姿勢からの、下回転サーブを放つ。桜選手は、それを警戒し、ループドライブで繋いでくる。

 ここから、信じられないようなラリーが始まった。桜選手の強烈なドライブ、私の予測不能な変化ブロック。ボールが、目にも留まらぬ速さでネットの上を往復する。

 数十球は続いただろうか。体育館の誰もが息をのみ、この壮絶な打ち合いを見守っている。私の肺は酸素を求め、足は鉛のように重い。だが、私の瞳は、ただ一点、白いボールだけを追い続けていた。

 そして、ついに、桜選手のフォアハンドドライブが、ほんの僅かに、本当に紙一重、ネットにかかった!

 静寂 9 - 9 青木

 どっと、体育館が沸いた。あの絶体絶命のピンチから、信じられないような粘りで同点に追いついたのだ。

(…追いついた…!だが、本当の勝負は、ここからだ…!)

 桜選手のサーブ、一度でも落とせばデュースへ、この状態の桜選手とのデュース戦に持ち込めば、勝つ未来が見えない、ここを落とせば勝ちはない。


 桜選手の瞳の奥の光は、まだ少しも揺らいでいない。彼女も、この一点に全てを懸けてくるだろう。彼女が放ったサーブは、再び私のバックサイドを襲う、強烈な下回転。

 私は、それを裏ソフトで、渾身の力を込めてカウンタードライブ!ボールは、桜選手の予測をわずかに超えるスピードと角度で、彼女のフォアサイドを駆け抜けた!

 静寂 10 - 9 青木

 セットポイント、私のリード。だが、サーブ権は桜選手。この一本を彼女が取れば、デュースへと持ち込まれる。体育館の全ての視線が、コート中央の私たち二人に注がれているのが、肌で感じられた。桜選手の瞳には、崖っぷちに立たされながらも、闘志の炎が消えていない。彼女の全身から放たれるプレッシャーが、再び空気を重く支配し始めていた。

(あと一点…この一本を防ぎきれば、このセットは私のものになる。だが、相手は青木桜。この土壇場で、彼女が何をしてくるか…油断は許されない…)

 ベンチのあかねさんの祈るような視線、観客席の部長の固唾をのむ気配を感じながら、私はレシーブの構えに入る。

 桜選手は、静かに、そして深く息を吸い込んだ。彼女の集中力が、極限まで高まっていくのが分かる。そして、放たれたサーブは――彼女がこの試合で最も信頼を置いているであろう、強烈な下回転サーブ。私のフォアサイド、ネット際に低く、鋭くコントロールされた、魂の一打だ。

(このサーブ…!第1セットで、私が何度も対応に苦慮した、あのサーブ…!彼女は、この最大の勝負どころで、最も自信のある武器を選択してきた…!)

 私は、そのボールに対し、ラケットをスーパーアンチの面に持ち替え、バウンドの頂点を捉えようと踏み込んだ。もはや、何か特定の技を狙う余裕などない。ただ、このボールを相手コートに返さなければ、という一心だけが、私の体を突き動かしていた。

 私のラケットが、ボールの強烈な回転を殺そうと、そしてネットを越えさせようと、ほとんど無意識に近いレベルでボールに触れる。それは、決して完璧なレシーブではなかった。むしろ、ボールの勢いに押され、僅かに泳がされたような、苦し紛れの返球。

 ボールは、私のラケットに当たると、予期せぬほどに勢いを失い、ふらふらと、まるで力尽きたかのようにネットへと向かった。

(…駄目だ、相手にとって絶好のチャンスボール。次の強打で点をとられこのセットはデュースに…)

 体育館の誰もが、ボールがネットにかかると思っただろう。あるいは、甘いチャンスボールになる、と。桜選手もまた、私の甘い返球を予測し、次の一打で試合を決めるべく、鋭く踏み込もうとしていた。

 しかし、その瞬間――。

 私の返した、力なくネットへ向かっていたはずの白い球体は、まるで運命の女神が悪戯をしたかのように、ネットの白帯との上をほんの僅かに、本当にミリ単位でコロコロと転がり――そして、カツン、という乾いた、しかし体育館全体に響き渡るかのような音と共に、相手コートのエッジぎりぎりに、まるで吸い込まれるようにして落ちたのだ!

 静寂しおり 11 - 9 青木桜

 時が、止まったかのような静寂。そして、次の瞬間、体育館は割れんばかりの歓声と、信じられないものを見たというどよめきに包まれた。

 私は、ラケットを握りしめたまま、その喧騒の中で、ただ静かに立っていた。

(…入った…?今のは…偶然…?私の計算も分析も超えた、単なる幸運の一打…。これが、卓球という競技の持つ、予測不能な変数…。あかねさんがくれたお守りが、本当に運を運んできたとでもいうのだろうか…?いや、そんな非論理的なことは…ないはずだ。だが、それでも…この一点は、あまりにも…)

 ネットの向こう側で、桜選手が、ゆっくりとラケットを置き、そして、呆然とした表情で、ボールが落ちた一点を見つめている。彼女の肩が、ほんのわずかに震えているのが、私には分かった。


 セットカウント 静寂 2 - 1 青木


 私のリード。だが、本当の勝負は、まだこれからなのかもしれない。あの青木桜が、このまま終わるとは到底思えなかったからだ。

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