王道を蝕む異端
インターバルを終え、私は再びコートの中央へと進み出た。
第1セットは4-11で失った。
だが、それは想定される損失の範囲内。重要なのは、この第2セットから、収集したデータを元に反撃を、青木桜という強大な「王道」に対し、いかに的確に展開できるか、だ。
私のベンチでは、あかねさんが固唾をのんで私を見守っている。
その瞳には、不安と、しかしそれ以上に私への揺るぎない信頼が宿っている。
観客席の部長と未来さんは、静かに、しかし鋭い視線でコート上の私たちを捉えている。
彼らにも、この第2セットが持つ意味の重さは伝わっているはずだ。
桜選手は、第1セットと変わらぬ冷静さでサーブの構えに入る。
彼女から放たれたのは、やはり質の高い下回転サーブ。
コースは私のバックサイド深く、回転量も第1セット同様に重い。
第1セットと同じサーブ…彼女は、自分の強さに絶対的な自信を持っている。そして、私が同じように対応してくると予測しているはずだ…。
前回、私はこのサーブに対し、裏ソフトでドライブを試みネットにかけた。
だが、今回は違う。
私はラケットをスーパーアンチの面に瞬時に持ち替え、ボールのバウンドの頂点を捉えると、回転を完全に殺したナックル性のプッシュを、桜選手のフォアサイド、ネット際に短く、低くコントロールした。
第1セットでは見せなかった、積極的かつ精密なレシーブ。
桜選手は、その予測外のレシーブに一瞬反応が遅れた。
慌てて前に踏み込み、フォアハンドでボールを拾い上げるが、その返球は山なりに、そして甘く浮き上がる。
…来た。私の「異端」に対する、あなたの予測の限界点が
私はそのチャンスボールを見逃さない。
裏ソフトに持ち替え、コンパクトなスイングから、桜選手のいないバックサイドへと、鋭いスマッシュを叩き込んだ。
静寂 1 - 0 青木
第1セットのデータは揃った。ここからは、そのデータと、あなたが「知っている」私の情報を逆手に取る。あなたの予測の、さらに外側へ…。
私の心は、氷のように冷静だった。
桜選手は、今の失点にも表情を変えない。
だが、その瞳の奥に、ほんのわずかな警戒の色が浮かんだのを、私は見逃さなかった。
彼女は、今度は同じ下回転でも、コースを私のフォアミドルへと変えてきた。
そして、回転量も先ほどより若干浅い。揺さぶりをかけてきている。
…私のレシーブの変化を警戒し、サーブの組み立てを変えてきたか。だが、それもまた、私の予測の範囲内だ。
私は、そのサーブに対し、今度は裏ソフトの面で、あえて強気に踏み込み、チキータ気味にバックハンドでフリック。
ボールは鋭い横回転を帯び、桜選手のバックサイドを切るようにして飛んでいく。
桜選手は懸命に手を伸ばすが、ボールは彼女のラケットの先端をかすめ、コートの外へと消えた。
静寂 2 - 0 青木
ベンチのあかねさんが、小さく「やった…!」と息をのむのが聞こえる。
観客席の部長も、腕を組みながら、わずかに口元を緩めたように見えた。
あなたのその安定性…それこそが、今の私にとっては最大の攻略対象だ。その安定した予測の範囲を、私の異端で破壊する…。
サーブ権が私に移る。
私は、ボールを軽く手の中で遊ばせながら、桜選手の表情を観察する。
彼女の冷静さは変わらないが、その内側で、私の変化に対する分析が高速で行われているのが感じ取れた。
…私のサーブ。これは、あなたが持っている「私のデータ」には、まだ存在しないはずの変数だ。あなたの完璧な分析モデルに、ノイズを送り込む…。
私が選択したのは、第1セットでは一度も見せなかった、かつて私も苦しめられた高橋選手のサーブ。
それを模倣した、サイドスピンの強い横下回転サーブ。
コースは桜選手のフォア前、ネット際だ。
桜選手は、その見慣れないのサーブフォームと、予測しにくい回転に、一瞬動きが止まった。
彼女は咄嗟にラケットを合わせるが、回転を読み違え、レシーブは大きくネットを越えてオーバーした。
静寂 3 - 0 青木
…成功。あなたの「王道」の予測範囲に、私の「異端」は存在しない、ということだ。
私は、畳み掛ける。
今度は、同じ高橋選手のサーブモーションから、回転の種類をわずかに変え、ナックル性のボールを桜選手のバックサイド深くに送り込んだ。
桜選手は、先ほどの横下回転を警戒し、ラケット面を被せ気味にレシーブしようとする。
しかし、ボールは回転がないため、彼女のラケットの上を滑るようにして浮き上がり、再びチャンスボールとなった。
私は、そのボールを冷静に見極め、裏ソフトのフォアハンドで、桜選手のフォアサイド、オープンスペースへと確実に叩き込んだ。
静寂 4 - 0 青木
…あなたの予測は今、私の前に、混乱し始めているはずだ。青木桜…あなたの「王道」を、私の「異端」が、ここから徐々に蝕んでいく…。
第2セット序盤、私は4連続ポイントでリードを奪った。だが、本当の戦いは、まだ始まったばかりだ。